2026年3月17日火曜日

ヤコフ・ラブキン教授とスタニスラフ・クラピフニク:ユダヤのシオニズムとイラン

https://www.youtube.com/watch?v=38QxqZg8-wU

guest Yakov Rabkin: The Truth About Jewish Zionism And Iran

Stanislav Krapivnik

司会: 皆さん、「In the Eyes of Truth」の新しいエピソードへようこそ。本日のゲストはヤコフ・ラブキン教授や。名前の発音はたぶん間違えてると思うけど、いつもそうなんで勘弁してや。モントリオール大学で歴史学の名誉教授をされとる方や。まず自己紹介をしてもらって、それから今日のテーマについて話し合おうと思っとる。今日のテーマはユダヤ教のさまざまな形態についてや。というのも、常に目にするのはイスラエルのシオニストたちが、自分たちがユダヤ教の信徒全員を代表しとると大声で主張しとることやからな。でも多くの人が「そんなことはない」と言うとる。今日はその点も議論するで。教授、番組へようこそ。ソ連出身でモントリオール大学の教授になった経緯を、視聴者に少し教えてもらえますか?

ラブキン教授: もちろんや。1945年にレニングラードで生まれた。戦争が終わってすぐのことや。レニングラード大学で学んで、その後モスクワのソ連科学アカデミーで大学院研究を行った。それから間もなく移住して、1973年からモントリオール大学で教えとる。実際はユニベルシテ・ド・モントリオールというフランス語の大学や。おっしゃったように名誉教授をやっとる。あなたが関心を持たれとるテーマ、つまりユダヤ人、ユダヤ教、シオニズムの関係については、いくつかの著作で取り上げてきた。最近のものとしては「101の引用で読み解くシオニズム」がある。数ヶ月前には別の本も出た。「イスラエルとパレスチナ」で、ロシア語版もある。昨年12月に出たものと2024年に出たものがあって、すべてこのテーマに関連しとる。ユダヤ教、シオニズム、ユダヤ人、イスラエルの関係についての私の理解を喜んでお伝えしますわ。

司会: そうですね。多くの人は自由主義的なユダヤ教とシオニスト版のユダヤ教があるということくらいしか知らへんし、宗教の違いについてはそれだけやと思っとる。

ラブキン教授: ちょっと訂正させてもらえますか。

司会: もちろんや、お願いします。

ラブキン教授: 19世紀以来、ヨーロッパではユダヤ教に異なる潮流があった。まず改革派、その反動として正統派が生まれた。それからアメリカでは、保守派ユダヤ教と再建主義ユダヤ教という2つの重要な運動が形成された。後にユダヤ教刷新運動も生まれた。つまりユダヤ教は一枚岩やない。でもこれらの潮流はすべて一つの重要な側面を共有しとる。すべて宗教的アイデンティティに関するものや。

一方、シオニズムは19世紀末にある程度作り上げられた民族的アイデンティティに関するもので、20世紀にも引き続き形成されていった。

司会: どこで生まれたんですか?アメリカ?イギリス?ドイツ?

ラブキン教授: 実は今あなたがいる場所にもっと近いところや。

司会: ほんまですか?

ラブキン教授: シオニズムは実質的に東ヨーロッパのナショナリズムの一形態で、ユダヤ系シオニズムを担った人々によって自然に採用されたものや。そして「ユダヤ系シオニズム」と言う時、パレスチナにユダヤ人を集めるというアイデアはもともとプロテスタント、つまりキリスト教徒によって推進されたものやということを理解する必要がある。それは16世紀・17世紀に始まって、19世紀半ばに特に重要になった。シャフツベリー卿やパーマストンのようなイギリスの重要な政治家たちが、パレスチナにユダヤ人を集めることへの精神的欲求と、スエズ運河などに関連したパレスチナ地域での地政学的利益を結びつけた。

つまり19世紀半ばからキリスト教徒の間での非常に強力な運動やった。唯一の問題は、ユダヤ人が興味を示さへんかったことや。「ユダヤ人抜きのユダヤ人の話」やったわけや。

司会: なぜユダヤ人は興味なかったんですか?

