2026年2月2日月曜日

キット・クラレンバーグ:ヒューマン・ライツ・ウォッチがいかにしてユーゴスラビアを粉砕したか

https://www.kitklarenberg.com/p/how-human-rights-watch-shattered

(2026年2月1日)

2025年8月25日に、この記者は1975年のヘルシンキ宣言がいかにして「人権」を西側の帝国主義的な武器に変えてしもたかを記録したんや。その先頭に立っとったんが、アムネスティ・インターナショナルとか、HRWの前身であるヘルシンキ・ウォッチみたいな組織や。こういう組織が出す「独立した報告書」っちゅう名目のもんは、制裁や混乱工作、クーデター、さらには海外の「人権侵害」を口実にした軍事介入を正当化するための、えげつないほど効果的な道具になったんや。そのHRWの使い勝手の良さが一番よう分かる例が、ユーゴスラビアの崩壊や。

2017年12月、HRWは「自画自賛」のエッセイを出して、1992年のボスニア内戦初期に自分らが「戦争犯罪のリアルタイムな現場報告」を公表したことや、紛争での「残虐行為に責任がある軍事・政治指導者を罰するための法的メカニズム」を独立してロビー活動したことが、旧ユーゴスラビア国際刑事裁判所(ICTY)の設立に貢献したって自慢しとった。コロンビア大学が持っとる資料でも、1993年5月のICTY設立において「HRWが根本的な役割を果たした」ことが明らかになっとる。

さらに、これらのファイルには、ICTYによる元ユーゴ当局者への犯罪捜査に対して、HRWが「情報の相互交換」を通じて「様々な協力」をしてきたことも詳しく書かれとる。この組織は、裁判所との密接で歴史的なつながりや、ICTYの仕事が国際刑事裁判所(ICC)の創設を促したことをアピールするんには熱心や。けどな、こういう聖人伝みたいな話の中に、ユーゴ崩壊のために世論と政治的な合意を「捏造」するのにHRWが決定的な役割を果たしたことについては、一言も触れられとらん。皮肉なことに、その崩壊こそが、自分らが記録して訴追する手助けをした「残虐行為」を生み出したんやけどな。

1990年11月、HRWの創設メンバーであるジェリ・レイバーは、ニューヨーク・タイムズに「なぜユーゴスラビアを一つの国にしておく必要があるのか?」いう、偏ったタイトルのオピニオン記事を書いた。コソボへの最近の旅行に触発されたレイバーは、セルビアの一州であるコソボでの現場経験から、HRWとして「米国政府がユーゴスラビアの国家統一を支え続けるべきかについて、深刻な疑念を抱くに至った」と述べたんや。その代わりに、彼女はユーゴの破壊を積極的に促すことを提案して、ワシントンがその目標を達成するための精密なロードマップまで提示したんや。

(写真:1990年、ユーゴ軍の接近から逃れるコソボ・アルバニア人)

つまり、ユーゴスラビアの連邦当局をあらゆる「経済支援」から外して「弱体化」させる一方で、各構成共和国にだけ「民主主義への平和的な進化を助けるため」と称して個別に資金提供をするっちゅうやり方や。彼女は「ユーゴスラビアの国家統一を尊重せなあかんっちゅう道徳的な法律なんてどこにもない」と力強く結論づけた。偶然にもそのわずか数日後、米国の議員たちは、レイバーの処方箋を正式な政府方針として成文化する「対外操入出法」の採決を始めたんや。

この法律の傘の下で、ワシントンはユーゴ連邦政府に対して「直接的な支援」を一切行わんことになった。さらに、6ヶ月以内に米国国務省の監視下で選挙を実施せん限り、各共和国への資金援助も停止されることになった。これで一気に、ベオグラードの中央権力は無効化され、多民族・多宗教の社会主義連邦全体に、苦しくて血なまぐさい独立戦争の種がまかれたんや。恐ろしいことに、HRWはこれがユーゴの「国家統一」を終わらせることの「避けられない」結果やと、十分わかっとったんや。

「多民族の実験」

1991年1月、HRWは『解体されゆくユーゴスラビアにおける人権』という調査報告を出した。レイバーが主筆で、その内容は前年の彼女のコソボ訪問に大きく依存しとった。報告書は、ユーゴ軍が大量動員されとるせいで、セルビアのコソボ州は「今日のヨーロッパで最も深刻な人権侵害状況にある場所の一つ」やと主張した。その結果、コソボは兵士と検問所だらけになった。数多くの匿名の地元アルバニア人が、軍や治安部隊が民間人に対して行ったとされる「むごたらしい残虐行為」の話をHRWに語った。

