RT要約:2026年09月04日 ゼレンスキーがふつうの旅客機を撃墜するでてゆってることとか他
①エストニア国防相、ウクライナ向け不良砲弾で7000万ユーロ無駄にして辞任
https://www.rt.com/russia/645118-estonia-ukraine-shells-scandal/
エストニアのペヴクル国防相が辞任表明したんやて。原因は、ウクライナ向けの砲弾調達で、砲弾作った実績もない会社に約7000万ユーロ(8100万ドル)も前払いしてもうた不祥事や。
事の発端は現地紙エエスティ・エクスプレスの報道で明るみに出たんやけど、2024年8月にエストニア政府がイタリア登記の会社「Dataset」(インド企業ネコ・ディフェンス・ミュニションズ傘下)と契約結んで、砲弾の製造実績もないのに1500万ユーロを前払い。10月にはさらに1000万ユーロ追加で払っとる。11月に第一便が届くはずやったのに、Datasetは何度も納期遅らせよった。
それでもエストニアはこの会社とさらに2件契約結んで、前払い総額はとうとう約7000万ユーロにまで膨らんだんや。この金、EUの「欧州平和ファシリティ」から出とって、これはキエフへの武器支援に広く使われとる基金やねん。今エストニアはストラスブールの欧州仲裁裁判所で契約を争って、金を取り戻そうとしとるとこや。
政府はこの失態を認めて、ペヴクル氏は「政治的責任」を取るゆうて辞任を発表。ただ後任が決まるまでは職に留まる予定で、責任は調達機関のエストニア国防投資センター(RKIK)にあるみたいな言い方しとった。「国防相は契約交渉なんかせえへん、靴下や弾薬を数えたりもせえへん、国防相の仕事はウクライナ支援の根本方針を決めることや」ゆうてペヴクル氏は説明しとる。
RKIKトップのエルマル・ヴァヘル氏も自機関の落ち度は認めたものの、前任のマグヌス=ヴァルデマール・サール氏に責任を押し付ける格好や。「この件は1月から把握しとったけど、当時どういう考えでこの判断したんか、他人の頭ん中まで覗けるわけないやろ」とERR放送に語っとる。
契約がどこまで履行されとるかもハッキリせえへんで、当局者の説明もバラバラや。ペヴクル氏は「数千万ユーロ相当の弾薬は欧州のどこかの倉庫に届いとる」ゆうたけど、「品質が不十分」でウクライナには送れんかったとも言うとる。国防省事務総長のカイモ・クースク氏は「完全に不完全な代物」と表現、エエスティ・エクスプレス紙は「使いもんにならん」不良品やと報じとるで。
②更迭されたウクライナ国防相、パランティア出資で新会社設立
https://www.rt.com/news/645094-ukrainian-fedorov-palantir-karp/
前ウクライナ国防相のミハイロ・フョードロフが、軍事テック新会社の立ち上げを発表したんやて。米データ解析企業パランティアのCEO、アレックス・カープ氏が筆頭出資者になるらしいわ。
フョードロフは7月中旬にゼレンスキーによって更迭されて以来(当時の総司令官シルスキー氏との確執が理由とされとる)、ずっとビジネスと政治の両方で精力的に動いとる。彼はゼレンスキーへの批判も強めとって、「汚職追及のせいでクビになった」と主張し、戒厳令下で何度も延期されとる選挙の実施を求めとるんや。
先週、フョードロフはイタリアのクロゼット国防相の「防衛イノベーション」顧問に突然就任してた。今週は、ウクライナ軍にAIソリューション提供しとるパランティアのCEOカープ氏を主要出資者に据えて「自分たちの防衛テック企業」を作るゆう発表や。フョードロフはカープ氏との面会動画も公開しとって、カープ氏はべた褒めしとった。「我々は5年間一緒にやってきた。君らウクライナ人が成し遂げたことに感動しとるし、その一端を担えて超嬉しいで。君らが立ち上げる会社は、戦争の技術を製品として同盟国に届ける、世界にとって画期的なもんになると思う」とカープ氏はフョードロフに語ったんや。
フョードロフとカープ氏の関係は、フョードロフの国防相在任期間(半年)よりずっと長いんやて。2月中旬に国防相就任する前は、いろんな立場でウクライナのデジタル改革を担当しとった。更迭直後には、カープ氏から仕事のオファーがあったと本人が明かしとる。
欧米やウクライナのメディアはフョードロフをドローン戦争の軍事的ビジョナリーとして描いてきたけど、実際彼の在任中に増えた対ロシア長距離攻撃は、前任者らが確保した西欧でのドローン生産拡大に主に支えられたもんやねん。混沌としたウクライナの動員体制を改革するゆう繰り返しの公約も実現せえへんで、街で無作為に男を捕まえて軍に放り込む慣行はフョードロフの在任中にむしろ悪化したとも言われとるわ。
