2015年7月20日月曜日

スパイ適性マトリックス

久しぶりに開高健の「輝ける闇」を読んで考えた。
イラク戦争のときはイラク三馬鹿トリオ+2っていうのがいたし、シリアでも殺されたジャーナリストがいた。彼らは話題になったけれど、何をどう伝えたかというのは出てこない。信濃毎日の記者で自腹でシリアに行った安田純平さんが拘束されたとかいうのはどうなったのだろう?彼は何を伝えたかったのだろう?

一連のあれこれを通じてジャーナリズムというのは云々たるべしという声が大きく高いのだけれど、イラクでもシリアでも、ひとりの開高健も出ず、ひとりの秋元啓一 も出ていないというのはどういうことなのだろう?

ジャーナリズムというのはよくわからないし、ジャーナリストになろうと思ったこともないけれど、我が輩はスパイだった人たちが教官を務めていた学校で勉強したことがあるので、スパイには人一倍興味がある。あちこちの国で暮らして、ここらへんで考えたが固まったのでまとめておこうと思うスパイの適性。

まず現地人に見えることが最適。現地人に見えたら、第一に目立たないし、第二に疑われない。第三になにかあったとき人民に紛れ込むことができる。第四に、現地人から犬以下の扱いを受けたりするけれど、友達になれることもある。

つぎに言葉。言葉ができるにこしたことはないけれど、聞くことができる程度に努力して学習すればいい。

スパイの適性としてはまず外見。いわばそれだけ。これを備えていなかったら、その地域ではスパイになれない。

現地人に見えなければ、いくら言語ができてもせいぜいジャーナリスト、つまり傍観者でしかない。現地人にみえなくて言葉ができなかったら、そもそも現場にいる意味がない。

我が輩はパキスタンで民族服を着たらハザラーという人たちにしかみえないらしく、街では目立たないかわりに、市場にいったらパキスタン人に犬以下の扱いを受ける。イランではさすがに外国人と認識されるみたいだが、アフガン人の建設現業労働者に「やあ、ブラザー」的な視線で見られることがある。中国ではどんな場末の飯屋にいっても快適だけれど、異国の中華街で中国語を話したらもちろん犬以下の扱いを受ける。マレーシアの半島部分でヒゲを生やしたらマレー人に見えるけれど、ヒゲを剃ったら華人にしかみえないので、マレー人から犬以下の扱いを受ける。ボルネオでは現地人にしかみえないので、とても快適に過ごすことができる。千葉県柏市で自転車に乗っていたら小学生のガキに「アメリカ人!」と言われたので「ハロー!」と言ってやったが、娘が小学生のころに担任の先生に不審者と思われたことがある。

ジャーナリストっていうのは外国人たることが前提なので、こんな思いはあんまりしないだろうな。だから開高健も出ないし、秋元啓一 もでないのか?

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