2023年10月16日月曜日

ユダヤ人とアラブ人の争いに西側諸国は関係ないと言うのは軽率だ。西側諸国は犬だ。

https://www.unz.com/jfreud/its-disingenuous-to-say-the-west-has-no-dog-in-the-fight-between-jews-and-arabs-the-west-is-the-dog-the-problem-of-jewryanism-or-jewish-aryanism/

ユング・フロイト 2023年10月12日

ユダヤ人とアラブ人/イスラム教徒の敵対関係の歴史は深く、したがってアメリカ。(と西洋)はこの争いに関与してはならないと主張する人がいる。彼らは間違っている。ユダヤ人とアラブ人/イスラム教徒の対立は比較的最近のことであり、2つの集団の間の長年の敵意の結果というよりは、西洋の中東への介入の産物である。シオニスト計画によるユダヤ人のパレスチナ植民地化がなければ、ユダヤ人とアラブ人/イスラム教徒の間の緊張はほとんどなかった。アラブとイスラムの世界が世界のユダヤ人に敵対するようになったのは、西側諸国と一時はソ連からの重要な支援を受けた近代ユダヤ国家計画のせいである。

歴史的に見れば、ユダヤ人社会とアラブ・イスラム社会は、ユダヤ教徒とキリスト教徒よりも仲が良かった。ユダヤ人をキリスト殺しとみなすキリスト教徒とは異なり、イスラム教徒はユダヤ人を啓典の民とみなしていた。また、文化的なレベルでは、ユダヤ教徒もイスラム教徒も食事などのタブーを共有していた: 豚肉は食べないが、キリスト教徒はユダヤ教徒から見れば不潔な豚食いだった。アラブ系セム人とユダヤ系セム人は多かれ少なかれ似たような顔をしていたのに対し、ユダヤ人の表現型はヨーロッパ、特に北部では明らかに異なっていた。

スペインやアナトリアでは、イスラム教徒とキリスト教徒の歴史的な対立の中で、ユダヤ人が前者を支持し、キリスト教徒に対して喜んで協力することが多かった。その上、レバントではアラブ人とイスラム教徒がユダヤ人を圧倒しており、後者は聖地を祖国として取り戻すという現実的な考えをほとんど抱いていなかった。そのようなことが可能になったのは、技術や産業においてイスラム世界をはるかに凌駕するようになった西洋の台頭と、金融、法律、文化、メディアの支配を通じて西洋におけるユダヤ人の影響力の増大があったからにほかならない。西洋とユーロ圏、特にイギリス、皮肉なことに国家社会主義ドイツ、ソ連。(強力なユダヤ人派閥を持つ)、アメリカに対するこのような影響力がなければ、ユダヤ人が聖地を植民地化したり、ユダヤ人の国として「取り戻す」チャンスは100万分の1もなかった。

ユダヤ人とアラブ人、イスラム教徒の対立が、西洋が距離を置くべき異民族間の古代のいさかいであるという考え方は幻想である。この紛争は、ユダヤ人の影響力によって、パレスチナにユダヤ人国家が成立するような人口的・経済的条件を作り出す方向に舵を切った西洋が作り出した。

言い換えれば、この紛争は西側諸国とユーロ圏。(ロシアを含む)の介入によって引き起こされ、永続化したのである。国家社会主義のドイツでさえ、ユダヤ人に対するイデオロギー的な敵意にもかかわらず、特定のユダヤ人派閥と協力してヨーロッパのユダヤ人のパレスチナへの移住を促進した。

西洋の介入がなかったら、ユダヤ人とアラブ人/イスラム教徒の対立はほとんど起こらなかった。(1)アラブ人/イスラム教徒とユダヤ人は、ユダヤ人。(およびキリスト教徒やその他の非イスラム教徒)を二級「市民」としてではあるが、平和的に共存することを長い間学んでいた。(2)ユダヤ人は、聖地がアラブ人、イスラム教徒、キリスト教徒の支配下にとどまるという事実を受け入れていた。

アラブ人/イスラム教徒とユダヤ人の間の平和が失われたのは、シオニスト・プロジェクトがその財政的・メディア的影響力を総動員して、パレスチナ人の土地にユダヤ人の国家を建国することを現実的な可能性とするよう、ヨーロッパ列強。(そしてその後、アメリカとソ連)を誘導したためである。ユダヤ人はそれを「土地なき民のための民なき土地」として売り込んだ。

ユダヤ人のナショナリズムは、アラブのナショナリズムとともに、ヨーロッパ、特にフランス革命とアメリカのプロジェクトによって開拓された近代ナショナリズムをモデルとしていた。それ以前、誰もが覚えている限り、ユダヤ人はアラブ人と平和的に共存していた。