報告書は、セルビア人やコソボの他の民族・宗教的マイノリティが、以前にアルバニア系住民や「主にアルバニア系で構成された」地方政府から「虐待を受けていた」ことを、短くは認めていた。また、以前のHRWの調査では、ユーゴ軍の任務は「セルビア人マイノリティを保護すること」やったと結論づけとったことも記しとる。しかし、今回の報告書では、もはや軍が駐留する「正当な理由はない」と断言し、その真の目的はセルビア政府に代わって「地元アルバニア人のアイデンティティを抑圧すること」やと主張したんや。

コソボにユーゴ軍が来る前に非アルバニア人が「虐待を受けていた」というのは、えらい控えめな表現やな。1982年11月のニューヨーク・タイムズが報じたように、アルバニア人の過激ナショナリストたちは、ここ数年「スラブ人を一掃した」コソボを作るために、残忍な「テロ戦争」に乗り出しとったんや。その年だけで、2万人の怯えたセルビア人が州から逃げ出した。1987年には、この野蛮な運動が激化して、連邦中のユーゴ当局者や市民が内戦の勃発を恐れとると同紙は記録しとる。

「コソボが国全体の軍事的な問題であり、うちら全員がその上に座っとる火薬庫であることは疑いようがない」と、その3年後に自らの共和国をユーゴから独立させたスロベニア共産党のチーフ、ミラン・クチャンは語っとった。あらゆる民族・宗教出身の「ベオグラードの当局者」たちは、コソボ・アルバニア人の分離主義者による「挑戦」を、この国の「多民族の実験」の根幹を脅かすもんやと見なしとった。彼らは、自分らの国が「レバノン化」すると警告し、その状況をイギリス占領下のアイルランドの「紛争(トラブルズ)」になぞらえとった。

「スラブ人が長引く暴力から逃げ出すにつれ、コソボはアルバニアのナショナリストたちが長年要求してきた通りのものになりつつある……『民族的に純粋な』アルバニア地域や。……去年の夏、(コソボの)当局は……2ヶ月の間にアルバニア人によるスラブ人への攻撃を40件記録した。……スラブの正教会が襲撃され、旗が引き裂かれた。井戸には毒が投げ込まれ、作物は焼かれた。スラブ人の少年はナイフで刺され、一部の若いアルバニア人は長老たちからセルビア人の少女を強姦するように言われとった」

1987年の初め、ベオグラードの9人の大統領評議会(自身もコソボ・アルバニア人のシナン・ハサニが率いとった)は、州内の過激ナショナリストの行動を「反革命的」やと正式に非難した。社会主義ユーゴスラビアの言葉で言えば、これは国の指導部が下す最も重い評価やった。ハサニは1989年2月にも大統領評議会の一員で、そのメンバーは満場一致でコソボに非常事態を宣言し、軍の派遣を決定したんや。

HRWは、自らの報告書の中で、この複雑で不可欠な背景を全くと言ってええほど調査せんかった。コソボ内の非アルバニア人の状況が当時も緊迫しとって、ユーゴの他の場所で起きとる民族対立から逃れてきたセルビア人たちが、当局から「コソボに避難しなや」と明確に警告されとったことについても、何の認識も示さんかった。HRWの歪んだコソボ情勢の見方が、「米国は人権侵害を理由にユーゴ連邦政府に制裁を加えるべきや」という報告書の結論の中心やったことを考えれば、こういう手落ちは到底許されるもんやない。

この結論は、「ベオグラードへの懲罰的な行動は『不可避的に』連邦の崩壊を招き、結果として『人権が損なわれることが事実上保証される』」と広く信じられとることをHRW自身が認めとったにもかかわらず、出されたもんや。しかし、この組織はその立場を「支持せず」、ワシントンが破壊的な制裁を通じてコソボでの人権侵害とされるものに「不快感を表明する」ことの方がはるかに緊急やと考えたんや。一方で、HRWは信じられんことに、「ユーゴスラビアが一つの国として存続すべきかどうかについては、何の立場も取らない」と強調しとったんや。

「コミュニティ間の暴力」

時計の針を2002年12月まで進めると、ジェリ・レイバーはスロボダン・ミロシェビッチのICTY公判に「専門家」証人として出廷した。被告人である元セルビア・ユーゴ大統領のミロシェビッチから反対尋問を受けた彼女は、社会主義ユーゴスラビアの文化、歴史、法制度、政治システムなどについて、目も当てられんほどの無知をさらけ出した。例えば、レイバーは、連邦の創設者で長年のリーダーやったチトーが??有名な話やけど??クロアチア人やったことすら知らんかった。彼女の現地への理解不足は、ミロシェビッチが1991年8月のクロアチア内戦に関するHRWの報告書を解剖した時に、特に致命的になった。

