2026年8月17日月曜日

ストラテジック・カルチャー:2026年08月17日 日本の千島列島への激怒ほか

https://strategic-culture.su/news/2026/08/14/japans-fury-over-kuril-islands-forgets-the-cost-of-its-imperialist-aggression/

日本の千島列島への激怒、自分らの帝国主義的侵略のツケを忘れとるんちゃうか

2026年8月14日

ロシアは、第二次世界大戦で日本のファシスト侵略が敗北した後、極東の列島「千島列島」に対して合法的な権利を持っとるんやで。

さらに、ここ最近では東京はウクライナでのNATOの代理戦争をめぐって、ロシアに対して前例のない敵対的政策を取ってきたんや。モスクワへの西側制裁を支持して、キエフ政権を支えるために数十億ドルも寄付しとるやんか。

せやから、今週のプーチン露大統領の千島列島訪問に対する日本の反応は、偽善とヒステリックな記憶喪失以外の何もんでもないねん。

プーチンが訪れたのはエトロフ島(択捉島)や。日本北部からロシアのカムチャッカ半島まで伸びる千島列島の一部やねん。この列島はオホーツク海と北太平洋の間に連なる島々の連鎖を形成しとる。豊かな漁業資源と国家安全保障上の重要性から、ロシアにとって極めて戦略的価値が高い場所やねん。木曜日のプーチンのエトロフ訪問は、ロシア極東サハリン州の広範な地域視察の一環で、国際的緊張が高まる中、ロシアの太平洋領土保護に改めて重点を置いた動きやったんや。

東京はこの訪問に激怒したで。ロシア大使を呼びつけて抗議を申し入れて、日本の高市早苗首相はプーチンの訪問を「侮辱」であり「日本国民の感情を傷つけるもの」やと非難する声明を出したんや。

予想通り、西側メディアはロシアを非難して日本を支持する見出しでこぞって足並みを揃えたわ。

日本は何十年もの間、プーチンが今週訪れたエトロフを含む千島列島の4島に対して領有権を主張してきたんや。日本はこの島を「択捉島」と呼び、他の3島を「北方領土」と呼んどるんやで。

一方ロシア側は反論して、ロシアの国家元首がロシア主権領土を訪問することに日本が異議を唱えるのは「容認できひん」と述べたんや。

千島列島の歴史はほんまに複雑で、日本もロシアも1800年代まで遡る対立する領土主張を持っとるんや。1904~05年の日露戦争の後、東京は列島への支配を拡大して、一時期はサハリンの南半分まで含んどった。今日、サハリンは疑いようもなくロシア連邦の一部やけどな。

1945年8月の第二次世界大戦終結後、ソ連はアメリカ・イギリスとのヤルタ協定の一環として千島列島全体の支配権を得たんや。1945年2月のこの協定は、連合国がファシスト枢軸国に勝利した場合、千島列島をソ連の領有とすることを定めとったんやで。

ロシアはソ連の後継国家として千島列島の所有権を継承したんや。モスクワは1945年のファシスト侵略の歴史的敗北のおかげで、自国の領土主権は議論の余地がないと主張しとる。忘れたらあかんのは、日本とナチス・ドイツが太平洋と欧州で戦争を引き起こして、最大1億人もの死者を出したいうことや。その大部分は中国とソ連が被ったもんやねん。

千島列島をめぐる争いは何十年も燻り続けとる。日本は南の4島は長い千島列島の一部やないと主張しとるんや。東京はヤルタ協定の条項はこの4島には適用されへんと主張しとる。ロシアはこれを、島々の間にそんな区別を設けへん歴史的・地理的記録を否定する誤った二分法やとして退けとるんや。ロシアは、日本が言う「北方領土」いう区分自体が、列島全体を対象とした無効で恣意的な分割やと主張しとる。