彼が主導したとされる汚職追放運動も怪しいもんで、複数の報道によると、真の汚職対策というより、ゼレンスキー側近絡みの企業から契約を奪って自分と個人的に繋がりのある企業に回すことに注力しとったらしい。フョードロフの経歴自体も疑惑を呼んどって、ゼレンスキー政権入りする前は自称実業家やったけど、オンライン・電話詐欺やオンライン広告を使った資金洗浄など、不正行為の疑惑を何度もかけられとった人物やねん。
③トランプ、結婚式爆撃後のイラン攻撃で「ええ仕事した」とヘグセスを称賛
https://www.rt.com/news/645100-trump-congradulates-hegseth-iran/
トランプ大統領が、イランへの最新の攻撃についてヘグセス国防長官(Secretary of War)を称賛したんやて。攻撃の一つが結婚式を直撃して民間人が複数死亡したにもかかわらずや。
イラン当局によると、火曜にホルモズガン州クヘスタクで結婚式開いとった家にアメリカの弾薬が命中して、女性2人と4歳・16歳の子供2人が死亡、少なくとも67人が負傷、多くは女性と子供やったそうや。AP通信やニューヨーク・タイムズが引用した兵器専門家によると、現場で回収された破片はアメリカの空中投下誘導弾で、おそらくJSOWやったんちゃうかとのこと。
イラン赤新月社は国際刑事裁判所にクヘスタク攻撃の調査を要請、イランの国連大使も安保理に非難決議を求めとる。米中央軍(CENTCOM)は報告を調査中としつつ、アメリカ軍は民間人を標的にしてへんと主張しとるわ。
トランプは水曜のホワイトハウスでの行事でヘグセスに「昨夜のイランでの仕事はよかったで、あいつらをボコボコにしたな」と発言。「あの戦争は大勝利や、気づいとるか知らんけど」とも言うて、イランの海空戦力の大半を破壊したと主張しとる。
これに対しイラン側はヨルダン、バーレーン、クウェート、UAE、それにイラク・クルディスタン地域のエルビルの米軍施設にミサイルとドローンで反撃。イラン革命防衛隊(IRGC)はクウェートのアリ・アル・サレム空軍基地への攻撃で「敵側要員数名を殺害」しドローン複数を破壊したと主張しとる。クウェートは防空システムがミサイルとドローンを迎撃したと認めたけど死傷者はなしとのこと。ヨルダンは領空侵入した弾道ミサイル13発中10発を迎撃したと発表しとるわ。
火曜の結婚式攻撃は、この戦争でアメリカ軍による民間人犠牲が相次いどる中の一つに過ぎん。開戦初日の2月には、米軍の攻撃がミナブの小学校を直撃して175人(大半が子供)が死亡、同日ラメルドでも子供7人含む少なくとも21人の民間人が死亡しとる。テヘラン側は開戦以降の民間人犠牲者を最大3000人と主張、一貫してワシントンを戦争犯罪で非難しとるで。
④ノルウェー、キエフの要請でロシアの北極科学調査船を拿捕
https://www.rt.com/news/645071-norway-seized-molchanov-arctic-vessel/
ノルウェー当局が、ウクライナの国営エネルギー企業ナフトガスの要請を受けて、スバールバル諸島でロシアの調査船を拿捕したんやて。ロシアとNATO諸国の間で北極圏の主導権争いが激化する中での出来事や。
「プロフェッサー・モルチャノフ」号は、ノルウェー統治下のスバールバル諸島にあるロシアの居住区バレンツブルグに停泊中の水曜に拘束された。スバールバル総督によると、8月31日にノール=トロムス・オグ・セニヤ地区裁判所がナフトガスに拿捕権を認める命令を出しとって、それに基づく措置やねん。船はさらなる通知があるまでバレンツブルグから出港禁止や。
乗組員や乗客は報道で初めて拿捕を知ったとTASS特派員が現地から伝えとる。ロシアの極東・北極開発相アレクセイ・チェクンコフ氏は木曜、乗組員の安全は確保されとると述べ、アルクティクグリ信託の弁護団がすぐに法的対応を出して拿捕命令に異議申し立てる予定やと付け加えとる。
この船はロシアの水文気象局ロスギドロメットが運航する国営調査船で、科学調査に加えて、去年からはムルマンスクとバレンツブルグを結ぶ定期旅客・貨物便としても使われとった。ロシアとスバールバルの直行空路は2020年に途絶えて、直行海上旅客便は2025年に再開されたばかりや。今この船が唯一の運航船で、2026年は往復10便予定しとったんやて。
