2017年2月17日金曜日

戦禍のアフガニスタンを犬と歩く ローリー・スチュワート 高月園子訳 白水社

原題は “The Places in Between”
筆者は2001年末から2002年にかけてヘラートからカーブルまでアフガンを歩いた、その記録である。筆者は1973年生まれのスコットランド人。高地軍経験者で外交官。ペルシャ語とウルドゥー語を理解するらしい。ダウン症の妹をもつという筆者は、通途の大英帝国人らしからぬ視点で人や土地を眺め、それらを淡々と描写している。

234ページにいわく、

翌日の午後、アフガニスタンへの外国介入の三本目の柱が2機の巨大なチヌークで到着した。それらのヘリは開いた尾部のタラップに機関銃を手にした兵士を配し、丘の上を低く飛んで東から猛烈な勢いで侵入してきた。30代の外国人の民間人が二人、兵士たちに両脇を守られて現れた。一人はチトラリゾクの帽子をかぶったドイツ人、もう一人は大柄なアイルランド人で、帽子はかぶらずシャルワル・カミースを着ている。彼らは国連の行政官だった。
アフガニスタンの将来の形態を決定する協定が一ヶ月前にボンで調印された。5ヶ月後にロヤ・ジルガが開催され、新政府が進出される。このプロセスを運営している国連特別代表のラクダル・ブラヒミ氏は、政治問題を扱う彼の事務所をアフガニスタンで最も有能な外国人スタッフの何人かで固めた。すなわちダリー語かパシュトー語に堪能で、アフガニスタンでの勤務歴も長く、村の文化も経験している人たちである。しかし、これらのごく少人数の職員で、複数の外国政府や国連のほかの機関、部族の司令官、国際組織、アフガンのテクノクラートたちの相反する利害を扱わなければならない。アフガン新政府と国際的官僚機構のどちらにも気に入られるには、彼らは現場の現実を知りすぎていた。案の定その年の終わりには、彼らはほとんど意味のない仕事に移行していた。云々。
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国際協力、いわゆる開発業界の問題は、政府機関であれNGOであれ市民の税金なり寄付金を使って仕事をしているのだが、評価が難しいことだと思う。
貨幣と交換に商品を購入する場合であれば、商品の機能が対価に見合えばいいはずだ。機能的にじゅうぶんな軽自動車ではなくポルシェみたいな贅沢品を買う場合、虚栄心や所有欲を満たされれば満足するはずだ。
しかし開発業界、とくにイラクやアフガニスタンのような場所での仕事は成果が対価に見合うかどうか。本書にも日本人がつくろうとしたダムの廃墟の話が出てくるのだが、おそらく戦争のため中断・退去をやむなくされたものだろうと思う。
その意味で開発への投資はポルシェのクラシックカーを買うようなものだ。走れないものに金を出す。金額は桁違いだけれど。 

開発業界の問題。プロジェクトを中断しなければならないような戦禍。契約文書でいうところのフォース・マジュールが頻繁に起きること。中断せざるをえない言い訳に誰も文句をつけることができないこと。それが第1。たとえ完成したとしても、提供者(外国人)と利用者(現地人)の立場が異なるがゆえに、評価と基準がどうにでも解釈できること。これが第2。評価レポートを出したとしても、読む立場の納税者や寄付者が現地の事情を知っていることがほとんどなく、仔細な検証ができないこと。ODAオンブズマンというタイトルで開催されるツアーのレポートは賞賛ベースになる。これが第3。おそらく最大の問題は、援助する側(西側であれ中国であれNGOであれ)が純粋に貧困や飢餓を撲滅しようというのではなく、資源や戦略的立地や政治的ポジショニングの獲得というスケベー心を動機に対象地域や分野を選んでいること。さらに国連はじめ各国政府機関も独占的発注者であること。どこもかしこも官僚機構(ビューロクラシー)で身動きできないこと。そのうえで巨額のマネーが轟々と動いていること。
アメリカの援助が成功した例として敗戦後の日本があげられる。これは稀有の成功例であって、アメリカはじめ西側援助機関がその成功体験をもって、援助と効果に対する大いなる誤解と、自分たちの能力に対する大いなる幻想をもってしまったことが今日の大失敗を招いているんではなかろうかと我が輩は考えるのである。そして開発にまつわる修士号や博士号のインフレ状態も。

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