2024年8月19日月曜日

デクラン・ヘイズ:ウクライナの将兵は反乱を起こさなければならない。

https://strategic-culture.su/news/2024/08/16/kursk-prussian-field-marshals-do-not-mutiny-but-ukrainians-generals-must/

2024年8月16日

投票という選択肢はもはやなく、薬物中毒ゼレンスキーによる最後の砦の妄想は何の役にも立たない。将兵らは降伏し、ゼレンスキーの金儲け詐欺から自分自身と家族を引き離すためにできる限りのことをしなければならない。

クルスク、ハリコフ、ベルゴロドというロシアの都市は、80年前の今頃、マンシュタイン、モデル、ハウザー、グデーリアンというドイツ国防軍最高司令部の精鋭たちが赤軍と激突したときと同じように、再びニュースになっている。

第3次ハリコフの戦いにおけるドイツ国防軍の勝利の立役者であるマンシュタインは、アウステルリッツのナポレオンのように反撃の達人であった。アウステルリッツのナポレオンのように、彼は仕事を成し遂げるための道具を持っていた。彼の場合、その道具とは親衛隊のダス・ライヒ師団とアドルフ・ヒトラー親衛隊のライプシュタンダルトであり、赤軍の側面に激突して彼らを窮地に追い込んだ。

マンシュタインが作戦の天才であり、要求されたことをこなすだけの兵員を手元に置いていたのに対し、戦略的、作戦的、戦術的優位性すら望めず、最高の兵士をクルスクで破滅に追いやったウクライナ軍最高司令部に同じことは言えない。

ウクライナ人と彼らが奪ったロシア人捕虜は、脱出も援軍も望めずクルスクで立ち往生している。部下たちの首をロシアの縄にかけたウクライナ人将兵の愚かさは前例がない。ウクライナ人にクルスクを許したロシア軍は、彼らを追い詰めるだろう。彼らの偉大な祖父たちが、スターリングラードでパウルスとともに降伏しなかった7000人ほどのSSのはぐれ兵を追い詰めたように。

ゼレンスキーにとっては、NATOの新聞に掲載された意味のない見出しのために払った代償は大きかった。マンシュタインが西ウクライナで赤軍の大軍勢に対抗する防衛線を確立しようとしたときに直面した試練と、非常に類似点がある。マンシュタインと彼の仲間のプロイセン野戦司令官たちは、赤軍の流れを食い止めるため、精神性神経症を持つ小柄なボヘミアン伍長ヒトラーに貴重な時間と資源を浪費しなければならなかった。

この原稿を書いている時点では、ロシア軍はウクライナ軍をすり潰し続けているだけでなく、ポクロフスクとニウヨルクにある重要な防衛線を弱体化させている。ウクライナの防衛線が今月末に崩壊すれば、クルスクで無謀にも犠牲になった戦略的予備軍を奪われたウクライナ軍は真っ逆さまに後退することになるが、ロシアの進撃を食い止めるマンシュタインもモデルもいない。

ウクライナが反撃する権利を否定するものではないが、そのような決断はウクライナの有能な将兵が下すべきものであり、女装ゼレンスキーや、NATOのラムシュタイン空軍基地にいる、何の利害関係もないデスク将兵が下すべきものではない。

クルスクがこのグリズリーショーの終着点ではないが、1943年のクルスクと同様、ロシアの勝利の結末はすでに決まっている。ヒトラーが頭脳を吹き飛ばすわずか数日前、フェルディナント・ショルネール第12ドイツ国防軍元帥はバウツェンの戦いでポーランド軍に壊滅的な損害を与えた。

1945年4月、ドゴールはドイツ降伏後の戦利品分配で出し抜かれるのを嫌って、孤立したロワイヤン・ポケットにミニDデイ攻撃を仕掛けたが、これはどう考えても戦争犯罪だった。

ゼレンスキーの部下たちの戦術的選択肢を否定するものでもない。ヒトラーのお気に入りの兵士であり、ムッソリーニを山の牢獄から脱出させ、チトーを捕虜にし、ホルティーの息子を誘拐してハンガリーを戦争に参加させ、その他にも数々の大活躍をし、チャーチルがヨーロッパで最も危険な男と冷ややかに評したオットー・ゾルツェニーを思い浮かべる。