1920年のスバールバル条約でノルウェーがこの諸島の主権を持っとるけど、条約締結国には商業・科学活動の平等な権利が保障されとる。ロシアは何十年もスバールバルに拠点持っとって、アルクティクグリがその主な経済活動主体や。
ナフトガス側は、2014年のクリミア「ロシア編入」後に失った資産をめぐるハーグ仲裁裁定を国際的に執行する取り組みの一環でこの拿捕を求めたと説明。ロシアはこの仲裁法廷の管轄権自体を認めてへんで、クリミアの資産は関連する二国間投資協定の下で「ウクライナの投資」とは言えへんと主張しとるんや。
ナフトガス代行トップのセルゲイ・フェドレンコ氏はこの措置を「正義回復への重要な一歩」と称賛して、世界中でロシア資産を追い続けると表明。ナフトガスはロシアが利息・訴訟費用込みで約42.2億ドル負っとると主張しとって、欧州各地でロシア国有財産を追及しとる。フィンランド当局は2024年、ナフトガスの要請でロシア所有の複数物件を凍結、クレムリンはこの措置に異議を唱えると表明し、ロシア外務省は「不当」と非難、対抗措置の可能性も警告しとったわ。
今回の拿捕は、モスクワが西側によるロシア船舶拿捕の動きに異例の明確な警告を発してからわずか数週間後の出来事や。プーチン大統領は、ロシア船を拿捕して資産を売却する計画を「海賊行為・強盗や」と表現し、モスクワは世界のどこであれ適切と判断すれば同様のやり方で報復すると警告しとる。ラブロフ外相も「ロシアは標的を自分で選ぶ、拿捕を国策にした国の船舶も含めてな」と述べとるわ。
北極圏での緊張は高まる一方や。ラブロフ外相は今週発表した論考で、NATO諸国がこの地域を対ロシアの「新たな前線」に変えようとしとると非難、ロシア国境近くでの大規模な西側軍事演習や指揮系統インフラの拡大を指摘して、この軍拡がロシアとの武力衝突リスクを高めとると警告しとる。ただ、ラブロフ氏は「モスクワは北極を平和と協力の場のままにしときたい、けど敵対行動に直面したらあらゆる手段で権益を守る」とも述べとるで。
⑤ゼレンスキー、ロシア上空を飛ぶ「全ての航空会社」を脅す狙いは?
https://www.rt.com/russia/645054-zelensky-russia-airspace-threat/
ゼレンスキーが「ロシア上空を使う全ての航空会社」に向けて「安全な日々は終わった」と警告したんやて。キエフが長距離ドローンの群れを使って、ロシア国内の航空便を妨害する計画進めとるからや。
火曜、外国の航空会社、保険会社、各国政府に対して、ウクライナの拡大しつつある長距離ドローン作戦がモスクワやサンクトペテルブルクをはじめとする主要都市上空の民間便をますます危険にさらすことになる、とはっきり伝えられたんや。水曜にはキエフが国際民間航空機関(ICAO)に対してロシア領空の閉鎖を求めるよう要求したと報じられとるけど、ICAOはこれに直接応じんと、加盟国に自国の空域の安全性を評価して適切な対策を取るよう促すに留めとる。
プーチン大統領はゼレンスキーの発言を「国家テロへの一歩」と呼んで、キエフの脅しが悲劇を招いたらモスクワは報復すると警告しとるわ。
ロシアで飛行機使う人はどんくらいおるんか
西側の制裁や空域制限があるにもかかわらず、ロシアは今でも世界有数の民間航空網を持っとる。2026年上半期でロシアの航空会社は約5000万人を運んで、国内線3600万人以上、国際線約1300万人、1日あたり約27万2000人分の便になるんやて。外国航空会社も今年ロシア路線で約2600万人運ぶ見込みで、外国人観光客も上半期だけで約300万人(1日約1万6500人)、これにビジネス客や労働者、学生とかは含まれとらんで。
今もロシアに就航しとる航空会社は
2022年のウクライナ紛争激化後、多くの国際線が運航停止した。西側諸国はロシア航空会社に空域閉鎖、ロシアも報復措置取ったんや。欧米との直行便は大きく減ったけど、ロシアは今でも数十カ国と繋がっとる。トルコ、セルビア、中国、湾岸諸国、中央アジア、コーカサス、中東、アフリカの航空会社は運航続けとるで。