その調査では、あの紛争についていくつか大胆な主張をしとった。クロアチアのナショナリズムの復活を「45年間にわたる共産主義の抑圧とセルビアの覇権への反動」として描き、クロアチア人がザグレブ(クロアチアの首都)はユーゴ内でベオグラードの「家臣」やったことに「憤慨しとる」と説明した。HRWは、証拠もないのに、ミロシェビッチが個人的に地元の緊張と暴力を煽った責任があるとしつこく示唆した。一方で、自共和国のセルビア人人口を完全に抹殺することを公然と主張した、ナチスを崇拝するクロアチア人指導者たちを西側が支援しとったことには、一切触れんかった。

ミロシェビッチはレイバーに、連邦の歴史の中でセルビア人が首相の座についたんは、たった一度、それも4年間だけやったのに、どうしてクロアチアのユーゴ加盟が半世紀近い「セルビアの覇権」やと結論づけられたんか、と問い詰めた。彼はさらに、1982年から1992年までのベオグラードの連邦首相3人が全員クロアチア人やったことや、クロアチア紛争そのものの間、ユーゴの防衛機構を率いて支配しとったんがクロアチア人やったこと、そして法律によって「すべての民族が政府や軍において比例的に代表されとった」ことを彼女が知っとるんか、と畳みかけた。

レイバーは、これら不都合な真実を一つも知らんかったことを認めた。これで、彼女の監視下で出版され、ICTYの結成と訴追の動機となったHRWのあらゆるユーゴ調査報告書の主張は、根底から崩れたわけや。証言台でしどろもどろになった彼女は、HRWの様々なユーゴ調査にある数々の明白にデタラメな主張は、自分らの組織独自の独立した調査結果として意図されたもんでも、現実に根ざしたもんでもなく、単に地元の一部の人らがHRWの調査員に語ったことを反映しただけや、と苦しい言い訳に逃げたんや。

「うちらはそれが事実やと言うてたんやなくて、現地で聞いた態度、みんなが話してくれたことを説明しようとしてたんや……うちらがそう思てた、という意図や含みはなかったんや。ただ、クロアチア人が長年のセルビアの覇権について話してた、と言うてただけや。それは彼らがそう見とるようやったということで、うちらがそうやと言うてたんとちゃう……うちらは、ユーゴスラビアに住んでへん人らに向けて、非常に複雑な状況を……自分らなりの最も単純な方法で説明しようとしとっただけなんや」

こんな重要で、自分たちの存在意義を否定するような保留条件(但し書き)は、当然、ユーゴ崩壊とその後の数々の内戦を招き、HRWが積極的に促進・助長した報告書には一切含まれとらんかった。レイバーの薄っぺらな発言が、ユーゴに関する最も基本的な事実すら知らんのに米国の政策を裏付け、正当化してきた事実は、ワシントンの帝国主義的な目標のために日常的に利用されとる「専門知識」とやらの、あまりにも情けない質を物語っとる。連邦の崩壊が何をもたらすかは完全に予測できたことやし、実際、学者のロバート・ヘイデンは当時それを予測しとった。

1990年12月のニューヨーク・タイムズのオピニオン記事で、ユーゴスラビアの本物の専門家であるヘイデンは、前月に同紙に載ったレイバーの「米国は連邦を粉砕すべきや」という強硬な主張を「理解の欠如が甚だしい」と厳しく非難した。彼は「この国をバラバラにしようとしとる連中は強力なナショナリストであり、自国内のマイノリティをまともに扱うはずがない」と正しく警告し、その年8月の連邦軍の介入が、国中に広がりかねんかったクロアチアでの武力衝突を「未然に防ぐ」のに役立ったことも記しとった。

当時のベオグラードの状況を南北戦争前の米国になぞらえながら、ヘイデンは「『人権』活動家たちが、ユーゴスラビアをヨーロッパのレバノンに変えてしまうような政策を、これほどまでにお気楽に提唱するとは、実におかしな話や」と断じた。恐ろしいほど正確な先見の明を持って、彼はこう警告した。もしベオグラードの連邦権力が崩壊すれば、「国中に散らばっとる大規模なマイノリティ人口のせいで、各共和国が互いに戦い始めるのはほぼ確実や」。彼の不吉な予言は、今日、悲劇的に的中した預言者の呪いとして響き渡っとる。

「最悪の場合、厳しい弾圧、おそらく大規模な追放、混住都市や家族の引き裂きが起こり、その後に永続的な敵意と……コソボでの現在の人権侵害がまだマシに見えるほどの凄まじい暴力が続くだろう。……ユーゴスラビアの諸国民は、敵対関係にあるとはいえ、互いに固く結びついとる。これらの絆は、少なくとも残虐行為なしには断ち切ることはできへん。だから『人権』擁護者たちは、これらの国民に武器を置かせるような政策を考えるべきであって、同族殺しを誘発するような政策を考えるべきやないんや」

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