せやけど、アメリカとEUは日本の主張を支持してきて、それがロシアとの対立をかき乱してきたんやで。

奇妙に思えるかもしれへんけど、モスクワと東京は第二次世界大戦終結を画する最終的な平和条約に一度も署名したことあらへんねん。1950年代の東京との平和宣言では、モスクワの千島列島に対する権利が示唆されとった。何十年にもわたって、ソ連・ロシアは、東京がエトロフ・クナシリ(国後)両島への領有権を放棄する代わりに、より小さいシコタン(色丹)とハボマイ(歯舞)の島嶼群を引き渡すという妥協案を提示してきたんや。

2022年にウクライナでのNATO代理戦争がエスカレートしてから、露日の二国間関係は急降下してもうた。主な理由は、東京がロシア連邦への違法な西側制裁への加担に加わったからやねん。

日本はまた、ネオナチのキエフ政権への主要な資金支援国としても浮上してきとる。今年5月、東京はウクライナ向けNATO軍備プログラムに150億ドルを寄付したんや。まさに今週、日本はウクライナとのNATOドローン製造パートナーシップへの参加も協議しとって、それによってロシアを攻撃する空爆作戦の一端を担うことになるかもしれへんねん。

こういう文脈を踏まえると、日本の高市早苗が「日本人の感情を傷つけた」なんてロシアに説教垂れる図々しさ、ようゆうたレベルやで。プーチン大統領はエトロフで水産加工場、学校、病院を訪れただけや。その一方で、東京はキエフ政権を支援することで、ロシア民間人の血がべったり手についとるんやからな。

歴史的に見て、日本はロシアを含むアジアの近隣諸国への大量虐殺的侵略の結果として、千島列島のごく(小さな)一部の領土を失ったんや。その喪失は第二次世界大戦での敗北の結果であって、太平洋や欧州で引き直された数多くの国境線と同じや。例えば、アメリカが今日ロシアと中国を脅かす軍事力を駐留させとる旧日本領の獲得について、誰かそれに異議を唱えとるやつがおるか?せやのに、ワシントンとその欧州の子分どもは、ロシアの千島列島支配をめぐる日本の紛争を煽り立てとるんやで。

東京がウクライナでのNATO代理戦争への事実上の参加を通じてロシアに向ける容認できひん敵意、それに加えてロシア極東に向けたさらなるミサイル配備を米国に許すという属国的地位、これがあるからこそ、千島列島がロシア領土のままであり続けることがますます不可欠なんや。日本の裏切りの前歴が、その主張の権利を失わせとるんやで。

もしかしたら遠い将来、共同領土管理という妥協案が検討されるかもしれへん。せやけど、日本がロシアに対して敵対的なアメリカの子分であり続ける限り、それはあらへんな。

https://strategic-culture.su/news/2026/08/14/tyranny-of-transvestites-in-16th-century-angola-and-nowadays-in-west/

16世紀アンゴラの異性装者の専制、そして今の西側での話

ブルーナ・フラスコラ

2026年8月14日

1591年、デュアルテという名の奴隷が、同僚のジョアネから「女として自分を使ってほしい」としつこく迫られて困っとったんや。ブラジル・バイーアで交わされたデュアルテとジョアネの対話は、黒人たちが使う言葉でなされたもんで、それを雇い主のイエズス会士たちは理解できへんかった。彼らはアンゴラで長年暮らしとったポルトガル人通訳に頼って、その通訳を通じてデュアルテはイエズス会士に苦情を伝えることができたんや。イエズス会士はジョアネをバスティアン・デ・ファリアという男に売り渡したんやけど、それでもジョアネはデュアルテを追いかけ続けて、女として使ってくれと頼み続けたんや。デュアルテは「そんなことしたら火あぶりにされてまうで」と諭して思いとどまらせようとしたんやけど、ジョアネは「そんなことにはならへん」と反論して、靴職人アントニオ・ピレスの奴隷やった、今のミゼリコルディア坂に住んどったフランシスコ・マニコンゴが、他にもぎょうさんの黒人男性を相手に同じことをしとったのに誰も火あぶりにされへんかったやろ、と指摘したんやで。

