2023年2月22日水曜日

キーウを短期で制圧できず、プーチン氏が1年戦うはめになった理由 - 日経BP

https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00179/022000155/

2023.2.22

ロシアがウクライナに侵攻してから約1年がたつ。首都キーウ(キエフ)は「数時間で陥落する」との当初の見立て反して落ちず、戦争は収束する様子がない。それはなぜか。ロシアの軍事戦略に詳しい小泉悠・東京大学先端科学技術研究センター専任講師は、ロシア軍が抱えるゆがみを理由の1つに挙げる。

Q:ロシアがウクライナに侵攻してから約1年がたちます。侵攻が始まった当初、ウクライナの首都キーウは「数時間で陥落する」という見立てが盛んに報道されましたが、ウクライナは1年間、ロシアと互角に戦ってきました。これはロシアが弱かったと評価すべきでしょうか、それともウクライナが強かったのか。

どちらに評価するかによって、得られる教訓が異なるのではないか。前者なら、国際社会においてロシアが持つ影響力が今後減退していく可能性が考えらる。後者なら、政治指導者のありようや国民の士気、友好国との関係などに注目することになる。

小泉悠・東京大学専任講師(以下、小泉氏):どちらも正しいと考えます。

まずウクライナについてお話ししましょう。「ウクライナは弱い」というイメージがあるかもしれませんが、実はウクライナは大国です。その軍隊の規模は平時でも約19万6000人。旧ソ連の国々の中で10万人を超える規模の軍隊を持つのはロシアとウクライナだけです。人口もGDP(国内総生産)も旧ソ連で第2位。国土面積は第3位。よって、ロシア対ウクライナの戦争は大国同士の戦争です。

ウクライナは2014年にクリミア半島をロシアに奪われた後、軍改革を進めてきました。大きな力を発揮したのは18年に設置を決めた領土防衛軍です。平時のウクライナ軍は(1)職業軍人である将校と(2)契約軍人(志願兵)である下士官・兵士、(3)国民の義務として勤務する徴兵、そして(4)予備役*で構成されます。このうち(4)の予備役を戦力化する仕組みが領土防衛軍。ウクライナに25ある州ごとに旅団**を、州内にある地方自治体ごとに大隊を組織する。この階層化された仕組みを動かすことで、大量の民間人を迅速に動員できました。

*:徴兵を終え、ふだんは社会人として暮らしている人々。有事に動員される

**:旅団は軍隊の編成単位の1つ。複数の大隊から成る

ロシア軍は国家対国家の戦争を戦える状態になかった

次にロシアについて。ロシアも決して弱くありません。ただ、ゆがみを抱えているのは事実です。今のロシア軍は08年にセルジュコフ国防大臣(当時)が主導した軍改革によって骨格が作られている。この改革の前提は、第3次世界大戦は起きない、国家と国家による戦争はない。目的は、小規模な地域紛争に対し迅速に対処できる体制に転換することでした。

Q:米国は01年の同時テロを機に、軍の体制を対テロ戦仕様に転換しました。これと同様の動きと理解してよいですか。

小泉氏:その通りです。

具体的には、「大隊戦術グループ」を主体とする体制への転換を進めました。1個歩兵大隊を中心に、戦車1個中隊と砲兵2〜3個中隊から成る組織です。それまでは、複数の大隊から成る連隊の単位で行動していました。

このセルジュコフ国防大臣が12年に失脚。それを機にロシア軍は、国家対国家の戦争が戦えるよう徐々に再転換していたのですが、戻りきらないうちに今回の侵攻が始まりました。

Q:再転換はどうして起きたのですか。プーチン大統領がウクライナ侵攻を真剣に考え始めたからでしょうか。

小泉氏:理由の1つは、プーチン大統領が14年にウクライナのクリミア半島を併合したことにあります。西側諸国との関係が悪化したため、もしもの国家間戦争に備える必要が生じました。

彼は軍の拡大に反対の立場です。大国主義者ではありますが、軍国主義者ではありません。ソ連国家保安委員会(KGB)の出身なので、情報戦や諜報(ちょう)戦の方が嗜好に合った。また同大統領は経済戦にも理解があります。サンクトペテルブルク鉱山大学で博士号を取得する際、論文のテーマは「エネルギー資源を国家管理下において国家戦略に利用する」でした。部下に書かせたものだとは思いますが。

