広島の平和式典にロシアを招待せず
https://jp.sputniknews.com/20220526/11358381.html
2022年5月26日, 19:30 (更新: 2022年5月26日, 20:18)
毎年広島で行われている原爆投下の犠牲者を悼む平和記念式典に、ロシアの代表が招待されないことになった。ロシアのミハイル・ガルージン駐日大使が明らかにした。こうした広島市の決定は、日本人にとって重要な8月6日という日さえもが、反露的行動の「標的」になったことを証明するものとなった。
ロシア科学アカデミー極東研究所日本研究センターのワレリー・キスタノフ所長は、ウクライナ情勢を背景に、反露主義は西側だけでなく、日本でも、前例のない性格を帯びつつあると指摘し、次のように語っている。
「反露主義は、政治、経済、さらには文化に至るまで、文字通り、日本社会のあらゆる『隙間』に浸透しはじめています。たとえば、日本のオーケストラはウクライナとはなんの関係もないピョートル・チャイコフスキーの作品を演奏しなくなりました。(人類に対し、膨大な数の犯罪を犯した)ナチス・ドイツの時代でさえ、ソ連では政治と文化を混同することはなく、バッハ、ベートーヴェン、加えてヒトラーのお気に入りの作曲家だったワーグナーの演奏を取りやめたりすることはありませんでした。さらに、日本の政治家やメディアは長年にわたって(原爆投下の記念日の直前ですら)、事実上、原爆投下の原因について『踏み込んだ』発言をすることはありません。米国がそれをおこなったという事実には触れないようにしています。そこで、死の兵器がまるで自然発生的に広島に落下したかのような奇妙な印象が出来上がっています。つまり、恐ろしい犠牲をもたらした非人間的な行動は米国が行ったものであるということを、日本政府は徹底して黙秘しているのです」。
一方で米国政府には、公的に謝罪する機会があったが、それを利用するという考えは彼らの頭に浮かばなかったようだ。
2016年、米国大統領として初めて、バラク・オバマ氏が広島を訪れたが、その時ですら、大統領は日本の2つの都市に対する悪夢のような原爆投下について謝罪する必要があるとは考えなかった。これについてキスタノフ氏は次のように述べている。
「(原爆投下は)まさしく蛮行であり、戦時中の法に基づいても、まったく正当化できない行動であるにもかかわらず、です。というのも、戦争末期、すでに日本が降伏する用意があることははっきりとしていたときに、民間人が、非人間的な兵器により爆撃されたのです。事実上、日本人は、米国が新たな前代未聞の大量破壊兵器を実戦で使用し、ソ連を怯えさせるためだけに、『聖なる犠牲者』となったのです」。
にもかかわらず、米政府は、自身のいかなる行いに対しても、謝罪はしていない。人類に対する犯罪とみなされる行動に対しても、である。ましてや、米国は日本をアジアにおける主要な戦略的同盟国とみなし、軍事的なものを含め日本の技術(極超音波兵器の開発)に期待している。そのような日本に対してさえも、謝罪はない。
一方、広島に関する文脈における反露的なレトリックは今後ますます強まっていくだろうとワレリー・キスタノフ氏は予測している。
「ラーム・エマニュエル新駐日米国大使が最近、岸田首相と共に広島を訪れ、原爆死没者慰霊碑に献花したのです。そこで、他でもない米国がこの悲惨な出来事に関与したということが、せめて一言でも触れられるのが自然だったでしょう。しかし、米国側からも日本側からもそのような謝罪はまったくありませんでした。この広島訪問の主な目的は、プーチンはウクライナで核による悲劇の脅威を生み出しながら『核のこん棒』を振り回している、と再び反露的な発言を行うことだったのです。」
このような非難、そして広島の悲劇とロシアを「結びつける」ことは、日本政府が歴史的真実からますます遠ざかっていることを証明しているのである。
前の世代の人々が去った後、若い日本人は、広島と長崎の原爆投下には米国ではなく、ソ連に罪があると信じるようになるだろう。しかも、ロシアを非難するのに広島が選ばれたのは偶然ではない。原爆の犠牲となった都市と具体的な計画を結びつけているのは岸田首相自身であるとキスタノフ氏は確信を示している。
「岸田首相は広島出身であり、広島から選出された政治家です。ですから、断固とした反露的立場を取ることで、出身地で点を稼ごうとしているのです。とはいえ、新型コロナ対策が功を奏していることから、岸田首相の支持率はそれでなくても上昇しています。しかしポイントを稼ぐのに多すぎるということはありません。ですから、現首相は、2023年のG7サミットを広島で開催することを実現するのに成功したのです」。
さらに、7月には参院選が行われるため、岸田首相は、今後も有権者からより多くの票を集めたいと考えている。加えて、政府は、広島をも、反露的行動に引き込んでいるのである。一方、広島原爆死没者慰霊式の日には米国の代表が(現時点でも未だ公的に遺憾の意や懺悔を示すことなく)参列する。
これは歴史的な矛盾とは言えないだろうか?
0 件のコメント:
コメントを投稿
登録 コメントの投稿 [Atom]
<< ホーム