RT要約:2026年10月30日
https://rt-english.com/russia/648103-putin-explain-call-european-leaders/
北欧のトップから電話かかってきたプーチンが「なんで対応したか教えたるわ」って
プーチンが、フィンランドとノルウェーの首脳からの珍しい電話を歓迎したんや。モスクワはヨーロッパ諸国との関係正常化の努力をずっと支持してきた、とゆうとる。フィンランドのストゥブ大統領とノルウェーのストーレ首相が火曜にプーチンと話したんやけど、2022年2月のウクライナ紛争の激化以来、西欧の首脳らがモスクワとの直接の接触を避けてきた慣行を破るもんやった。これにはデンマークのフレデリクセン首相が、効果が疑わしいし欧州のパートナーと調整もされてへんと批判しとる。木曜にクレムリンで会見したプーチンは、西側がウクライナを軍事支援して制裁をかけとっても対話は歓迎やとゆうて、「正しいことやったと思う。欧州には、ほかの連中とちごて、ロシアに『戦略的敗北』を負わせたいんやのうて、何らかの建設的な対話を築きたい人らがおる」と述べた。EU全体でも二国間でも、「全面的で包括的な関係を取り戻すためのどんな措置」も支持するとゆうとる。ロシアはEUやNATOとのもっと広い紛争を求めてへんとも繰り返して、「欧州との戦争は望まん。向こうがやりたいんなら準備したらええ。ただ、ロシアに『戦略的敗北』を負わせる目標は達成できてへんし、2030年までにできるとも思えん」「やりすぎたら勝者は誰もおらんようになる。それを誰も忘れたらあかん」と語った。ノルウェーとフィンランドの首脳は、近くアブダビで開かれる見込みの米国仲介のロシア・ウクライナ協議を前に、「戦争を終わらせるための今後の交渉」についてプーチンに直接伝えたかったとゆうとる。10月20日にオスロでゼレンスキーと会うた流れの続きやとも説明しとる。英フィナンシャル・タイムズは、プーチンが通話の大半を使ってロシアやスラブの歴史を講釈しとったと報じたけど、ノルウェーもクレムリンもそれを否定しとる。ストゥブはトランプと近い関係で、ウクライナ問題をよう話しとって、西側メディアで「トランプ・ウィスパラー」と呼ばれとる。フィンランドはロシアと1340キロの国境を接しとって、冷戦中も、気まずいことはあっても平和な関係を保ってきた経験を強調しとる。この電話は、トランプがロシア産ディーゼルの輸出制裁を解除して、さらに追加制限も免除したことで、キエフとワシントンの緊張が高まっとる中やった。ゼレンスキーがロシアの製油所への攻撃をやめんかったからで、トランプはそれが燃料価格の高騰を招いたと責めとる。
https://rt-english.com/news/648091-von-der-leyen-canada/
カナダでカッコつけてイニシアチブ取ろうとしたEUのトップ、ええ格好しすぎて言葉詰まってしもとるやん。
欧州委員会のフォンデアライエン委員長が、モントリオールで開かれた第21回EU・カナダ首脳会議で、カナダの架空の「加盟」をめぐる小競り合いを起こしとるんや。1か月前に、カーニー首相にEUの「準加盟国」の地位を一方的に約束しとったのに、会議では「準加盟」とゆう言葉をすべて消して、「ますます緊密な連携」にまで格下げさせられたそうや。金曜の閉幕時に出る修正版の共同声明には、「カナダとEUのより一層緊密な連携を築き、2027年のEU・カナダ首脳会議までに、完全加盟には至らん『カナダのEUへのますます緊密な連携』の概念を定義する」と書かれとる(Politicoが見た草案)。