セルジュコフ改革もこうした嗜好に基づいて命じたのでしょう。しかし、この改革は将軍たちの大きな抵抗に遭いました。セルジュコフ氏は剛腕で、多くの将軍から職を奪った。それで恨みを買い、汚職を暴かれて失脚したとみられている。プーチン大統領といえども、国家間戦争にこだわる将軍たちに思考方法を改めさせることが難しかったのです。

とはいえ、国家間戦争を十分に戦える状態には至りません。1つには時間が限られていた。加えて、ロシアの経済力が大規模な軍隊の編成を許さない状況があります。ロシアのGDPは1兆5000万ドル(約200兆円)ほどで韓国と同程度です。プーチン大統領は国防費をGDP比2.5〜3%に抑えてきました。これも同氏が軍国主義者ではないことの表れと言えるでしょう。

韓国の対GDP国防費率も3%程度なので、両国の国防費は同じくらい。その予算でロシアは核兵器を保有し、空母を運用する。陸軍の大規模化に充当できる額は限られる。核兵器や空母は予算を減らすと維持が困難になります。これに対して陸軍は、平時には人員を減らすことができるので削りしろがある。

ロシアの現行の陸上兵力は陸軍が約28万人、空挺(くうてい)部隊と海兵隊が合わせて約8万人で、合計約36万人にすぎません。これは陸上自衛隊の定員(定員約15万人)のおよそ2.5倍にとどまります。この少ない人数で日本の45倍超ある広い国土を守っているのです。

Q:「ロシアは陸軍大国」というイメージを持っていましたが、これは間違いですね。

小泉氏:そうです。36万人すべてを投入しても、守るウクライナの約20万人に対して2倍にもなりません。よってロシア軍がウクライナ軍を圧倒することは難しいのです。

Q:「攻者3倍の法則」を満たせていないですね。一般に、攻め手は守り手の3倍の要員が必要と言われている。

小泉氏:そうですね。「36万人すべて」とお話ししましたが、現在投入できるのは15万人程度にとどまると思われる。プーチン大統領は戦争を宣言しておらず、特別軍事作戦を展開中。よって今は「平時」です。平時においては約20万人に及ぶ徴兵を戦地に送ることはできません。

ロシア軍がウクライナに投入できるのは、職業軍人と契約兵の約15万人。陸上自衛隊が、日本の1.6倍の国土面積を持つウクライナに攻め込んでいるようなものです。兵士の人数が全く足りません。大隊戦術グループは通常600〜800人で構成します。壊滅した同グループを調べるとその半分程度しか兵士がいなかったことが分かる。

Q:陸上自衛隊の定員が適正だとして、日本の国土を守るのに必要な陸上兵力が15万人。1.6倍の国土を守るのに必要なのは24万人、「攻者3倍の法則」を考えれば72万人が必要になる計算です。

小泉氏:以上の状況を考えると、ロシア軍が苦戦するのも無理ありません。

ご質問への答えをまとめると、以下の3つが言えると思われる。第1は、クリミア半島を失った後に改革を進めたウクライナ軍が非常に強くなっていた。第2は、ロシア軍のセルジュコフ改革が想定した戦争の姿と、ウクライナ侵攻の現実とが食い違っていた。第3は、プーチン大統領がウクライナ侵攻を戦争と位置づけていないため、軍の総兵力を最初から投入できなかった。

Q:ここまで、ロシアによるウクライナ侵攻が当初の見立てに反して、1年にわたって続いてきた理由を伺いました。ロシア軍が弱かったからなのか、それとも、ウクライナ軍が強かったのか。キーワードの1つは「国家対国家の戦争」でした。ロシア軍は国家対国家の戦争に対応できていなかった。

しかし、この侵攻の目的に立ち返って考えると、そもそも国家対国家の戦争が必要だったのか疑問です。小泉さんは、今回の侵攻の目的を、ロシアがウクライナを属国化することにあると分析されています。プーチン大統領の頭の中では、ウクライナは主権国家ではなく、ロシアの一部にすぎない。その本来の姿に戻すため、親欧米のゼレンスキー政権を倒すことにあった。プーチン大統領が当初、侵攻の理由として挙げた「非軍事化」と「非ナチ化」はそれぞれ武装解除とゼレンスキー政権の退陣を意味する。