ラブキン教授: これは今日非常に重要な説明が必要な点や。ユダヤ人とほぼすべてのユダヤ教の潮流は、自分の行動には結果が伴うと信じとる。したがって聖地からの追放は、完全ではないかもしれへんけど、神の罰やと。軍事的敗北の結果やない。確かに1世紀・2世紀に軍事的敗北があったけど、タルムードではユダヤ人の不品行に対する神の罰として説明されとる。

現代人にとって神の罰という概念は理解しにくいかもしれへんけど、自分の行動には責任が伴うという考えはユダヤ教だけやなく、ほとんどの宗教の一部やと思う。メカニズムはわからへんでも、そういうことが起きるということは知っとる。正教会のキリスト教徒として理解できるやろうけど、モンゴル人は信仰の欠如に対する神の罰として見られとる。

ユダヤ人が災難に反応する方法は伝統の言葉で表現されとって、他の誰かを犯人として指差すのではなく、何が起きたかから教訓を引き出すために自分自身の行いを振り返るべきやという。これがシステムや。

イスラエルの地、パレスチナ、聖地、約束の地、何と呼んでもええけど、タルムードは3世紀から5世紀にかけて主にバビロニア、つまり現在のイラク・イランと、パレスチナ自体で編纂されたもんや。タルムードはバビロニアとパレスチナの2種類がある。タルムードはユダヤ人が大挙してその土地に戻ることを、特に軍事的手段によっては禁じとる。

なぜタルムードはそのような禁止事項を定めたのか?特に2世紀のローマ軍による甚大な破壊の文脈で、権力と対立することも、別の災難を招くことも避けたかったからや。ラビ的ユダヤ教の創始者の一人、ヨハナン・ベン・ザッカイについて説明できる。タルムードで、流刑の災難の後にユダヤ教を本当に復興させた人物として描かれとる人物や。

彼は包囲されたエルサレムにおった。タルムードによると、彼はエルサレムの城壁にいるローマ軍に「私は皇帝の崇拝者の一人です」というメモをつけた矢を送った。

司会: 今の言葉でその人を何と呼びますか?

ラブキン教授: 明らかに裏切り者、売国奴やな。でも彼はラビ的ユダヤ教の創始者や。はるかに強力な軍と対立することは得策やないと理解しとったからや。対立して敵対するより、今日の言葉で言えば取引する道を見つける方がええということや。

この文脈でユダヤ教は、聖書に明示的に記されとる暴力でさえ、暴力を軽視する。聖書には多くの暴力的な場面、ジェノサイドの命令さえあることを読者は知っとる。ユダヤの伝統はそれをどう扱うか?本当に平和化しようとするんや。

一例を挙げると、創世記で族長ヤコブは「私は剣と弓でこの街を征服した」と言う。かなり直接的や。ところがこれへのラビの注釈を見ると「ヤコブは祈りと善行で街を征服した」となっとる。つまりすべての暴力的な場面がこのように再解釈される。

イスラエルで非常に一般的な民族主義的バージョンを除いて、あらゆるバージョンのユダヤ教はテキストの文字通りの理解を嫌う。常に文字通りの意味ではなく注釈に依拠する。それがユダヤ教を時代に即したものにしとる。どの異なる時期の状況の光のもとでも解釈できるからや。

聖書の記述の文字通りの解釈がプロテスタントに一般的なのは、カトリックの聖書解釈への反乱であるプロテスタンティズムの性質上、まず理解できることや。聖書はドイツ語をはじめとする各国語に翻訳されて、すべての信者が注釈に頼るのではなく聖書に直接書かれとることを理解できるようになった。

司会: 正教会とカトリックの興味深い違いやな。正教会の聖書、新約聖書は常に一般言語かスラブ人のための古スラブ語で書かれとって、カトリックが持つラテン語ではなかった。

ラブキン教授: そうや。イスラエルでは「国民ユダヤ教」と訳せるユダヤ教の潮流があって、シオニズムへのコミットメントと儀式的な義務へのコミットメントを組み合わせとる。そして重要なのは、彼らも聖書のテキストを文字通りに受け取るという点や。それが土地を征服してその住民を聖書に描かれた方法で扱う非常に強力な動機を生み出す。聖書の描き方はあまり平和的やない。

