2016年11月18日金曜日

開発業界のいわゆる「投入」について

我が輩が何年かすごした国際協力というのは「開発業界」と呼ばれている。
その業界ではPDM(プロジェクト・デザイン・マトリックス)という、ドイツ人が考案し、アメリカ軍がベトナム戦争で使いはじめた図表をつかうのがドナー国のアドホック・スタンダードになっている。
そのPDMではまずはじめに「ナレーティブ・サマリー」というのを書くことになっていて、そこに「この地域ではこれが足りないから足りないものを投入する」的なことを書く。
たとえば
「パキスタンでは自動車の国内需要が盛んで、日系メーカーも複数進出しているが、まともな部品が現地調達できないので輸入パーツに頼っていて、コストが高くなる。まともな部品が現地調達できないのは、現地のパーツベンダーに技術力がないからである。そこでこのプロジェクトでは技術を投入するのである。」
みたいに。

足りないものを足りないところに投入する・・・。
たとえば、毎月20日に給料を支払う中小企業があって、そのためのキャッシュが不足しそうだ。そういうときに、金融機関でキャッシュを調達して投入する。
・・・これはとてもわかりやすい。
たとえば、ネジをつくっている工場で、原材料の普通鋼の在庫が少なくなってきた。注文通り製造して出荷しようとすれば、材料を買わなければならない。そこで鉄屋さんから鋼材を買った。
・・・これもわかりやすい。

しかし、「技術が欠けているところに技術を投入する」というのは、どうも腑に落ちない。
この腑に落ちなさはどこから来るのか考えると、たぶん「技術」という一般的な名詞を使うところにある、というのがひとつの原因じゃないのか?

たとえば、こういうストーリーを考えてみよう。
「長野県諏訪郡のある村で、果樹生産による農家の収入増加を企画している。良質な果樹増産のための技術が必要とされている。このプロジェクトでは、果樹生産技術を移転することを目的とする。」

そう、これなのだ。「くだもの」という一般化された名詞をつかうから、腑に落ちない。りんごとかみかんとかぶどうとか柿とか、特定すればいいのだ。

しかしPDMの書きはじめのナレーティブ・サマリーのところでいきなり「ぶどう」と書くのはかなり難しい。なぜなら、それを書くのはたいてい現場から離れた場所で、現場をあまり知らない人が書くからだ。

ぶどうには適した土壌(水はけがいいとか)、地勢(日当たりがいいとか)、気候(寒暖の差がはげしいとか)、農家とか地域の適性(はじめはかなりのリソース投入が必要とか、収穫のときはかなり労働集約的になるとか)、そんなことがわからない時点で「ぶどう」と特定するのは難しい。だから「果物」とか「技術」なんて抽象的な書きぶりになってしまう。

戦争でいえば、戦略策定の時点(PDM)でいきなり「ここはミサイルでどーんとかましておいて、それから砲兵を投入しましょう!」なんてことを言うと、将軍から「そういう戦術的な話は現場検証してからにしたらどうかね?」なんちゅうてツッコミがくる。開発も同じで、抽象的な書きぶりのPDMで決裁をとっておいて、それから詳細計画策定調査にはいる、というのが一般的。そしていったん詳細計画策定調査をやってしまうと、後戻りは難しい。

はじめの時点で「技術」と抽象的に書いてしまったものの、たとえばそれが自動車パーツの製造分野だったら、鍛造、溶接、鋳造、いろいろとある。たとえばプレスだったら大きさにもよるけれど、ドアーみたいな大きめのパーツをプレスするなら何百トンというプレス機械が必要で、それをまともなものに更新するとなると中古を調達しても日本円で何千万という話になる。工場の経営者なら、その投資を回収するのにどれくらい作ってどれくらい売らなきゃならないか、ということを常に考えている。

ひょっとして足りないのは、技術じゃなくて、パーツを買ってくれる市場なのかもしれない。パキスタンの場合はじっさいにそうだった。だから、経済産業省みたいなところが「国産パーツを使うべし」とか「中古の完成車輸入を制限すべし」という筋書きで自動車産業振興計画を改訂しなければならない、そういうレベルだった。それがないから、パーツ産業として生産量も(従って投資量も)技術も低めで均衡していたのだ。

PDMはベトナム戦争で使われたらしい、とはじめに書いた。想像するに、こんなこともあったんじゃないか。
「中部のダナンは港があり、重火器と糧食の補給にとって戦略的に重要である。港をとりまく高地に点在する村とジャングルにはベトコンが潜んでいる。ベトコンを殲滅しなければダナン港を活用することができない。そこで枯葉剤と焼夷弾を投入し、ジャングルを消滅させれば、ベトコンは隠れる場所がなくなるのである。」なーんてね。

しかしアメリカ人にとってベトコンが村にはいってしまえば誰がベトコンかベトコンじゃないかわからないので、村人全部を虐殺するという無茶ぶりを発揮することとなる。しかも枯葉剤と焼夷弾で、住人と環境に対して将来何十年にもわたる重篤な負荷をかけることになる。

PDMのナレーティブ・サマリーが、現場から遠いところで、現場をあんまりよく知らない人によって書かれる、そしていったん書かれたPDMを変更するのが難しい。これがいまの開発業界のもつ問題だと思う。


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