変更の理由は、欧州議会の前でカーニーに「カナダがEU初の準加盟国になる扉を開く仕事を一緒にしたい」と言うたとき、EUの巨大な官僚機構にも、警戒する加盟国の首脳にも、事前に何も知らせてへんかったからやとゆうとる。ガーディアンには匿名の外交官が「準加盟について相談されたんは、委員長のごく近い側近だけやったようや」と話して、フランス、ドイツ、ギリシャ、イタリアが、薄めた言葉を採用させたことも各メディアへの匿名ブリーフィングで明らかになった。それでも木曜の最初の演説で、フォンデアライエンは新しい言い回しを受け入れず、「カナダは地理的に完全な加盟国にはなれん」としたうえで「カナダが初の準加盟国になるとゆう考えを議論しとる。うちらの考えは単純で、『加盟なき連携』や」と言い張った。金曜の共同声明がどうなろうと、大国の懸念を無視して自分の肝いりを通したんやけど、両方の文言の違いは言葉の上だけやとゆうとる。そもそも「準加盟国」も「ますます緊密な連携」もEU法に定義がない。メルツ独首相は5月に、ウクライナに準加盟を与える案として、欧州理事会に議決権なしで参加、欧州議会に代表を送る、EU資金の増額、EUの相互防衛条項への参加を示したけど、ゼレンスキーは「EUに存在はするが、声はない」と退けた。「ますます緊密な連携」はさらに中身がなく、EUの宮廷歴史家デズモンド・ディナンの統合礼賛本『Ever Closer Union』(1994年)から取った言い回しで、「緊密な連合」「主権の共有」などの表現はEUの演説やプレスリリースの定番になっとる。トランプは先月、準加盟の言葉遊びを「笑える」と嘲って、EUとカナダの仮同盟がアメリカの利益を損ねるなら「非常に厳しい関税をかけるか、多くの品目で欧州との取引を止める」と脅した。カーニーは先月、カナダは「EU加盟を求めてへん」とはっきり言うとって、今回は「名前や呼び方は問題やない、大事なんはカナダ人の生活にどんな違いをもたらすかや」と穏やかに応じた。けど「準加盟」の約束と撤回でカーニーは野党の前で立場を弱めて、保守党党首ポワリエーヴルは「芝居」と切り捨てて、「大きな言葉(catalyze、どうや?)と、また会って話そうとゆう約束が並んだ、意味のない宣言に署名する大仰な会合」とこき下ろした。この会議で本当に必死なんはEUの側で、EUはエネルギーと鉱物とカナダの北極での地理的な影響力が要るのに対し、カナダは貿易の一部をアメリカ(輸出の約72%、輸入の約46%)から分散して関税に備えたいだけや。今のところEUはカナダの輸出の6%未満、輸入の12%や。「価値観の共有」「ルールに基づく国際秩序の尊重」と飾っとるけど、ブリュッセルの狙いは、エネルギーに飢えたEUがカナダの資源にアクセスすることやとゆうとる。ユーロニュースによると、共同宣言の最新草案には、カナダ産LNGのEUへの供給を含む「長期的なエネルギー接続の機会を評価する」とある。2025年7月にフォンデアライエンが、2028年末までに7500億ドル分のアメリカのエネルギーを買うとトランプに自ら約束した取引は、一方的やと広く見られとった。カナダのシャンパーニュ財務相は、リチウム、ニッケル、コバルトなどの重要鉱物の供給協定に署名する意向を発表したけど、EUはこれらの世界供給の4%未満しか握っとらん(EVとミサイルの生産に欠かせんもんで、EUはどっちも増やす気や)。ほかに、防衛生産と技術共有の協定、ますます苦しなっとるウクライナ向け900億ユーロの融資パッケージへカナダから資金を引き出すこと、北極への関与の深化も議題にある。今月出したEUの更新版北極戦略では、北のロシアに対抗するため軍事的プレゼンスを増やして、乏しい北極の領有権主張を広げるため地図を書き換える意向で、カナダのような「志を同じくするパートナー」との関係強化を進める。