そうだとすると、14年のクリミア半島併合時のようなハイブリッド戦が適していたのではないでしょうか。

小泉氏:ロシアは当初、ハイブリッド戦争を仕掛けました。しかし、いくつかの誤算が生じて失敗。ハイブリッド戦がかなわず国家対国家の戦争に進展しまったのです。

ロシアが試みたのは、キーウに近いアントノウ空港を占拠し、ここを拠点にゼレンスキー政権を排除するとともに親ロシア派の傀儡(かいらい)政権を立てる。すなわち斬首作戦でした。しかし、ウクライナのスペツナズ部隊や内務省国家親衛軍が善戦して、同空港の滑走路を破壊。ロシアの後続輸送部隊が着陸できないようにして、斬首作戦を頓挫させました。

ロシアはこのほかにも、ウクライナの情報機関である保安局(SBU)に内通者のネットワークを築き、重要施設へのアクセスを手引きするよう準備を進めましたが、狙い通りのサポートは得られませんでした。

さらに、ウクライナのゼレンスキー大統領の振る舞いが危機に臨む政治指導者のあり方として非常に優れていたことも誤算だったでしょう。同氏は政治経験がほとんどなく、侵攻が現実となるまで危機を正しく認識できていなかった節もみられます。しかし、大統領府にとどまっている状況を自撮りして発信し続け、国民から信頼を得るとともに、国民の継戦意識を高めました。

もし、ロシアによる斬首作戦が成功していれば、史上最大のハイブリッド戦争として戦史の教科書に残っていたと思います。

Q:確かに当初は、「戦場の外部」*を対象とする、ウクライナ国民の戦意をそぐことを意図するロシアの攻撃が見られました。ウクライナの中央省庁はDDoS攻撃**を受けてウェブサイトがダウン。変電所では停電を招くコンピューターウイルスが発見されました。

*:小泉氏は、ハイブリッド戦争を定義するのに「戦場の外部」に対する働きかけの有無を重視する。「戦場の外部」とは人々の認識などを指す

**:コンピューターやサーバーに過負荷をかけるために大量のデータを送信する攻撃

けれどもウクライナは米国の協力を得るなどして大きな被害を出さなかったという話を耳にしています。例えば、ウクライナの鉄道システムがマルウエア(悪意のあるプログラム)「ワイパー」に感染していることを米国の支援チームが発見し事前に駆除したことがありました。NTTの松原実穂子チーフ・サイバーセキュリティ・ストラテジストは「これを見逃していれば、100万人のウクライナ市民が鉄道で東欧に避難することはかなわなかった」と指摘しています。

小泉氏:そうですね。加えてウクライナは、ディスインフォメーション(偽情報)を使った認知戦をロシアにさせませんでした。14年のクリミア半島での戦いから教訓を得て、ロシアのSNS(交流サイト)「フコンタクチェ」や「アドナクラースニキ」へのアクセスを事前に遮断しました。

フコンタクチェはロシア最大のSNSで、14年当時、ウクライナ国民4500万人のうち2000万人がアカウントを持っていた。ロシア系住民などが、ここに流れる偽情報に翻弄された経緯があります。

親ロ派のテレビ局3局も停波処分に。これは対ロシア政策というより、ゼレンスキー大統領による反対派弾圧だったのですが、結果的にロシアによるプロパガンダを防ぐ効果を発揮しました。

斬首作戦に失敗し、ハイブリッド戦争が継続できないことは、侵攻開始から数日で明らかになりました。プーチン大統領に与えられた選択肢は、撤退か、全面戦争か、の2つです。そしてプーチン大統領は古典的な全面戦争を選びました。ここで撤退すれば、国民に合わせる顔がありません。

小泉悠(こいずみ・ゆう)

東京大学先端科学技術研究センター専任講師。専門はロシアの軍事・安全保障政策。1982年生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科を修了。外務省情報統括官組織の専門分析員などを経て現職。近著に『「帝国」ロシアの地政学「勢力圏」で読むユーラシア戦略』『現代ロシアの軍事戦略』『ウクライナ戦争』など。 

【講評】

ようやくまともな人を登場させるようになった日経である。

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