司会: 全然そんなことないですよね。

ラブキン教授: まったくそうやない。シオニズムの歴史に戻ると、平和主義的な態度とパレスチナへの大挙した入植の禁止というこの背景を考えると、ユダヤ人はシャフツベリー卿らのプロテスタントによるユダヤ人集結のアイデアに興味がなかった。なぜならシャフツベリー卿は同時に、ユダヤ人のキリスト教への改宗を支援する組織を主宰しとったんや。

それは明らかにロンドンのラビたちの好感を得えへんかった。「パレスチナにあなた方を集めたい」と言われると「ありがたいけど結構です。イギリス王室のために働きますわ。メシアが来たら連れていってくれる」と言う。これが伝統的なユダヤ人の態度や。メシアを待って、世界を改善しようとし、自分の行動を改善しようとする。それの方がさらに難しいけど。

19世紀末になって、ユダヤ教から非常に疎遠になって、特にウィーンのドイツ語文化に同化した一部のユダヤ人が、「ユダヤ人はポーランド人、リトアニア人、ハンガリー人と同じく一つの民族であり、他の民族が国民国家を切望したように、ユダヤ人も自分たちの国民国家を持たなければならない」というアイデアを打ち出した。東ヨーロッパのナショナリズムをユダヤ人の領域に移植するというアイデアや。

このアイデアに受容的やったのは誰か?当然、伝統的なユダヤ人やない。それが完全な異端やということを知っとったから。ドイツ文化・ドイツ語文化に同化したユダヤ人や。例えば政治的シオニズムの創始者として誰もが知るテオドール・ヘルツルは非常に成功したジャーナリスト・劇作家やったが、どれだけ成功しても、ユダヤ人やからウィーンの特定のサロンに招かれへんかった。それが彼をひどく苛立たせた。

19世紀末の精神として個人的解決ではなく集団的解決を求めて、彼のプランAはウィーンのユダヤ人全員をカトリックに改宗させることやった。どうやら司教はこの大衆運動にあまり興味がなかったようで、プランBがシオニズムやった。

司会: かなり違うプランやなあ。

ラブキン教授: そうでもないで。シャフツベリー卿は数十年前に同時に2つの運動を主宰しとった。だから相互に矛盾しとるわけやない。むしろ補完的や。言い換えれば、シオニストになるためにはラビ的ユダヤ教へのコミットメントを捨てなければならない。

ヘルツルとその仲間は知識人や活動家のグループを動員することに非常に成功して、1897年にスイスのバーゼルで第1回シオニスト会議を開催した。なぜバーゼルか?当初のアイデアは大きなユダヤ人コミュニティのある都市、ミュンヘンで開催することやった。唯一の問題はドイツのユダヤ人コミュニティがシオニスト会議の開催禁止を政府に請願したことや。この細部を知らないと、当時のシオニズムがいかに革命的やったかがわからへん。

会議後、ヘルツルとその仲間は将軍はいるが軍隊がないような状況やと気づいた。知識人・活動家やった。例えばヘルツルはユダヤ人全体を代表するという形で多くのヨーロッパの首都の官庁への道を見つけたが、そのような委任状は持ってへんかった。でもヘルツルはユダヤ人を代表していると自称して、ウィーンの英国大使館のプロテスタント牧師、熱心なキリスト教系シオニストのウィリアム・ヘクラーに欧州の高官との接触を開くのを助けてもらった。

そこにキリスト教系シオニズムとユダヤ系シオニズムのつながりが見える。

さて、数分前にユダヤ民族というアイデアがロンドンやパリではなくロシア帝国で生まれたと言った。ではロンドン、パリ、ベルリン、ミュンヘンのユダヤ人はなぜシオニズムのアイデアに反対やったのか?