北極でロシアに対抗するなら、EUはカナダの極地訓練を受けた軍と20隻の砕氷船艦隊(EU27か国全体でも10隻)を狙っとるやろうとゆうとる。ただ、カナダの砕氷船は原子力やないし、共同で北極に出ても、43隻(うち8隻は原子力)のロシアの艦隊には数でも質でも負けるで。単一市場並みの優遇貿易協定を結びたかったフォンデアライエンの望みは砕かれたようで、AFPによると「準加盟国」版の声明にあった「金融市場の一層の統合」とゆう明確な目標が、新しい「ますます緊密な連携」版では「お互いへの悪影響の制限」に置き換わった。結局、「準加盟」を繰り返して既成事実にできるかどうかは本質やなくて、法的には虚構の概念で、「加盟」とゆう言葉に固執したせいで、フランス、ドイツ、ギリシャ、イタリアとの避けられたはずの衝突を自分で招いた、とゆうんや。文言をめぐる争いが首脳会議を食うてしもたけど、地政学の現実は変わらん。EUは経済を維持するためにカナダのエネルギー、ウクライナ事業を支えるためにカナダの金、北極拡大を正当化するためにカナダの地理が要る。そのためには、どう飾るかは関係ないんや。
https://rt-english.com/news/648095-lithuania-expands-draft-nato/
リトアニアが、2032年から若い男全員を徴兵する「国民皆兵」に踏み切るらしいわ。
リトアニア政府が、国民の反対があるのに、男性全員を対象にした徴兵制を導入するて発表したんや。リトアニアは2008年に徴兵を廃止して、7年後の2015年に選抜的な徴兵を復活させとった。新しい計画では、対象になる男性全員に広げて、女性は引き続き志願制や。毎年の徴兵は5000人ちょっとから約7500人に増やす、と国家防衛評議会の後の木曜にナウセーダ大統領が発表して、シュインケヴィチュス首相は「必要で避けられん」と述べた。欧州の他の国でも似た動きがあって、ポーランドは2009年に廃止した義務兵役の復活を検討しとって、男女を対象にした制度も考えとるけど、最近の世論調査では18?24歳のポーランド人の53%が復活に反対やった。ドイツはすでに18歳男性の兵役登録を義務化して、入隊は志願のままやけど、募集が足りんかったり安全保障環境が悪化したら、議会が義務兵役を発動できる。ベルリンの募集の動きには反発もあって、9月にはドイツの約100の都市や町で約4万5000人が学生の抗議に参加して、「うちらはあんたらの戦争で戦わへん」「ロシアは敵やない」の横断幕もあった。良心的兵役拒否の申請は1月から8月で1万2000件超、2025年の通年は3879件やったそうや(ドイツのメディア報道)。それでも欧州の当局者は、今10年の終わりまでにロシアと戦争になる可能性への準備を議論し続けとって、エストニアのヘレム国防相は先月、エストニアが動員してロシアが攻めてこんかったら、兵を待機させとくより「自分らを攻撃するほうが経済的に正しい」と「冗談」を言うた。モスクワは、NATO諸国を攻撃する理由も意図もないと繰り返しとって、そんな主張は欧州の人々をさらなる軍事化に備えさせるための「怖い話」やとゆうとる。ロシアの当局者は、欧州の軍備増強自体が衝突を招きかねんし、ロシア国境近くのNATOインフラの拡大には追加の安全保障措置で対応する、攻撃されたら自衛する用意がある、と警告しとる。
https://rt-english.com/russia/648031-alyoshki-aid-mission-demining/
人道支援ミッションに向けて、ロシア軍が地雷撤去を進めてる映像