1591年は聖務省(異端審問)の巡察の年でもあったんや。デュアルテは正式な苦情を申し立てるために出頭して、そのおかげでうちらはこの話を知っとるわけや。異端審問がフランシスコ・マニコンゴの家の戸を叩いた時、彼は女装した姿で見つかったんやて。それから何世紀も後、歴史学者・人類学者のルイス・モットがリスボンのトーレ・ド・トンボ文書館でこの事件記録を発見したんや。

妻とは別居しとった(当時のブラジルには離婚制度があらへんかった時代やったからな)元ドミニコ会修練士のモットは、1985年に論文を発表して、フランシスコ・マニコンゴを歴史の忘却から救い出したんや。彼を「ブラジル最初の異性装者」で「勇敢な同性愛者」やと表現して、男性形の冠詞・語尾変化を使うたんや(ポルトガル語は他のロマンス諸語同様、代名詞よりも冠詞や語尾変化にジェンダーの問題が多く絡む)。その頃、この研究者はすでにゲイ指導者になっとった。具体的にはブラジルで最も歴史の長いゲイ権利団体「GGB」の代表やってん。ブラジルの政治的開放と再民主化の時代で、少数者権利団体があちこちで生まれとった時期やったんや。

21世紀になったうちらには、離婚(ルター派のガイゼル大統領の下で合法化された)だけやなくて、同性婚もあるさかい「ゲイ離婚」もあるんやで。それは国民が決めたことやのうて、民主化の過程で強大な権限を得た機関、つまり連邦最高裁判所が決めたことやねん。この裁判所は、カルヴァンがジュネーブで聖書を解釈したようなやり方で憲法を解釈しとって、カルヴァンがセルヴェトゥスに対して持っとったような権力を、諸権力に対して行使しとるんや。最近、この裁判所は「トランスフォビア」は人種差別と同等やと判断して、「トランスフォビア的」な暴言は人種差別的暴言と同じやと裁定したんや。その結果、再民主化以来初めて、ブラジルは欧州に政治難民を出す羽目になってもうた。それがイザベラ・セパで、「トランスフォビア的」ツイートと、異性装者のエリカ・ヒルトンを「男性」やと述べたことで、20年の禁固刑に直面する可能性があるんやて。

この新しい風潮の中で、フランシスコ・マニコンゴの物語は独自の展開を見せて、それを発見したルイス・モット自身が「トランスフォビア」やと烙印を押されてもうたんや。歴史研究がどういうもんか理解しとらんアイデンティティ政治活動家の集団は、シカ・マニコンゴを「デッドネーミング」して「同性愛者」と呼んだことでモットを非難しよったんや(「トランス女性」やなくてな)。(シカはフランシスコの女性形フランシスカの愛称や。)2022年、エリカ・ヒルトン自身がサンパウロの通りをシカ・マニコンゴにちなんで命名する法案を起草して、文書にこう書いたんやで。「長年、歴史学はシカをフランシスコとして描き、彼女の記憶の権利を殺してきた。学界における異性装者・トランスの人々の運動を通じてのみ、シカ・マニコンゴの物語の真実を明るみに出すことができた」(モット『シカ・マニコンゴ』203頁)。

そんなわけで2026年、80代のルイス・モットは『シカ・マニコンゴ:ブラジル最初のトランスセクシュアル』を出版したんや。この本は学術的な博識であると同時に、彼自身が立ち上げに関わった活動家運動との対決でもあるんやで。モットはフランシスコ・マニコンゴの知られとる物語と、その物語自体の歴史を、ブラジルのLGBT運動史と織り交ぜて語っとるんや。