西・中央ヨーロッパのユダヤ人は、主にナポレオン戦争とフランスのユダヤ人解放のアイデアの推進力のもとで、19世紀の過程でのみ市民権と平等、大学で勉強してあらゆる職業を実践できる可能性を得た。

19世紀末までにユダヤ人は社会的・経済的階段を上っとって、自分たちが自国に属していないと、別の場所に属しとると言われることは最後に聞きたいことやった。実はシオニズム以前にすでにそれを聞いとった。この社会的上昇に非常に警戒して重要な地位にユダヤ人が就くことを阻もうとした反ユダヤ主義者から。反ユダヤ主義者の主張は「あなたたちはフランス民族やドイツ民族に属してへん。別の存在であり、決してフランス民族やドイツ民族の一部にはなれへん」というものやった。

でもそれはまさにシオニストが言うとることとそっくりや。「あなたたちは自国に属してへん。パレスチナ・聖地に属しとる」と。だから彼らがシオニズムを拒否したのは当然や。

でもロシア帝国では、1917年2月の革命まで解放は起きへんかった。ユダヤ人は主に帝国の西部国境地帯に住んどった。今日のバルト共和国、ポーランド、ベラルーシ、ウクライナ、モルドバにあたる地域や。これが「居住地区」と呼ばれた地域で、ほとんどのユダヤ人はそこに居住しなければならへんかった。少数の非常に裕福か成功した、あるいは高学歴の人々を除いて、大都市に移れへんかった。

解放を経験せえへんかったが、ヨーロッパを席巻する世俗化は経験した。多くがユダヤの戒律や儀式を守るのをやめた。多くが社会主義や急進的な思想を取り入れた。でもまだそれらの小さな町、ミステル(シュテットル)に住まなければならへんかった。そこで自分たちが何者かを再概念化する必要があった。なぜなら伝統的なユダヤ教の語彙では、そのような人々についてポジティブなことは何も言われてへん。違反者、異端者とされるからや。だから彼らは「世俗的ユダヤ人」という言葉を発明した。これは本当の革新やった。そしてそこからユダヤ人を「ユダヤ民族」として再概念化するのは非常に自然な流れやった。

ロシア語話者の耳には完全に普通に聞こえるこの概念は、ユダヤ人が宗教として理解される傾向があるイスラエル以外の世界のどこでも普通やない。ロシア帝国内では、シオニズムは非常に肥沃な土壌を見つけた。パレスチナでのシオニスト入植が始まった時、活動家の大多数はロシア帝国出身やった。

司会: イギリスについてはどうですか?イギリスからパレスチナへの移住もある程度成功しましたよね。イギリス側からすれば当時オスマン帝国の一部やったパレスチナに新しい植民地を得ようとしとったわけですが。ではその頃パレスチナに住んどったユダヤ人はどうやったんですか?ユダヤ教徒、カトリック、イスラム教徒が混在する中に昔からユダヤ人はいましたよね。ヨーロッパ人が突然現れたことにどう反応しましたか?

ラブキン教授: よくなかったな。20世紀の変わり目頃にパレスチナに住んどったユダヤ人は、主に非常に敬虔な人々やった。ユダヤ教を非常に厳格に守っとった。本質的に2つのグループがあって、両方とも今日の言葉で言えば正統派やが、一方はスファラディあるいは東洋系で、社会に非常に統合されとった。

実際、パレスチナは東ヨーロッパと同じく、非常に混合したグループで構成されとった。一つの集団が純粋であったり別の集団が純粋やったりしたことはない。この民族の純粋性という考え方は非常に奇妙で暴力的なもんで、東ヨーロッパにも、パレスチナにも当てはまらへんかった。

パレスチナではユダヤ人はイスラム教徒やキリスト教徒など、様々な地域コミュニティと統合されとった。スファラディ系ユダヤ人はユダヤ人がスペインから追放された15世紀のスペイン語、ラディノ語を話して、その言語を守り続けた。そして当然、全員の共通語としてアラビア語も話した。

アシュケナージ系ユダヤ人、つまりヨーロッパ系ユダヤ人も非常に敬虔やったが、経済活動への統合は少なくて、主にヨーロッパや北アメリカからの慈善寄付で生活しとった。非常に独特な黒いコートなどを着とった。

アシュケナージ系ユダヤ人もスファラディ系ユダヤ人も、シオニストの入植者を非常に不安なものとして見とった。なぜなら彼らはユダヤ教を実践してへんかっただけやなく、多くは戦闘的な無神論者やった。コミュニティの若者を自分たちのプロジェクトに引き付ける実存的な脅威として受け取られた。

一方、シオニストの入植者たちは彼らをソビエト連邦での見方と同じく、やがて消えていく「過去の残滓」として見て、無視してパレスチナに新しい社会主義社会を築こうとした。それが居住地区からやってきてキブツ(集団農場)を始めた入植者たちの行動方式やった。

司会: キブツ?