特に第一次世界大戦中、イギリスとフランスはアラブ人の民族主義的意識を煽り、オスマン帝国に対する反感を抱かせた。同時にイギリスは、新興のユダヤ人ナショナリストとパレスチナの一角をめぐって取引を行った。ユダヤ民族主義とアラブ民族主義が衝突するのは時間の問題だった。だから、欧米人がこの紛争を、欧米は何の利害関係も関係もない、長年続いてきた血の抗争だと片付けるのは軽率だ。今日の西洋がユダヤ帝国の中心であり、ことあるごとにユダヤ人至上主義者の言いなりになっているとすれば、なおさら馬鹿げている。

この紛争は、アラブ人/イスラム教徒と中東。(ミズラヒ)系ユダヤ人との間のレバントで発生したものではなく、ヨーロッパ系ユダヤ人、特にアシュケナジム人によって扇動されたものであった。彼らのシオン。(ユダヤ人国家)構想は、ヨーロッパ帝国主義の植民地化と民族解放。(脱植民地化)の二面性を持っていた。

ある面では、ユダヤ人はヨーロッパの帝国主義者や植民地支配者に倣ったのだが、同時に自分たちのプロジェクトを、聖地を脱植民地化し、正当な所有者である自分たちの手に取り戻すための手段だとも考えていた。

シオニズムは宗教的なものではなく、世俗的、社会主義的、民族主義的なものであったと主張されてきたが、ユダヤ人の祖国の地としてパレスチナにこだわったことは、精神的な考慮も示唆している。ユダヤ人が単に祖国を必要としているだけなら、オーストラリアやカナダ、アラスカ、アフリカのヨーロッパ植民地などの無人の地域を購入すればよかったのではないか。(一時期、ウガンダがユダヤ人の祖国として提案されたことがあった。もしそうであったなら、紛争はユダヤ人とアフリカ系黒人の間で起こることになり、アメリカにおけるユダヤ人と黒人の同盟をはるかに困難なものにしていただろう)。シオニズムの精神主義的側面を否定することはできない。というのも、もし本当にユダヤ人が安全な故郷と呼べる場所を探していたとしたら、不満を抱えたアラブ人やイスラム教徒に四方を囲まれたパレスチナほど悪い場所はないだろう。

シオニスト計画は、西側諸国からの積極的な支持と否定的な迫害の両方によって勢いを増した。国家社会主義ドイツとシオニストの極右派閥が協力し、ヨーロッパのユダヤ人をパレスチナに再定住させるという方針を共有したように、迫害と支援が組み合わさったケースもあった。また、ロシア革命によって多くのユダヤ系ボリシェヴィキが台頭したとはいえ、反共産主義ユダヤ人やレーニン主義に幻滅した社会主義ユダヤ人も追い出され、その一部はパレスチナに向かった。(彼らはヨーロッパやアメリカの他の地域を好んだが。)第二次世界大戦におけるドイツの勢力の拡大は、ユダヤ人がヨーロッパにとどまることをより危険なものとし、より多くのユダヤ人が万が一に備えてユダヤ人の祖国の必要性を確信した。

ヨーロッパとアメリカの中東への干渉は、さまざまな民族間の長年の均衡を崩した。ギリシャ人とアルメニア人ははるか昔にトルコから独立し、最近ではサダム・フセインが倒れた後のイラクでクルド人が独立した。リビアは今、哀れな状態にある。イラクではクルド人が得をしたとすれば、キリスト教アラブ人はアメリカの侵攻後、ひどい目にあった。

スンニ派、シーア派、クルド人から、征服者である『キリスト教』アメリカの好意的な協力者として疑惑の目で見られ。(それは事実ではないことが判明した)、イラクのアラブ系キリスト教徒はあらゆる方面から標的にされ、その数は激減した。その後、アメリカ、イスラエル、トルコ、サウジアラビアの連合軍が直接的、間接的な手段で行った戦争により、シリアのキリスト教アラブ人は最も不安定な状態に置かれた。アメリカのイラク侵攻の余波を受けたイスラム教徒の報復を受け、多くの人々がシリアに避難したが、彼らは、欧米、イスラエル、トルコ、サウジアラビアによって武装・援助された中世主義のイスラム過激派によってシリアが蹂躙されるという見通しに直面した。要するに、彼らには他に逃げ場がなく、虐殺されることになるのだが、ユダヤ人にとってはそれでよかったのだろう。というのも、アラブ・キリスト教界が根絶やしにされることで、キリスト教に対する根深い憎悪を抱き、イスラエルでキリスト教徒に唾を吐きかけることを容認/奨励するユダヤ人よりも、イエス・キリストを敬愛するキリスト教徒アラブ人と自分たちの方が共通点が多いことに、西側のキリスト教徒がようやく気づく可能性があるからだ。欧米のキリスト教徒は、アラブのキリスト教徒に対してよりも、アラブのイスラム教徒に対してユダヤ人を支持する傾向が強い。ジョージ・W・ブッシュのようないわゆるキリスト教徒が、超シオニスト・ネオコンに奉仕するためにイラクのアラブ・キリスト教コミュニティーの破壊を見過ごすことを厭わなかったという事実は、アメリカの白人キリスト教徒コミュニティーがいかに卑劣で、腐敗し、悪徳になっているかを示している。