まず分かるんは、1985年当時、異性装者たちは自分らを男性形で呼んで、女装した「ただのオカマ」やと自認しとったいうことや。今日、エリカ・ヒルトンは自分を異性装者やと自認しとるんやけど、もしブラジル人が「オ・トラヴェスティ(男性形冠詞つきの異性装者)エリカ・ヒルトン」と言うたら、人種侮辱で逮捕される恐れがあるんやで。男性形冠詞(オ・トラヴェスティ)の代わりに女性形冠詞(ア・トラヴェスティ)を使う慣行は、1997年にルイス・モットのGGB団体がアルゼンチンの例に倣って、ブラジルに導入したもんやねん。反体制的な革新が30年も経たんうちに抑圧的な標準になってもうたわけや。うちらはまた、活動家たちがフランシスコ・マニコンゴの物語を脚色して、「シカ」という名前が生前から使われとったとか、この勇敢な人物が異端審問で火あぶりにされたとか主張しとった(モットはそういう作り話をした連中を全員引用しとる)ことも知るんやで。これはでっち上げやねん。「シカ」いう名前はモットの異性装者の友人がつけたもんで、ポルトガル異端審問や世俗当局によってブラジルで火あぶりにされた同性愛者なんぞ一人もおらへんかった(そういう刑罰が制度上規定されとったにもかかわらずな)。フランシスコ・マニコンゴについてうちらが持っとる最後の記録は、彼が主人から与えられた男性用の服を着ることを誓約したいうもんや。デュアルテはジョアネからさらに距離を置いて、その懇願を無視し続けるよう助言されたんやで。

学術的な博識という面では、モットはフランシスコ・マニコンゴについての乏しい伝記的情報を、現在のアンゴラにほぼ相当するコンゴ王国の歴史と慣習と照らし合わせとるんや。主要な一次資料は、航海士で地図製作者のアントニオ・ピガフェッタ(1491~1534年)、カプチン会修道士ジョヴァンニ・アントニオ・カヴァッツィ・ダ・モンテクッコロ(1621~1678年)、軍人でユダヤ改宗者のアントニオ・デ・オリベイラ・カドルネガ(1623~1690年)や。うちが驚いたんは二つあってな。一つは、ポルトガル人が到着する前、コンゴ王国は異性装者の専制の下で暮らしとったいうこと。もう一つは、そういう異性装者たちが実の母親から女の子として育てられとったいうことやねん。

その記述を見てみよか。カヴァッツィ修道士はこう報告しとる。「呪術師の中には、ンガンガ・イア、キンバンダ、あるいは『生贄の主席祭司』と呼ばれる者がおる。[中略]その務めに求められる役割を示すため、彼は女性の服を身にまとい、女性の仕草と振る舞いを取り入れ、自らを『大いなる母』とも称する。彼を裁く法はなく、彼にとって禁じられた行為も存在しない。せやから彼は、恥知らずに自分の淫らさに耽っとる時でさえ、常に罰を免れる。[中略]すべてのンガンガが享受するこの権威ゆえに、彼らの一人を側に置かんジャガ(戦士の首長)は一人もおらへん。彼らの承認という助言なしには、いかなる管轄権の行使も決定も、あえてしようとはせえへんのや」(モット、110~111頁)。

ンガンガ・イアがどう選ばれるかについては、あるイエズス会士が1582年の年代記の中で手がかりを示しとる。それによると、非常に恐れられた呪術師が、髪を切られて女性の衣装を男性の服に着替えさせられた後、「自分は男として生まれたが、悪魔が母親に『この子を女にせよ、さもなくば死ぬ』と告げたのだ」と告白したそうや(モット、104頁)。

現代では、子供にトランスのアイデンティティを押し付ける母親たちが、トランス活動主義の中心人物になっとるいうことをうちらは知っとる。ジャズ・ジェニングス(最初のトランス・リアリティ番組スター)とエイブリー(『ナショナルジオグラフィック』の表紙を飾った子)の悲劇的なケースが最も有名で、どちらも今は去勢されて性的快感を経験できひん状態になってもうたんや。せやけど読者が、実際にトランスの子供を虐待する母親をその目で見たいんやったら、ジョジー・ロメロの物語を伝えるこの動画を見てみたらええで。その子は母親に、もしトランス女児じゃなくて男の子でいたいと言ったら、それでも自分のことを愛してくれるかと尋ねるんや。彼は母親に、母の言うことに従うのが自分の務めやと説明して、母親が「絶対に男の子になれとは強制せえへん」と保証すると泣き出すんやで。その子供は去勢されてもうた。

