「JICA首脳に会った米国のアフリカ専門のコンサルタントが内緒話」について
前回のブログで岩波の「世界」12月号の谷口長世さんの「本当の話をしよう」から次の部分を引用した:
「二年ほど前。JICA首脳に会った米国のアフリカ専門のコンサルタントが内緒話を教えてくれた。『そのJICAの人はね、日本人は未だに夢見る人なんですと、とからからと嘲笑したのだよ。』つまりこれまでの純粋に人のため、世のための日本の開発・人道援助を笑い飛ばしたのだ。この内緒話を示唆するようなインタビューを2015年秋、新しくJICA理事長に就任した北岡伸一氏が英国日刊紙で行っている。一言で要約すると、今後の日本の援助は戦略的に日本の国益にもなる案件を優先する、ということだ。だが安倍首相や北岡氏が期待するほど、援助が簡単に国益に結びつくとは限らない。南スーダンが良い例だ。」
云々。
「そのJICAの人」っていうのが北岡さんのことだと示唆されているのだけれど、たぶんその時期のJICA社内報を見る機会があった。社内報なんてたいてい記憶に残らないんだけれど、その号は記憶に残っている。歴史ドラマにでてくる坂本龍馬の言葉みたいな表現で、「とんがった人材を求む」みたいな特集だった。その時に、とんがった人材かぁ・・・という感想をもったのでよく憶えていたのだ。
北岡さんの前任のマダム緒方はいろんな意味で受けがよかったけれど、我が輩としてはピンとこなかった。マダムは重点をアフリカにシフトしたけれど、なんで遠いアフリカに?というのもあったし、アフリカは伝統的に欧州の所有・管理する狩猟フィールドで、それに中国が横入りした。欧州はそれが気に入らないので、アメリカを巻き込んで水面下(といっても独裁国家に資金供与とか、独裁国家はその資金で武器買いまくりとか)で動いていて、当然我が国政府もアフリカが遠かろうがなんであろうが西欧がそう仰せなら・・・という文脈にのっとったとした思えない。だからアフリカシフトはマダムのオリジナルな発想でもなんでもなく、世界の、すくなくとも西欧の潮流にのっとった文脈であって、それ以外のところでマダムのユニークさっていうのが、勉強不足のせいでよくわからなかったのだ。
だから北岡さんの治世になっても既定路線で、オリジナルは「とんがった人材求むぜよ」くらいなのだな、という理解だった。
「日本人は未だに夢見る人」っていうのはその通りで、JICAのなかでもそういう人は多いだろうと思うし、それは何よりも世界一ユニークな憲法第9条をもつ国で生まれ育った我々日本人としては自然な感覚だ。それを笑い(嘲笑というのは谷口さんなりの解釈)、「とんがった人材求むぜよ」と坂本龍馬の文体で訴えたのは、歴史に対する造詣と教養なのだ。坂本龍馬はグラバー氏(神戸異人館通りのグラバー邸のオーナー)を通じて資金と武器供与を受け、反政府(反幕府)武装勢力を組織したのだから、いわばいまのシリアの反アサド武装勢力のボスみたいなものだったのだから、アフリカを中国の好きにさせてたまるか!という立場からすればまさに文脈は整合するのだ。
そもそも我が輩はアフリカといえばチュニジアしか行ったことがないし、チュニジアがアフリカか?と言われれば、いや違いましたチュニジアは地中海沿岸国でした、というしかない。チーズとフランスパンとワインと料理がうまくて安い、という印象。
仕事欲しさにアフリカ案件について調べたことはあるけれど、貧しい国は貧しいなりに、富める国(ナイジェリアみたいな資源国)は富める国なりにどうしようもないことが、調べれば調べるほど出てきて、想像はいい方向に向かわない。
フランス語ができればそれなりに面白い情報を手にいれることはできるんだろうけれど、我が輩はフランス語ができない。フランス料理店なんて怖くてはいったことすらない。
ドツボな国でも仕事にありついて滞在していれば高給が取れる(アフリカは軒並み月給60万円前後!)のだし、成果らしい成果を出している人なんでほとんどないんだから、たとえ成果が出なくても言い訳はたーんとあるやん、という考えかたもあるのだろう。けれど、団塊の世代のエンジニアたちがそれこそ「世のため人のため」に開発現場で泥水すすって頑張り、日本人の名声を高めてきた、その成果を我々の世代が食いものにするのは人倫に反するんじゃないか、と内なるブシドーがつぶやく。
アフリカは遠い。欧州はアフリカや中東からの搾取で富を蓄積し、人権だISOだと勝手なルールを作り、マーケティングでブランドを確立し、その価値観を我々に押し付けてきた。欧州が移民問題で困るのは自業自得であって、そんな汚れた白い尻をなんで日本人が拭わねばならんのか、我が輩にはさっぱりわからん。現政権の顔は大アジア共栄圏みたいに見えるけれど、あんがい尻は白いのかもしれない。