「プロイセンの野戦元帥は反乱を起こさない。」

プロイセンの野戦司令官は反乱を起こさない。7月の陰謀家が、ドイツ国民の首からヒトラーの石臼を取り除くという陰謀に加わるようマンシュタインに要請したときの、マンシュタインの有名な言い返しがそれだった。プロイセンの野戦司令官たちがボヘミアの伍長に感じていた誤った忠誠心がどうであれ、1944年7月20日からヒトラーが表舞台から退場する1945年4月30日までの間に、マンシュタインの主張が道徳的な根拠を持つには、あまりにも多くのドイツ軍兵士と民間人が死んだ。ヒトラーは去ったが、ゼレンスキーはそうではない。純粋に愛国的なウクライナ人は、彼や彼のような人物をチェス盤から排除する方法を日夜画策しているはずだ。

ロシア・トゥデイの報道によれば、国連はクルスクでのウクライナの戦争犯罪の疑いについて少しメモを取るために、クルスクにアクセスすることを望んでいるという。私に言わせれば、ロシアは国連に対し、パレスチナかシリアに行くよう丁重に言うべきで、ロシアとクルスクに戻るのは、NATOの犯罪現場からロシア政府が承認できるような具体的な成果を上げてからにすべきだ。クルスクに関しては、ロシアは国連に対し、彼らの祖先がマンシュタインの恵まれない男たちに対処したのと同じ方法で、この問題に対処すると言うべきだ。

ウクライナのオットー・スコルツェニスとジョン・ランボスがクルスクから脱出し、マンシュタインの古巣であるクルスク、ハリコフ、ベルゴロドで勝利を収め、おそらくはウクライナのカルパティア山脈(ナチスがワーグナー的撤退を目論んだアルプス山脈に相当)で最後の抵抗をすることもできる。

第三帝国の退場と同じように、ウクライナの傀儡帝国の終焉もまた、マンシュタイン、スコルツェニー、ハウザーのような傀儡が何人いたとしても、映画のようなものにはならない。ウクライナ人が今できることは、この悪夢を自分たちにもたらしたゼレンスキーを排除し、クルスクとベルゴロド周辺の土地と緩衝地帯をロシアに割譲し、ブラックロックやゲイツ、その他の絨毯爆撃機をウクライナ西部から追い出し、あらゆる困難を乗り越えて、世界と自分たちの両方が平和であるような、ささやかな正常性への道を少しずつ歩み始めることだ。

ウクライナを最も卑劣で言語に絶する方法で利用し、虐待してきたNATOは、ゼレンスキーの莫大な資産ポートフォリオを管理するアメリカやスイスのポートフォリオ・マネージャー以上に、ウクライナの福祉など気にかけていない。ウクライナは、1945年4月のドイツと同様、勝利の見込みがないため、ゼレンスキーのような自分たちを奈落の底に突き落とした者たちを排除することで、サバイバルモードに入るしかない。彼らがそれを達成するのが難しいのと同じくらい、私がそれをタイプするのも簡単なことではあるが、ゼレンスキーとその仲間の寄生虫たちを切り捨てない限り、現在ドイツの44年7月の瞬間にいるウクライナは、やがてベルリンの45年4月の瞬間を迎える。それが彼らの大きな問題であり、彼らが好むと好まざるとにかかわらず、ロシアの軍隊は、自らに課した地獄から彼らを救い出すための解決策の非常に大きな部分を占めている。彼らはゼレンスキーに投票し、地獄を見た。NATOが陥れた罠から抜け出すために投票するという選択肢はなかった。投票という選択肢はもはやなく、ゼレンスキーの薬物中毒による英雄的な最後の砦の妄想は何の役にも立たない。彼らは降伏し、将校を無力化し、ゼレンスキーの金儲け詐欺から自分自身と家族を引き離すためにできる限りのことをしなければならない。

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