2023年1月16日月曜日

ウクライナが禁止した野党メドベチュク党首、紛争の発端と予期する結末を語る

https://sputniknews.jp/20230116/14593436.html

【全文】「ウクライナ症候群」ウクライナが禁止した野党メドベチュク党首、紛争の発端と予期する結末を語る

2023年1月16日, 17:42 (更新: 2023年1月16日, 22:09)

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ウクライナが活動を禁止する「野党プラットフォーム―生活党」の元党首のビクトル・メドベチュク議員は、「欧米の政治家の大半はウクライナの平和など一切望んでおらず、反対に、平和を訴える人々は、西側から『西側の民主主義に適合しない』として言いがかりをつけられ、誹謗中傷され、脅迫されている」と述べた。

ウクライナ人政治家のメドベチュク氏は「野党プラットフォーム―生活党」の元党首。メドベチュク氏は2022年4月12日、国家反逆罪の容疑でウクライナの治安当局に逮捕さたが、ウクライナとロシアが交わした捕虜交換でロシアに渡った。今回、ロシアへ移動後、初めてロシアのメディア向けに記事を執筆した。

大半の欧米の政治家たちの話を聞いていては、このウクライナ紛争の意味やメカニズムは全く理解不可能だ。バイデン米大統領は、紛争への米軍の直接的な関与を否定しているが、一方で、随所で米国がウクライナに数十億ドル相当の武器を供与と報じられているではないか。ウクライナの軍需に何十億ドルも費やされているのであれば、米国にとってウクライナの国益は異常なまでに重要だということになる。しかし、米軍が参戦は望まないというのであれば、それほど重要ではないのかもしれない。ならば数十億ドルに上る、この供与は一体何なのだろうか? 無償の援助? 儲かるビジネス? 投資だろうか? 答えはない。

例えば、メルケル元独首相の先日の明言では、ミンスク合意はウクライナに時間を与えるためのものだった。ということは、平和を樹立させる気など誰にもないことを示している。つまり、ロシアは騙されていたわけだ。しかし、何のために? ウクライナを守るためか、それとも自分たちが攻撃するためか? ドイツの推奨を遂行すればよかったのなら、なぜ騙す必要があったのだろうか? それともドイツは、もともと実行不可能なことを推奨していたのだろうか。まず、出来上がってしまった現状を覆う霧を払拭するために、事の発端を分析することから始めたい。

冷戦はどのように終わったのか?

いかなる戦争でもその発端には、前に終わった戦争の結果が影を落としている。ウクライナ紛争に先行したのは冷戦だ。その成果を紐解くことで、ウクライナはおろか、多大な国に悪影響を及ぼしている、この紛争の意味の理解に我々は近づくことができる。欧米諸国とポストソビエト諸国、特にロシアとでは、実は冷戦の結果の受け止め方は異なる。

西側はこぞって冷戦の勝利は我にありと考えており、ロシアは敗者扱いだ。つまり、ロシアは負けた国である以上、旧ソ連や社会主義陣営の領土は、敗者の原理では米国やNATOが正当に得た獲物であり、その統制下に移行することになる。したがって、ウクライナは米国とNATOの影響下にある領土であり、ロシアの影響など全く及ぶべくもない。このため、ロシアがウクライナの政治にどれだけ影響力をもとうと、この地域において国益擁護の主張はすべて「根拠に欠け」、米国とNATOの権益を明らかに侵害する試みとなる。1990年代初頭、当時の英首相マーガレット・サッチャー氏は「もはや、世界は東西関係というプリズムを通して見る必要はない。冷戦は終わった」と宣言した。つまり、東側世界におけるロシアの地位はもはや重要ではない。ベクトルは1つ、世界の主は1人、勝者は1人。    

ロシアは自らを敗者だとは思っていない。冷戦からの脱却は、政治、経済の民主的改革によってもたらされ、軍事的対立は、西側との貿易と統合に取って代わられた。つまり、昨日の敵が今日の味方になった。とすれば、これは勝利ではないだろうか? ソ連、そしてロシア連邦が目的に据えていたのは冷戦の勝利ではなく、核の破滅に終わりかねなかった東西の軍事的対立を脱することだった。ロシアは米国とともにこの脱却方法を見い出し、自分たちのためというより、世界全体のために目的を達成したのである。 