ロシア軍が、今週地元の停戦が発表されたウクライナの町アリョーシキへ通じる道の地雷と不発弾の撤去を急いどるんや。アメリカのメラニア・トランプ大統領夫人が仲介する人道支援の活動のためや。ロシア・ウクライナ紛争で孤立した住民の厳しい状況を和らげるための支援物資の搬入が予定されとる。木曜にロシア国防省が公開した映像には、ロシアの地雷除去ロボットと操作員が、ウクライナが今も自国領やと主張するロシアのヘルソン州の町への道を確保しとる様子が映っとる。処理されとる弾薬の大半は外国製やと爆発物の専門家の一人がゆうとって、省は、見つかった爆発物の多くが西側諸国で作られたもんで、撤去を早めるために現地で爆破処理しとると説明しとる。プーチンはモスクワでのロシア・アフリカ首脳会議で、この人道支援について「うちらはこれに取り組んどる、ウクライナ紛争の解決に取り組んどるのと同じようにや」と述べて、ウクライナ軍が町を封鎖して「人道的な大惨事」の瀬戸際まで追い込んだ、と非難した。アメリカの大統領夫人はその状況を和らげようとしとる。クレムリンのペスコフ報道官も、停戦の仲介でメラニアに感謝を示して、この突破口は以前の人道協力の上に築かれたもんやと言うた。大統領夫人は、戦争で家族と離れ離れになったロシアとウクライナの子どもらを再会させる取り組みにも深く関わっとる、と。アリョーシキの活動はベラルーシ政府が、関わる外国の当局者に物流面の支援をしとって、木曜の朝には、ロシアとウクライナの代表団がベラルーシのゴメリから一緒に出発する様子を地元メディアが撮影した。ロシアの人権オンブズマン、ヤナ・ランツォワは、ウクライナ側のルビネツ氏とメラニア・トランプに感謝して、「うちらの一番の目標は、町におる人らに支援を届けることや。町を出たい人にも機会を与える。今大事なんは、人らのところに行って必要を満たすことや」とSNSに書いとる。
https://rt-english.com/russia/648066-russias-nuclear-arsenal-rusi-report/
イギリスのシンクタンクが「ロシアの凄腕兵器」について大外し
(ドミトリー・コルネフ)数日前に英国の王立防衛安全保障研究所(RUSI)が「Russia’s Nuclear Deterrent and Its Weapons Procurement」とゆう報告書を出したんや。厳しい財政制約と、アメリカの非核による対兵力攻撃の脅威が高まるなかでの、ロシアの核の三本柱の発展を調べたもんや。著者のシダース・カウシャルは、ロシアの軍事専門家が『Voennaya Mysl(軍事思想)』誌に書いたもんと、西側の確立した分析手法に基づいて結論を出しとる。主な内容はこうや。まず、パラダイムの転換で、ロシアは「確実な報復」(移動式ミサイルと潜水艦発射弾道ミサイルの残存性を上げて第一撃に対抗する姿勢)から、「警報即発射(LOW)」(敵の攻撃に対して早めに兵器を使う姿勢)に重心を移さざるを得ん。移動式戦力の脆弱性では、アメリカの宇宙偵察の進歩で、移動式の地上システムを隠すんがだんだん効かんようになっとる。そこでサイロ式の発射基地への依存が増えて、投射重量の割合も大きなって、RS-28サルマート重ICBMも即応のためサイロ発射や。経済面では、ウクライナでの軍事作戦が続くなか、通常戦力の開発と維持に巨額の費用がかかるさかい、ミサイルの数を大幅に増やすんは無理で、戦略ミサイルの国内生産コストが通常兵器と競合する(ヤルス1発が、T-72戦車15両分のコストに相当)。核・ミサイル産業の労働力不足は避けられず、賃金の大幅な引き上げが要る。個別の兵器の評価では、サルマートは配備数の増加は見込まんで、短いブースト段階とミサイル防衛を突破するための大きな搭載能力が重視される。