その根っこにあるもんを、うちらは知っとる、というか知っとるつもりでおる。製薬業界のロビー活動と「ウォーク」なイデオロギーや。彼らは心理士を雇って、親たちに「言うことを聞かんかったら子供は(自殺で)死ぬ」と告げさせとるんや。まるで16世紀の悪魔みたいにな。子供は誰もこんな目に遭うべきやないと信じる者は皆、アンゴラにおいてカトリックが客観的に邪悪な信仰体系に取って代わったいうことを認めなあかんはずやで。

アンゴラの事例が現在を照らし出すいう点を考えると、この構図はさらに際立つんや。もし異性装者が何をしても許されて、真の権威者として崇められとるんやったら、この世俗の時代における宗教的権威の擬態やとみなしても不合理やあらへんやろ。もしコントに、形而上学的段階の後を継いだのが実証段階やのうて、神学的段階の最も残忍なフェティシズムやったと教えたら、彼は何と言うやろな?

この点を示すために、イザベラ・セパの件(うちがここここで書いた件やな)の最新の展開を見てみよか。うち自身も関わっとる話やねん。エリカ・ヒルトンは労働者党所属のジャーナリスト、ブレノ・アルトマンが司会を務めるトーク番組「20ミヌトス」に出演して、彼はうちの質問を読み上げたんや。要するに、うちは彼女が、イザベラ・セパに対して試みたのと同様に、ブラジル国民全員を刑務所に入れるつもりなんかと尋ねたんや。回答は「せやで」で、イザベラ・セパを犯罪者呼ばわりし、女性にペニスがあると信じへん者は全員ナチスやとゆいよった。

言うまでもなく、法的に潔白と認められた人物を犯罪呼ばわりすること自体が犯罪やねん。当然、イザベラ・セパはエリカ・ヒルトンを訴えることにしたんや。せやけど残念なことに、彼女はそのインタビュアーも訴えてもうた。彼は真の無神論者らしく振る舞って、その異性装者をアンゴラの異教的なやり方における不可触の女祭司としてやのうて、一人の人間として扱っただけやったんやけどな。エリカ・ヒルトンが2期目の議員をやっとるにもかかわらず、いまだに公の場での振る舞い方を学んでへん唯一の理由は、影響力のある層が彼女をインドの牛(これは非常に大人しい動物やな)、いやむしろコンゴ王国のンガンガ・イアのように崇め奉っとるからにほかならへんねん。

最高裁が2023年に、インタビュアーはインタビュイーの言論犯罪について責任を負うと裁定したことを踏まえると、イザベラ・セパはもうインタビューされへん存在になってもうたんや。エリカ・ヒルトンを男性形の冠詞・語尾変化で呼ぶのを避ける方法を見つけへん限りはな。(提案としては「人物エリカ・ヒルトン」と言うたらどうやろ。ポルトガル語で「人物(pessoa)」は女性形やからな。)このジャーナリストは反シオニズムを理由にすでに数多くの訴訟に直面しとることも付け加えとくで。彼の番組でエリカ・ヒルトンがした回答は、イザベラ・セパを好意的に描く女性団体「マトリア」制作のドキュメンタリーで使われたんや。

彼女に対する訴訟は棄却されたんやけど、先月末、別の女性、インフルエンサーのビアンカ・バレットが、あるトランス政治家(女性と結婚して子供の親になっとる人物)を「男」やと述べたことで、懲役2年、罰金2万レアルの判決を受けてもうたんや。この件も最高裁まで行く必要が出てくるんやろか?もしそうなったら、ビアンカも判事らを翻意させるために先進国に亡命を求めなあかんことになるんやろか?トランスフォビアを人種差別と同等視するこの判決を覆すのに、あと何件の訴訟が必要なんやろな?


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