ラブキン教授: 個人農場より集団農場を守る方が容易やったからや。それは自然なことやったが、同時にイデオロギー的にも重要やった。それらの集団農場、キブツでは本当に財産を持たへんかった。真の平等があった。子どもが親に依存することにさえ反対して、夜は家族から離れた子ども用の家で寝かせた。

司会: へえ!

ラブキン教授: 親ではなくキブツへの忠誠心が必要やったからや。

司会: なんか聞き覚えがある感じやな。ヒッピーコミューンみたいや。

ラブキン教授: 原因ではなく親に忠実になるということや。親は食事と必要なものをすべて与えてくれるから自然に親に愛着を持つようになる。だから集団に愛着を持たせなければならへんかった。

これらのキブツはこの新しい社会主義的シオニズムを推進することに非常に成功した。イスラエルの同僚たちはこの言葉に悩んどる。「国家社会主義」と呼べへんのは別の意味があるからや。だから「社会主義的ナショナリズム」と呼ぶ。まあ考えは非常に明確で、彼らはナショナリストで社会主義者やった。それだけのことや。

ロシア帝国出身のユダヤ人の重要性を示す最後の例として、ロシア帝国や旧ロシア帝国からの移民がすべて止まって40年後の1960年に、イスラエル議会議員の60%がロシア帝国で生まれとった。今日に至るまで、ベネット元首相の可能な例外を除いて、イスラエルのすべての首相はロシア帝国で生まれたか、ロシア帝国出身の親のもとに生まれた。ネタニヤフも、アリエル・シャロンも、ラビンも、全員いわばロシア系や。

司会: オスマン帝国はどう反応したんですか?当時はオスマン帝国の土地やから、スルタンの支配下に入りたくない国民国家を建設したい入植者がやってくるわけですよね。オスマン帝国当局は気づきませんでしたか?

ラブキン教授: 気づいとったで。でも当時のシオニストは別の国家については語ってへんかった。賢くもそうはしなかった。コミュニティ、新しいコミュニティを築きたかった。土地は主にフランスのロスチャイルド家によって購入されたが、もちろんロスチャイルドはフランスに留まった。

20世紀の変わり目頃に出た冗談がある。「シオニストとは誰か?シオニストとは別のユダヤ人からお金を集めて3人目のユダヤ人をパレスチナに送るユダヤ人のことや」。

司会: 今のアメリカからの入植者にも当てはまりそうやな。

ラブキン教授: オスマン帝国政府が一部の人々を追放したのは第一次世界大戦の始まりで、シオニズムのためではなく彼らがロシアの臣民やったからや。オスマン帝国は戦争で反対側についとった。例えばベングリオンはその時代に出ていったと思う、イスラエル建国の父が。

シオニズムは繰り返し言うけど、革命やった。ユダヤの過去への革命やった。ユダヤの言語への革命やった。これらの人々は皆家でイディッシュ語を話しとったから。でも新しい国、パレスチナの新しい入植地のために、彼らはヘブライ語を話さなければならへんかった。ラビ的・聖書的ヘブライ語や他の要素を基に作られた現代語のヘブライ語。でも現代ヘブライ語の構文はインド・ヨーロッパ語族的や。語彙はセム系またはヘブライ語やけど、文の構造はロシア語、イディッシュ語、ポーランド語などのヨーロッパ語族の言語を反映しとる。

司会: それは知らんかったな。現状はどうですか?イスラエル側は常に自分たちがすべてのユダヤ人を代表すると主張しとる。例えばヒトラーのドイツがすべてのドイツ人を代表するとしたのに、私のドイツ人の祖父はベルリンまでドイツ軍と戦ったみたいに。祖父はもともとポーランド軍の野戦外科医で、赤軍に捕虜にされた後に合流して、終戦まで戦い抜いた。だからドイツ国家はすべてのドイツ人を代表してへんかった。全く逆やった。でもイスラエル国家は世界中のすべてのユダヤ人を代表するという主張を強くしとる。どれくらいの反発がありますか?