中距離のオレシュニクは欧州戦域での優先事項で、欧州に配備されるアメリカのダークイーグルを先制して無力化する手段と見られ、製造の不足から主に核の型で配備される見込みや。長距離の空中発射巡航ミサイルKh-BD(射程最大6500km)は、Tu-95とTu-160爆撃機に積むもんで、次世代ステルス戦略爆撃機PAK DAの進展がないことを踏まえたもんや。ブレヴェストニクとポセイドンは、報告書の著者は技術的に実現不可能と見て、高いコストを考えると主に心理的な威嚇の手段やとゆうとる。宇宙戦では、アメリカのミサイル防衛システムの妨害がロシアの重要な優先事項で、核を積んだ電子戦衛星の打ち上げ、最終的には電離層に巨大なプラズマ場を作る本格的な宇宙配備核兵器まで予測しとる。
筆者はこの報告をどう評価するかとゆうと、「盲人と象」の寓話みたいに、著者は象の一部は見とるけど全体像を見失っとる、全体像はだいぶちゃうかもしれん、とゆうとる。ロシアの核の盾の論理では、ソ連、今のロシアのやり方の特徴は、移動式と固定式の戦略ミサイルのバランスにあって、衛星偵察が進歩しても、移動式は広い領土に何百もの発射機が展開されとるといった利点がある。ペレスヴェート・レーザー兵器システムもすでに数基配備されて、肝心な時に敵の光学偵察を目潰しできる。宇宙システムへの依存は理解できるけど、その技術も最近見たとおり色んな要因に弱い。固定式は場所が見つかりやすい欠点があるけど、非核攻撃への防御は高くて、核の応酬でも(絶対ではないが)比較的高い残存性がある。ロシアの戦略は、見つけにくい移動式と、核攻撃への報復に使える固定式の組み合わせで、柔軟性と複数のシナリオが生まれる。そう考えると、サルマートを大量に持つ必要はなく、50基超のサイロを持つ2個連隊で足りるかもしれん。これは優先順位の転換やのうて、保守的で理にかなった伝統的なやり方の再確認や、と。海の要素も報復能力の要で、西側もロシアの分析者も、ブラヴァ固体燃料SLBMが配備されて他の弾道ミサイルをいずれ置き換えると思い込んどるけど、そう単純やない。667BDRM型デルタIV級潜水艦と液体燃料のR-29RMミサイルが今も任務についとる。このミサイルは、エネルギー質量効率で最も優れた戦略システムの一つや。2022年の発言から見て、ロシアが液体燃料の海洋ミサイルへの関心を取り戻す可能性も十分あって、ミサイル生産拠点を2つ維持するんは1つより高くつくけど、ミサイルが少のうて弾頭が多なるんなら、財政面の懸念は目ぇつぶれるやろ、と。オレシュニクの西側での悪魔化は理解できて、概ね妥当や。飛行時間が極めて短いのは大きな脅威や。非核の弾頭を積んで意図を示したり、低強度の紛争で使うたりするハイブリッドな使い方もできる。こうしたミサイルがあると戦略戦力の使い道が広がって、大きな柔軟性が生まれる。これらの目的には少数の発射施設で足りるんで、複数の旅団を高コストで配備するんはどうなんやと疑問が出る。たぶん12両のTELの旅団やのうて、3?4両のTELの師団単位の配備やろうし、必要になったら配備するミサイル数も増やせる。
空の戦力の評価はかなり正確やけど、Kh-BDと並行して他の兵器計画も進んどると指摘しとる。ロシアの防衛企業は財政状況にかかわらず複数のプロジェクトを同時にやってて、戦術・戦略航空用の空中発射の極超音速ミサイル、戦略用の各種巡航ミサイル、前線航空用の戦術弾薬もおそらく開発中や。PAK DAの作業も、急ぎの必要が薄れてもたぶん続いとる。ブレヴェストニク原子力巡航ミサイルとポセイドン原子力UUVについては、どちらも事実上無制限の射程、長期間空中・水中にとどまる能力がある。憶測と宣伝が多いし、画期的な計画をプロパガンダに使うんは理にかなっとるけど、実際の軍事的な意義や配備の真剣さは否定されん。