冷戦の結末とは、西側による東側世界の吸収でもなく、ポスト・ソビエト圏は経済、法、文化的に従属させられたわけでもなかった。それは、政治、経済の新たな現実のために対等に協力し、これを共同で建設することを意味した。つまり、冷戦の終結には異なる2つのアプローチがあることがわかる。一方では勝者の勝利、他方では新たな世界と文明の建設。今後の展開もこの2つの異なるアプローチに立脚していくことになる。

新世界か、それとも欧米の新植民地か?

1991年にソ連が崩壊し、1992年には欧州連合(EU)が誕生。これにロシアをはじめとするポストソ連圏は大きな期待を寄せた。ロシアは、旧社会主義陣営やソ連の他の国家と同様に、自分も将来的にはこの連合の対等な一員になると考えており、「リスボンからウラジオストクまでの欧州」というドクトリンが構築されていく。

そうした状況でロシアはドイツの再統一だけでなく、かつての同盟国、さらには旧ソ連諸国のEU入りを歓迎していた。1990年代のロシアにとって先行していたのは西側との経済統合であり、それを近代国家として成功するための鍵であると考えていた。一方でロシア指導部には、ウクライナをはじめとする旧ソ連諸国を束縛する意向は特にはなかった。旧ソ連諸国の大半は中央、つまりロシアからの補助金で生き延びていた。この構図はこれらの国の指導者にとって好都合だったが、諸国も経済的負担から一刻も早く解放されたいと努力していた。

ロシアはウクライナより早く欧州市場に組み込まれはじめた。なにしろ、ロシアは欧州で需要のある膨大なエネルギー資源を有すが、一方のウクライナは欧州向けの価格でエネルギー資源を買う状態にない。ウクライナの独立は、この瞬間にも激しい戦闘が行われている南東部がなければ、経済崩壊に終わった可能性が高い。ウクライナ南東部は巨大な生産能力と発達した産業を有しており、ウクライナを新国際分業体制に組み入れることができた。これは口に出して語られることはないが、1990年代、ウクライナを経済的に救い、そのおかげで政治的独立をも譲らずに済んだのはロシア語圏であるウクライナ南東部だった。

ここで別の事に目を向けていただきたい。1990年代以降、欧州で、そしてその境界線で、何百万人もの市民を巻き込んだ深刻な民族紛争や戦争が次々と勃発し始めた。これほど多くの民族間の争いは1991年の前にはなかった。このすべてがユーゴスラビアの崩壊、グルジア(ジョージア)、モルドバ、シリアの独自の統合力の喪失を招いた。欧州統一の規範からすれば、これは何も意味しない。なぜなら欧州統一の目的は欧州を多数の小国に分割することではなく、民族の別を超越する巨大な超国家的連合を作ることであり、これらの民族は互いを絶滅させることも、国境を増やすことも必要なく、共通の新世界を共に構築することを目指すからだ。それのどこが悪いのだ、ということになる。 

ところが冷戦を西側の勝利とする概念に立脚すると、民族紛争は全く違った意味を持つ。そして、この意味については何度も公言されてきた。例えば、1995年10月24日、米国統合参謀本部会議でクリントン米大統領は、「我々はソ連外交の失策と、ゴルバチョフおよび公然と親米派に回った、彼の側近らの極度の傲慢さを利用して、トルーマン大統領がソ連に対して原爆を用いてやろうとしていたことを実現した」という声明を表している。

このことから、欧米の政治家がこぞって公正な新世界を作ろうと思っていたわけでは全くない、ということがわかる。彼らの課題はソ連、ユーゴスラビアなど、敵を破壊することだった。民族対立を劇化させることは極めて理にかなっていた。紛争は敵を弱体化させる。勝利に終わった場合は、勝者が容易に吸収できるよう、その国をバラバラに分断するのに役立つからである。

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