東京外大:日本語で読む外国記事 イラン映画:イランで年老いた孤独な女性として生きること
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イラン映画:イランで年老いた孤独な女性として生きること
2024年09月20日付 Milliyet 紙
監督陣に対して、イランで出国禁止令が出された『私が一番好きなケーキ』は、年老いて孤独であることを、国の特殊なやりきれない状況とともに物語っている。
『Keyke Mahboobe man/ 私が一番好きなケーキ』は、今年、ベルリン国際映画祭で最も関心を引いた作品だ。私達は、イランの映画人の手による貸家の連続殺人鬼の映画を鑑賞した。アンダーグラウンドの音楽の持つ影響力について目撃した。初めて関係を持った二人の若者が病院から病院へと移り渡る様子も観た。しかしながら、二人の老人がたった一晩の関係によってでさえ、孤独であることの解決策を見出すことができない様は
これまでに観たことがない。イラン人監督マリヤム・マガダム、そしてベフタシュ・サナーエハが手掛けた、『私が一番好きなケーキ』はこの観点から、大変大きな転換作となったのだ。もちろんのこと、この成功に対して何も罰が与えられないはずはなく、二人の監督たちはワールドプレミアが行われたベルリン国際映画際に参加すること、更にイラン国外に出国する許可が与えられなかったのだ。
現在70歳代であるマヒンは、未亡人である。娘は、もちろん国の独裁体制から逃れるために国外で生活の基盤を作ることを望んだ。マーヒンの人生は、家で娘との電話をすることで過ぎていく。ある日、友人たちと家に集まったときに、彼らの提案に耳を傾ける。そして自分の人生と繋がりを作れるような新たな関係性のために適した候補を探し始める。パンを買う人の列で、散策した公園で、自分の年齢に適している、そして心がつながる同伴者となるボーイフレンドを探している。
仕事を定年している地元の群衆の中で、たったひとりで食事をしていたタクシードライバーのファラマラジを自宅に招待する。
マヒンのキャラクターは、ローカルとグローバルの観点から非常によく描かれているようだ。マーヒンの状況というのは、実際のところ地理的な次元を超えた孤独の状態である。孤独な老人たちの抑圧されている状況というのは、最も発展をしている国々でさえも感じることができる。イランにおける状況は、その上に更に苛烈なものがある。
なぜならば、女性は家以外に一人になることができる生活の場というのが存在しないからだ。服装の問題から、その側に誰がいなければならないのかということに至るまで
全てのことが様々な条件によって規定されている。マーヒンは、(西洋化政策があった)
シャーの時代に生きていたので、より幸運な世代の生まれだ。風紀警察が拘束しようとした若い女性を守ろうとしたのも、このためだ。
マーヒンが、自分の中のやりきれなさを見つめた後で、ファラマルジと親密になる展開は、ロマンティシズムとユーモアが入り混じった瞬間だ。お互いに知り合おうとする努力、若者であるかのように振る舞う様、まるで初恋かのような興奮した二人の様子は映画の感情を一つ上の段階へともたらしている。リリー・ファルハドゥポールは、マーヒンの役、エスマイル・メフラビファラマルズ役でとても成功を収めている。
■息をつくことができない
監督そしてシナリオライターたちの、フィナーレに向かっての企みでは『女性には名前がない』から『イランでは女性が息をすることができない』という状況が展開される。
明け方の明るみから夜の暗さにまで至る物語で、希望を持とうとしても映画は私達に息をつかせることがない。急に予期せぬフィナーレへの移行は、観客たちに非常に衝撃を与えることがあったとしても、これらがおこったことと、閉じられたドアの後ろで、沈黙も、悲しみも実際には存在していたにもかかわらず、まるでないかのように振る舞われていたというのは、この国に生きる私達にとってもすっかり慣れ親しんでしまっていることと言える。
『私の一番好きなケーキ』はこのために深い余韻を鑑賞後に残すことになる。
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