「二年ほど前。JICA首脳に会った米国のアフリカ専門のコンサルタントが内緒話を教えてくれた。『そのJICAの人はね、日本人は未だに夢見る人なんですと、とからからと嘲笑したのだよ。』つまりこれまでの純粋に人のため、世のための日本の開発・人道援助を笑い飛ばしたのだ。この内緒話を示唆するようなインタビューを2015年秋、新しくJICA理事長に就任した北岡伸一氏が英国日刊紙で行っている。一言で要約すると、今後の日本の援助は戦略的に日本の国益にもなる案件を優先する、ということだ。だが安倍首相や北岡氏が期待するほど、援助が簡単に国益に結びつくとは限らない。南スーダンが良い例だ。」
云々。
「そのJICAの人」っていうのが北岡さんのことだと示唆されているのだけれど、たぶんその時期のJICA社内報を見る機会があった。社内報なんてたいてい記憶に残らないんだけれど、その号は記憶に残っている。歴史ドラマにでてくる坂本龍馬の言葉みたいな表現で、「とんがった人材を求む」みたいな特集だった。その時に、とんがった人材かぁ・・・という感想をもったのでよく憶えていたのだ。
北岡さんの前任のマダム緒方はいろんな意味で受けがよかったけれど、我が輩としてはピンとこなかった。マダムは重点をアフリカにシフトしたけれど、なんで遠いアフリカに?というのもあったし、アフリカは伝統的に欧州の所有・管理する狩猟フィールドで、それに中国が横入りした。欧州はそれが気に入らないので、アメリカを巻き込んで水面下(といっても独裁国家に資金供与とか、独裁国家はその資金で武器買いまくりとか)で動いていて、当然我が国政府もアフリカが遠かろうがなんであろうが西欧がそう仰せなら・・・という文脈にのっとったとした思えない。だからアフリカシフトはマダムのオリジナルな発想でもなんでもなく、世界の、すくなくとも西欧の潮流にのっとった文脈であって、それ以外のところでマダムのユニークさっていうのが、勉強不足のせいでよくわからなかったのだ。
だから北岡さんの治世になっても既定路線で、オリジナルは「とんがった人材求むぜよ」くらいなのだな、という理解だった。
「日本人は未だに夢見る人」っていうのはその通りで、JICAのなかでもそういう人は多いだろうと思うし、それは何よりも世界一ユニークな憲法第9条をもつ国で生まれ育った我々日本人としては自然な感覚だ。それを笑い(嘲笑というのは谷口さんなりの解釈)、「とんがった人材求むぜよ」と坂本龍馬の文体で訴えたのは、歴史に対する造詣と教養なのだ。坂本龍馬はグラバー氏(神戸異人館通りのグラバー邸のオーナー)を通じて資金と武器供与を受け、反政府(反幕府)武装勢力を組織したのだから、いわばいまのシリアの反アサド武装勢力のボスみたいなものだったのだから、アフリカを中国の好きにさせてたまるか!という立場からすればまさに文脈は整合するのだ。
そもそも我が輩はアフリカといえばチュニジアしか行ったことがないし、チュニジアがアフリカか?と言われれば、いや違いましたチュニジアは地中海沿岸国でした、というしかない。チーズとフランスパンとワインと料理がうまくて安い、という印象。
仕事欲しさにアフリカ案件について調べたことはあるけれど、貧しい国は貧しいなりに、富める国(ナイジェリアみたいな資源国)は富める国なりにどうしようもないことが、調べれば調べるほど出てきて、想像はいい方向に向かわない。
フランス語ができればそれなりに面白い情報を手にいれることはできるんだろうけれど、我が輩はフランス語ができない。フランス料理店なんて怖くてはいったことすらない。
ドツボな国でも仕事にありついて滞在していれば高給が取れる(アフリカは軒並み月給60万円前後!)のだし、成果らしい成果を出している人なんでほとんどないんだから、たとえ成果が出なくても言い訳はたーんとあるやん、という考えかたもあるのだろう。けれど、団塊の世代のエンジニアたちがそれこそ「世のため人のため」に開発現場で泥水すすって頑張り、日本人の名声を高めてきた、その成果を我々の世代が食いものにするのは人倫に反するんじゃないか、と内なるブシドーがつぶやく。
アフリカは遠い。欧州はアフリカや中東からの搾取で富を蓄積し、人権だISOだと勝手なルールを作り、マーケティングでブランドを確立し、その価値観を我々に押し付けてきた。欧州が移民問題で困るのは自業自得であって、そんな汚れた白い尻をなんで日本人が拭わねばならんのか、我が輩にはさっぱりわからん。現政権の顔は大アジア共栄圏みたいに見えるけれど、あんがい尻は白いのかもしれない。
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