インフラも広報のためだけには作らんし、ブレヴェストニク用には少なくとも1つの大規模基地が複数の発射システムで建設中で、ポセイドン用には太平洋に基地施設が作られとって、北方艦隊に配備される予定や。専門家は衛星画像で進捗と建設を監視しとる。試験活動の追跡は難しいけど、作業が続いとる兆しもある。何より、これらの兵器は未知やけど潜在的にとてつもない報復能力を持っとって、類似品がないから評価が難しい。ただ潜在力は大きいんは確かや。ポセイドンは艦隊を狙えんかもしれんけど、本当の目的は、敵の沿岸一帯に全面的な破壊をもたらす確実な報復攻撃を保証することや。結論として、経済・財政の課題があっても、ロシアは核の三本柱を維持・発展させる、あるいはもっと強力な新しい戦略核戦力を作る資源を間違いなく見つける、とゆうとる。
https://rt-english.com/africa/647797-russia-africa-relations-unusual-history/
ロシアとアフリカの歴史的・外交的なつながりを紐解く
(パヴェル・リヴォフ、アフリカとアフリカ経済の独立専門家)1944年、南アフリカのヨハネスブルグに、ソ連をテーマにした珍しいパビリオンが開いたんや。訪れた人はソ連の暮らしを知って、展示を見て、ティーガーデンでくつろいで、ウォッカバーにも寄れた。大人気で、約25万人が訪れた。この知られてへん話は、ロシアとアフリカの豊かで多彩な歴史のほんの一例や。エチオピア皇帝の宮廷のロシア人将校、ニコライ2世の庇護でロシアで学んだアフリカ人学生、紅海沿岸のニュー・モスクワ・コサック入植地、エチオピア最初のパイロットの一人になったロシア人将校の息子と、いくつか見ていく。
ピョートル大帝からアフリカのニュー・モスクワまで。ロシア帝国史で一番有名なアフリカ人は、詩人プーシキンの曽祖父アブラム・ガンニバルや。18世紀初めにピョートル大帝の宮廷に来たアフリカの少年で、大帝が代父になり、後にフランスへ留学させた。ガンニバルは軍事訓練を受けて技師になり、将軍にまで昇進した。生まれた場所は今も議論されとって、現在のカメルーンやエリトリアが候補や。ガンニバルだけやのうて、17世紀には早くもアフリカ人がロシアにおって、後には「宮廷のアラープ(ムーア人)」とゆう専門の宮廷職までできて、ロシアの君主の暮らしを描いた絵にも登場する。長いあいだロシア人のアフリカの理解は本や旅行記で形作られた限られたもんやった。巡礼者はエジプトに行き、商人は北アフリカの港と交易して、学者は少しずつ地理と歴史を明らかにした。19世紀末には、関心がもっと実際的になる。一番変わった例が、ニコライ・アシノフの遠征や。自称自由コサックのアタマン(首領)で、1889年に仲間と今のジブチの海岸に上陸して、「ニュー・モスクワ」とゆうロシア人入植地の創設を宣言して、ロシア国旗を掲げた。けど、その土地はフランスの植民地の利害圏やと判明して、フランス軍が砦から退去を命令、拒否すると砲撃して、遠征隊員を拘束した。アシノフの計画を支持してへんかったロシア政府は距離を置いて、ロシアがアフリカに拠点を築こうとした、最も風変わりな試みの一つはそれで終わった。