いずれにせよ、アラブ系イスラム教徒とアラブ系キリスト教徒のコミュニティは、長い間、比較的平和に共存していたのである。当時、パット・ブキャナンはこの悲劇を嘆いた数少ないコメンテーターの一人であったが、ほとんどの白人キリスト・カックス保守派はシオンの毛玉をマッサージするのに忙しかった。

ユダヤ至上主義に対する欧米の屈託をどう説明するのか。その理由の一つは、ユダヤ至上主義がナチズムという至上主義イデオロギーの手による被害者意識のカルトに覆われているからである。ホロコースト・カルトは、ユダヤ人をアーリア人至上主義の不運なセム系犠牲者として描くことで、ユダヤ人権力の至上主義的本質を見えなくしている。

それは、東京大空襲や原爆による広島・長崎の破壊など、戦争犯罪とみなされかねない恐ろしい出来事によって、日本人をアメリカ帝国主義の不幸な犠牲者とみなすようなものだ。しかし実際には、日本もまた排外主義と権力欲に駆られた帝国主義大国だったのだ。日本が最悪の形で敗れたからといって、日本自身の暗い野心、侵略、残虐行為が否定されるわけではない。同様に、無残にノックアウトされたボクサーは同情されるかもしれないが、彼は相手をノックアウトするためにリングに上がった。

ドイツで国家社会主義が台頭した理由のひとつは、ユダヤ人がゴイムを支配する支配者として権力を得ようとしているという、正しい認識だった。もちろん、ユダヤ人はこのことを明言しなかったが。(そして彼らの多くは無意識のうちにしか感じていなかったかもしれない)、ユダヤ人を彼らの行動と意図によって判断するならば、最終的な結果は、ドイツのゴイムがユダヤ人のゴイムの下に服従することでしかなかった。

しかし、アーリア人至上主義による被害者意識の霧の中でユダヤ人至上主義が難解になっているのは、その半分に過ぎない。ユダヤ人・セム人至上主義の横行が許されているもう一つの理由は、ドイツ人・アーリア人至上主義が多くの人々、非ドイツ人・アーリア人にさえ歓迎された理由と似ている。

多くの白人はユダヤ人のパワーにすっかり魅了され、畏敬の念を抱いている。彼らはユダヤ人を、選ばれし者、超民族、マスター・レース、超成果者、そして/または超一流の天才とみなしている。

ユダヤ人が偉大な民族であったことは事実であり、ユダヤ人の才能を賞賛することは理解できる。問題は、偉大な力が必ずしも良い力ではないということだ。偉大な人間が善でなく、悪にさえなることがあるように、偉大な民族も悪に誘惑されることがある。いくらユダヤ人の才能や天才があっても、ユダヤ人が行う悪事、特に弱い立場の人々の人間性を奪い、破壊する行為を正当化することはできない。

ある意味では、ユダヤ人=セム人の悪はドイツ系アーリア人の悪よりもたちが悪い。少なくとも、ドイツ系アーリア人のアジェンダは公然のものだった。アドルフ・ヒトラーをはじめとする国家社会主義イデオローグたちは、それを誰の目にも明らかだった。これとは対照的に、ユダヤ人=セム人のアジェンダは「民主主義」として提示されているが、実際にはユダヤ人は西側で最も反民主主義的な勢力である。ユダヤ人は「人権」や「ルールに基づく秩序」の名の下に、自分たちの至上主義的なアジェンダを実行している。ユダヤ人たちは、ウラジーミル・プーチンは新しいヒトラーだと言うが、その一方でウクライナの実際のナチス的要素を援助している。イスラエルがシリアにおけるISISのテロリズムの主要な支援者の一人であったにもかかわらず、ユダヤ人は今、ハマスとISISを比較している。

もしドイツ系アーリア人がロシアに対する彼らの邪悪な意図のために自分たちの戦いを戦い、少なくとも死んでいったとしたら、ユダヤ人はシオンのために他の人たちに戦争を戦わせる。

中東では、ユダヤ人はアラブのさまざまな国や部族、イスラム教の宗派の分裂を利用し、ある「ゴロツキ」の集団を別の「ゴロツキ」に仕立て上げた。イラクは1980年代にイランと対立させられ、最近でも、シーア派が支配するイランとイラクの同盟国であるシリアとの戦争を支持するよう、さまざまなスンニ派国家が誘導された。ようやく、サウジアラビアとイランがある程度和解し。(そしてシリアがアラブ連盟に再加盟し)、アラブ人とイスラム教徒は目を覚まし始め、ユダヤ人至上主義のグローバリスト・ゲームの駒として使われるのは愚かなことだと気づき始めたようだ。さまざまなアラブ人やイスラム教徒が、自分たちの意見の相違を解決できず、ユダヤ人が牛耳るアメリカに煽られて互いに戦争をしても、何も得るものはない。(実際、ハマスでさえその起源はイスラエルの支援にある。ユダヤ人は、パレスチナのイスラム主義者を世俗的なPLOに対抗させるために利用することを望んでいたからだ。)

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