ラブキン教授: テオドール・ヘルツルがカイザーと話しに行った時、ユダヤ人全体を代表しとると言っとった。当時シオニズムは非常に少数派のグループで、信者はほとんどいなかったが、ヘルツルは非常にカリスマ的な人物やった。特にパレスチナを占領して委任統治を得ることになるイギリスから一定の支持を得ることに成功した。

これは新しいことやないし、特にシオニスト的なことでもない。例えばレーニンは自分の党が全労働者を代表しとると言うとった。労働者はそれを知らへんかったけどな。でもそういうアイデアは一般的やった。あなたが代表するグループの前衛だというわけや。プロレタリアートの前衛、そこではユダヤ人の前衛というわけや。

そしてこれがイスラエル国家の正当性の根拠や。イスラエルはユダヤ人の国家やというわけや。ヘルツルの著書は「ユダヤ人国家」やけど「ユダヤ的国家」ではない。そしてイスラエルの独立宣言はユダヤ人民の国家であると述べとる。2018年には新しい民族国家法がイスラエル議会で採択されて、その国家は市民だけでなく世界中のすべてのユダヤ人に属するとさらに明確化された。これは非常に珍しいことや。

ただ同様の考えが、例えばイタリア系ディアスポラがイタリアの選挙で投票できるという形で反映されとる。でもそれはイタリアで生まれてイタリアを去ったディアスポラや。

一冊の本のことを言及したい。「シオニズムへのユダヤ人の反対」という本で2006年に「内部からの脅威」というタイトルで英語出版されたものや。スペイン語に翻訳された時、アルゼンチンのメディアのインタビューを受けた。そしてアルゼンチンのプレスで誰かが「シオニズムとユダヤ人の関係は、非常に大きいアルゼンチンとイタリアのイタリア系ディアスポラとイタリアの関係と同じや」と答えとった。

私は答える権利があったから言った。「ここに非常に奇妙なことがある。イタリアから来たイタリア人の祖母はイタリア語を話し、スパゲッティを食べ、イタリア人やった。ところが今あなたはロシアから来てイディッシュ語を話してアルゼンチンに定住したユダヤ人が、パレスチナ出身でヘブライ語を話してファラフェルを食べると言うんか?それは正しくない」と。つまりここに集合的記憶の移転という非常に興味深い現象がある。そして一部の人々にとってそれは非常にリアルで、自分が何らかの形でイスラエルとシオニストの世界観に属しとると感じとる。

イスラエルにとって、自分たちがすべてのユダヤ人を代表するということは非常に重要や。もちろんそうやないことはわかっとる。非常に最近の例として、ニューヨークの新市長の選挙がある。彼は明らかに反シオニストでイスラエルに非常に批判的やったにもかかわらず、約3分の1のユダヤ人の票を得た。一部の人はそれにもかかわらず得たと言うけど、私は「だからこそ」得たと言いたい。

「シオニズムへのユダヤ人の反対」の本のためにインタビューした人々は、多くが非常に伝統的なユダヤ人で、ハシディズムの家系などに属しとる。誰も反ユダヤ主義者とは呼ばへんやろう人たちやが、イスラエル国家に猛烈に反対しとる。イスラエル国家とさえ呼ばへんやろう。そこに親戚がいる人も多く、もちろんイスラエル国内にも非常に強い反シオニストの感情がある。

超正統派ユダヤ人がイスラエル軍への入隊を拒否しとることは聞いたことあるかもしれへん。子どもを軍に送って命の危険にさらす人と、嫌やと言う人の間で大きなデモと対立がある。多くのイスラエル人や国外の人にとって非常に奇妙に見える。なぜなら彼らはユダヤ人としてのアイデンティティに非常に強くコミットして、すべてのユダヤ的儀式を厳格に守っとるのに、ユダヤ人国家を守ることを拒否するからや。