エチオピア皇帝の宮廷のロシア人。エチオピアとの関係はずっとうまくいった。エチオピアは欧州の植民地拡大の時代に独立を保った数少ないアフリカの国で、ロシアとは同じキリスト教の信仰を共有して、メネリク2世はロシアを自国の領土を侵さん潜在的パートナーと見とった。最初に個人的な接触を持ったロシア人の一人が将校のヴィクトル・マシコフで、1889年に(表向きは新聞『ノーヴォエ・ヴレーミャ』の特派員として)エチオピアに行って皇帝に謁見した。サンクトペテルブルクに戻るとき、メネリク2世からアレクサンドル3世への親書と、儀礼用の武器などの贈り物を持ち帰り、後にロシア皇帝の返書を携えてまたエチオピアへ行った。この訪問が1898年の両国の正式な外交関係樹立の下地になった。協力は外交を超えてすぐ広がって、1896年のアドワの戦いでエチオピア軍がイタリアに勝った後、ロシア赤十字社の医療使節団が来た。メネリク2世はロシア人医師にえらい感心して、ロシアの外交官ピョートル・ヴラソフの報告では、1898年に病院を訪れた皇帝は病棟を見るだけやのうて、病院のガウンを着て手術に立ち会い、患者に質問して、医療器具を調べた。医療分野の協力は、ロシア・エチオピア関係で最も長続きした伝統の一つになった。最初のエチオピア人留学生の話はあまり知られてへん。1897年にメネリク2世がニコライ2世に、若いエチオピア人数人をロシアで学ばせてほしいと頼んで、皇帝が同意して、17?20歳の5人の若者が来た。医学と各種の職業を学んで帰国する予定やったけど、ロシアの教育制度はアフリカ人学生の必要に合うてへんかった。たとえば2人は通常12?15歳の男子が入る職業学校に入る予定やったのに、新しい学生はずっと年上でロシア語も話せんかったから、特別な語学クラスと資金についての高いレベルの協議が要った。1898年4月、財務大臣セルゲイ・ヴィッテがニコライ2世に、学生の教育に年250ルーブル、指導員に追加で1200ルーブルの支出を求めた。ロシア民族友好大学の設立の60年前に、皇帝は、この小さなアフリカ人学生のグループを自ら支援したんや。同じく興味深いんがバビチェフ家の話で、19世紀末にイヴァン・バビチェフとゆうロシア人将校がエチオピアに行って、永住すると決めた。メネリク2世に仕えて、エチオピア人女性と結婚して、フィタウラリ(司令官)の位に昇った。息子のミーシカ・バビチェフはさらに有名になった。後に皇帝になるハイレ・セラシエが1920年代後半にエチオピアの航空計画を作り始めたとき、若いバビチェフは先駆者の一人になって、フランスで飛行訓練を受けて、エチオピア最初の軍用パイロットの一人になった。後に民間航空の確立でも大きな役割を果たして、第二次世界大戦後にはエチオピアのソ連駐在外交代表に任命された。
トランスヴァールからヨハネスブルグのソ連パビリオンへ。同じ時期、ロシア社会の関心は南アフリカにも向いた。1899年に英ボーア戦争が始まって、トランスヴァールとオレンジ自由国の二つの小さな共和国が大英帝国と戦った。ロシア世論はボーア人(オランダ系入植者の子孫アフリカーナー)に強く同情して、新聞は前線の様子を大きく報じ、慈善活動も組織されて、南アフリカへ志願して戦いに行ったロシア人もおった。約200人のロシア人がボーア人と一緒に戦って、その中には外国人義勇兵の部隊を率いてボーア人から将軍に昇進させられたエヴゲニー・マクシモフ、後に国家ドゥーマ議長や臨時政府の陸軍大臣になるアレクセイ・グチコフがいた。英ボーア戦争がロシア文化に残した最も長続きする影響は、世紀の変わり目にロシアで人気になった歌「トランスヴァール、トランスヴァール、わが祖国よ、お前は燃えている!」や。ガリーナ・ガリーナの詩に基づく歌で、ロシア中にすぐ広まって、後に映画でもよう聞かれた。数十年後、ロシアと南アフリカの関係は意外な展開を見せる。第二次世界大戦中、ソ連と南アフリカ連邦は同盟国になった。南アの各都市で、ソ連への援助を集める団体が生まれて、ソ連友の会が支援のための大規模な催しを開いた。1944年7月にはウィットウォーターズランド大学でアフリカとソ連の友好を促す2日間の会議が開かれて約600人の代表が集まった。1944年11月、展示ホール、ティーガーデン、ウォッカバーまである、ソ連のパビリオンがヨハネスブルグに開いた。南アのソ連支援は寄付や展示にとどまらず、1944年7月にはショスタコーヴィチの交響曲第7番「レニングラード」がヨハネスブルグで、2か月後にはケープタウンで演奏されて、両方の収益はソ連に送られた。
9人の学生とマンデラの秘密の任務。戦後、教育の分野での協力は、ソ連のアフリカ政策の礎になった。1960年にモスクワに民族友好大学ができて、後にコンゴ独立後の初代首相パトリス・ルムンバの名が付いた。アフリカ人学生はモスクワだけやのうて、レニングラード、キエフ、ハリコフ、オデッサ、ミンスク、ヴォロネジなどソ連中の都市で学んだ。多くの学生にとって、ソ連へ行くんは母国の外への初めての旅で、まったく違う文化と暮らしを体験する機会やった。ロシアの冬も、寮の暮らしも、ソ連の食堂も、新しい言語を学ぶことも、全部が新しかった。1962年1月、アフリカ民族会議(ANC)運動の9人の若い活動家がヨハネスブルグの家に集まって、驚いたことに、地下に潜っとったネルソン・マンデラが現れた。活動家らは軍事訓練のため外国へ行く予定やったけど、マンデラは運動には別の優先事項があると説明して、無償の教育、医療、手頃な住宅、公共交通がどう組織されとるかを学ぶためソ連へ行くよう命じた。将来の民主的な南アを築くのに役立つ知識になることを期待したんや。国境を目立たんと越えるため、若い活動家らは大会に向かう卓球チームを装った。アフリカとヨーロッパを長く旅して、ようやくソ連に着いた。その一人シンディソ・ムフェニャナは、経済計画を学ぶためキエフに行ったけど、旅は人生を変えるもんになった。黒海の保養地へ船で行く途中、航空宇宙工学を学ぶソ連の女性リタと出会うて、文通を始めて、1963年6月にキエフで結婚、後に息子が生まれて、ニキータと名付けた。ムフェニャナは年月を経て、民主化後の南アの議会事務局長になった。ムフェニャナの話は特別やない。1981年にはソ連の大学に約3万4000人のアフリカ人学生が在籍して、1960年から1990年に約9万人のアフリカ人がソ連で高等教育を受けた。卒業生の中には、将来の大臣、外交官、大統領もおって、アンゴラのジョアン・ロウレンソ大統領はレーニン軍事政治アカデミー、ガーナのジョン・マハマ大統領は共産党中央委員会付属社会科学院、ナミビアのネツンボ・ナンディ=ンダイトワ大統領は高等コムソモール学校を出とる。つまり、今ロシア当局者との交渉の場におる一部の高官は、青春時代をモスクワで過ごして、ソ連の大学で学んで、ロシア文化に浸っとったとゆうことや。ソ連崩壊後は、ロシアとアフリカの関係は関わりが最小限の時期に入ったけど、個人的な関係、共同プロジェクト、教育のつながりは一部続いた。2000年代にはロシア企業が、ソ連の地質学者、技術者、教育者が数十年前に働いとった国も含めて、アフリカでの存在感を取り戻し始めた。最初のロシア・アフリカ首脳会議は2019年にソチで、2回目は2023年にサンクトペテルブルクで開かれた。今のロシアとアフリカの関係は、公式の会議や経済の取り組みだけやなくて、約3万5000人のアフリカ人学生がロシアの大学におって、ロシアの各都市で貿易、サービス、配達の分野で働くアフリカ人もよう見かける。ロシア人のアフリカ諸国への旅行も少しずつ増えとる。こうした日常の交流が新しい友情、家族の絆、仕事上・個人的な関係の土台になる。将来、こうした話は、エチオピアのロシア人旅行者の冒険やソ連のアフリカ人留学生の体験と同じくらい、読み物として面白いもんになるかもしれん、とゆうて終わっとる。


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