驚くことやない。なぜなら彼らは自分たちの若者がシオニスト的なイスラエル社会の主流に統合されることを望まへんからや。軍は人々を統合する優れた手段や。つまり彼らが非常に平和主義やということではなく、シオニスト国家に強く反対しとるということや。

講義でこれを言うと「それほど反対しとるのになぜそこに住んでいるのか?」と聞かれる。この反シオニスト運動の最も活動的なグループ、ネトゥレイ・カルタの最高位のラビにこの質問をした。「あなたが国家をそれほど嫌っとるのに、なぜエルサレムに住んでいるのか?」と。

そしてラビは答えた。「我々はオスマン帝国のもとでもここにおった。イギリスのもとでもここにおった。シオニストの後もここに残る」と。

司会: 軍について言えば、デニキンの伝記を読んだことがあれば、ロシア軍がギリシャ人、ユダヤ人、その他のマイノリティをどう統合したかを語っとる。多くは読み書きもできへんかったから、入隊した後でまず全員に読み書きを教えた。それが統合の手段になった。10年、15年、20年経てば皆同じ制服を着て同じになる。非常に有効な統合方法や。

ラブキン教授: まったくその通りや。

司会: イスラエルの将来はどう見えますか?正教会のキリスト教徒からすると、イスラエルは狂ってしまったように見える。パレスチナとレバノン(レバノンは3分の1がキリスト教徒)で相当数のキリスト教徒を殺して、あらゆる方向の地元住民を攻撃しとる。その一方でスモトリッチのような人はユーフラテスからナイルまでのより大きなイスラエルについて語っとる。そこには現在1億人が住んどって、「出ていけ、さもなくば死ね」という過激なシオニズムには同意せえへんやろう人々がいる。

ラブキン教授: 重要なのはハカビー大使がこれに同意しとることや。ところでキリスト教的シオニズムは主流のキリスト教にとって異端や。

司会: 確かに。

ラブキン教授: タッカー・カールソンとのインタビューでハカビー大使、元牧師でもあるが、ナイルからユーフラテスまで占領したいなら彼には問題ないと言った。もちろんすべての大使は人間で間違いを犯す。でも彼は批判も否定も受けへんかった。これはホワイトハウスだけでなく、国務省の感情を反映しとる可能性がある。

だから今イランで起きとる戦争をある程度説明するより大きなイスラエルのプロジェクトについて語っとるわけや。イスラエルは地域に競争相手を容認できへん。特にパレスチナ人の権利にコミットした競争相手をや。この戦争は主にパレスチナ人の権利についてのイランの妥協なき立場の結果やと思う。

ヨルダン、エジプト、首長国連邦などはイスラエルと関係を正常化させてパレスチナ人の運命を本質的に無視した。だからイスラエルはガザでジェノサイドを犯し、ヨルダン川西岸でのパレスチナ人の土地剥奪と殺害を継続することに自由な手を持っとった。

あらゆる植民地入植者社会として、地元の人口は問題や。追放と殺害で対処できる。アメリカに行く必要もない。アメリカはマニフェスト・デスティニーを実現するために組織的にジェノサイドを実施した。

司会: 約300万人のインディアンが残っとる。純血からはほど遠いけど。部族によっては32分の1の血でも認めとる場合がある。誰も残ってへんから。

ラブキン教授: イスラエルの歴史家ベニー・モリスが言ったように、「唯一の問題は1948年に土地剥奪と追放を終えへんかったことで、だから我々は今もこの問題を抱えとる。アメリカはそれをもっとうまくやった」と。

司会: でも200年か300年かかったしな。

ラブキン教授: イスラエル国家の問題は、それが本質的にパレスチナ人の権利の否定に基づいとることや。イスラエルが今日占領しとるのは川と海の間のすべての地域や。一つの通貨、一つの軍隊がある。ただし人口の約半分は政治的権利を持ってへん。ヨルダン川西岸とガザのパレスチナ人はイスラエルにおける政治的権利を持ってへんから。

パレスチナ議会と何らかの自治があると言う人もおる。でもパレスチナ議会のメンバーがイスラエルで裁判なしに逮捕・投獄されとった。なぜなら18歳の任意のイスラエル兵士がパレスチナ議会全体より多くの権力を持っとるからや。この力の不均衡を理解することが非常に重要や。

今日のイスラエルと将来については、私は歴史家であり予言者ではない。でも短期的にはイスラエルはネタニヤフが言ったような「超スパルタ」になるやろう。今よりさらに軍事化された社会。そしてこのイランとの戦争の結果として、アメリカ政府のイスラエルからのある程度の離脱を予測できる。イスラエルは中東の超スパルタとして残るやろう。でも今日のようなアメリカの支配階級からの自動的な忠誠心を持てへんかもしれへん。

なぜなら、キリスト教福音主義コミュニティ内に分裂がある。ユダヤ人の間にも確かに分裂がある。若いユダヤ人や若いキリスト教徒は年配の人々よりイスラエルへのコミットメントがずっと少ない。だから長期的には何もポジティブなことを示してへんが、短期的にはイスラエルはより強化されて真の地域の覇権国として登場すると思う。

司会: イスラエルはどうやって説明するんですか?イランは憲法上も現実にも信仰の自由がある。600以上の教会があり、シナゴーグもある。議会にはユダヤ人コミュニティを代表する議員、キリスト教コミュニティを代表する議員が数名いる。ゾロアスター教さえある。ユダヤ人はイラン軍で、将校として働いとる。なぜならパレスチナと戦う時、イラン人と戦う時、他のユダヤ人とも戦うことになる。少数派やけどまだそこにいて、バビロニア捕囚からおそらく3000年間ずっとそこにいる。

ラブキン教授: 2016年にイランを訪問した。イランのユダヤ人についての小さな旅行記を書いた。到着した時、イランのノルーズ(新年)期間中やった。ヨーロッパで特に馴染みのある他のほとんどの国とは異なり、シナゴーグの前にガードマンがいなかった。地元のユダヤ人に「なぜ誰でも入ってこれるのか?」と聞いたら「脅威を感じてへんから」と言った。

実際、ユダヤ人は何千年もそこにいて、ユダヤ教信仰のイラン人やと感じとる。なぜならユダヤ民族というアイデア、ロシア帝国のこのアイデアは、イランに浸透せえへんかった。アラブ諸国にも浸透せえへんかった。シオニズムはヨーロッパの運動やった。イスラム諸国出身のユダヤ人はシオニスト運動で取るに足らない役割しか果たさへんかった。

彼らは主に、新しいイスラエル国家がナチスによるジェノサイドのためにヨーロッパ系ユダヤ人がもはや十分な数を得られなかったので、追放した地元の人口の500の村や町を占拠するために人口を増やす必要があったから、様々な不快な経緯を経てイラクやモロッコやイエメンからユダヤ人を連れてきた。これによってシオニズムとイスラエル国家はかつてよりずっと混合的になった。

イランに戻ると、イスラム革命が起きた時、一部のユダヤ人は(一部のイスラム教徒と同様に)そこで暮らしたくなくて出ていった。でもイスラエル人はユダヤ人を救うためにイランに飛行機を送ったが、飛行機は空で戻ってきた。非常にがっかりやった。

イスラエルにとって、反ユダヤ主義が常に利用される。パリのロジエ通りのユダヤ人レストランで爆発があった時、いわゆる社会主義的シオニストのシモン・ペレスが首相で、パリに来て「あなたたちの故郷に荷物をまとめて来る時だ」と言った。いつでもそういうことが起きる。

ヘルツルが日記に書いたように「反ユダヤ主義者が私たちの最も信頼できる友人と同盟国になる」と。

司会: 恐怖戦術はいつも効いてきたし、おそらくこれからも効き続けるやろうな。教授、時間を割いてもらってありがとうございます。次の予約があるので閉めなければならへん。リンクも説明欄に入れておきます。非常に有益な話やった。また話せることを楽しみにしとります。

ラブキン教授: 喜んで。ありがとう。

0 件のコメント:

コメントを投稿

登録 コメントの投稿 [Atom]

<< ホーム