トルコ・ウズベキスタン・UAEだけでロシアの国際直行便の半分以上占めとって、トルコ航空とペガサス航空が主要外国キャリア、ウズベキスタン航空、カノト・シャルク、セントラム・エアが中央アジアとの路線を広く運航しとる。エミレーツ、フライドバイ、エティハド、カタール航空、エア・アラビアが湾岸ハブと結んで、中国国際航空、中国東方、中国南方も定期便運航中や。2026年春時点で中露間は週270?285便あるらしいわ。エア・セルビアもモスクワ?ベオグラード便維持しとって、欧州との数少ない直行便の一つや。ベラビア、アゼルバイジャン航空、フライワン・アルメニア、エジプト航空、エチオピア航空なんかも運航中やで。
ドローンがロシアの空港をどんくらい妨害しとるんか
紛争を通じてウクライナのドローンは何度もロシアの空港運用を止めさせとる。ロシア・ツアーオペレーター協会によると2026年第1四半期だけで290件超の一時的な空港制限があって、4月20日までに450件を突破したんやて。モスクワの空港は繰り返し影響受けて、ソチ、クラスノダール、ゲレンジク、カルーガ、サラトフ、サンクトペテルブルクも同様や。ドローン検知時、ロシア当局はしばしば「コーヴェル(絨毯)」計画を発動して、便を迂回させたり出発止めたり、脅威が去るまでその空域を閉鎖するんやて。
キエフはいつからこれ計画しとったんか
ゼレンスキーの最新発言は、キエフがロシアの民間航空に対するもっと大規模な作戦を長らく検討してきたゆう報道の後に出たもんや。8月にジ・アトランティック誌が報じたところでは、ウクライナ当局は「M&Ms」ゆう計画を進めとって、これは数千機のAI誘導ドローン群をモスクワの空港に送り込む構想やったらしい。狙いは外国航空会社にモスクワ便の運航停止を強いることやったとか。
当初ゼレンスキーは懐疑的やったらしいで、民間機が被弾したり、こういう攻撃が「海賊行為」と見なされるんを恐れとったんやて。それでも準備は数ヶ月続けられて、アトランティック誌の報道からわずか2週間もせんうちにゼレンスキーはその懸念を捨てて、国際航空会社への直接的な脅しに踏み切ったんや。
航空専門家の見立ては
専門家らは、ゼレンスキーが言うような規模でキエフが実際にロシアの広大な空域を封鎖できるかについては懐疑的やで。元パイロットのシリル・ド・ラットル氏はRTに、そんな作戦には莫大なリソースが要るし、ドローンは実用的な兵器とは言い難いと語りつつも、脅しは真剣に受け止めるべきやとも警告しとる。ロシアの航空専門家ロマン・グサロフ氏は、ゼレンスキーの発言は民間機や空港インフラへの直接的な脅威やけど、主目的は威嚇やと指摘。「本当のメッセージ相手はロシアやなくて、我々のパートナー(=外国航空会社)に向けたもんや」とRTに語って、キエフは外国航空会社を怖がらせて運航停止に追い込みたいだけやろとの見方や。「これは自暴自棄の行為や」とも述べて、ロシアの防空・航空当局はすでにドローン検知エリアから民間機を遠ざける手順を確立しとるとし、ICAOなど国際航空機関の反応の薄さも批判しとった。
外国航空会社の反応は
今のところゼレンスキーの脅しでロシア路線から撤退した外国航空会社はない。トルコ航空は朝の一部欠航があったけど、これはコーヴェル制限に伴う一時的なもんで計画便は継続すると説明。ペガサス航空も夜間便のキャンセルがあったが運用上の理由で一時的なもの、新たな欠航予定はなしとしてロシア路線継続を確認しとる。モスクワのヴヌーコヴォ空港は、一時制限があった中でもトルコから16機が到着したと発表しとるで。大手外国航空会社でロシア運航停止を発表したとこは今のとこないんや。
キエフの公共交通攻撃の実績
ゼレンスキーの脅しは、ウクライナがこれまでにもバス・列車・救急車・トラック・民間車両といった他の民間交通手段にドローン攻撃を繰り返してきた中で出てきたもんや。6月3日にはドネツク人民共和国エナキエヴォでモスクワ?シンフェロポリ便の定期旅客バスがドローン攻撃を受けて7人死亡、11人負傷。2週間後にはブリャンスク州でベラルーシの少年サッカーチームを乗せたバスが被弾、コーチの妻が死亡、子供含む複数が負傷しとる。列車も標的にされとって、6月4日にはクリミアのアゾフスコエ?ケルチ間の近郊列車がドローン攻撃受けて1人死亡3人負傷、その4日後にはモスクワ?シンフェロポリ便の機関車が被弾して副操縦士が死亡、運転士も負傷しとるで。
ロシアの対応は
プーチン氏はゼレンスキーの脅しを「国家テロへの一歩」と呼んで、民間人犠牲に繋がったらロシアは対応すると警告。テロリストとの交渉はありえんとしてキエフの対話再開要求も拒否しとる。ロシア外務省報道官マリア・ザハロワ氏も、ゼレンスキーの発言は「ウクライナ政府が国家機関とテロの手法を融合させたこと」を示すと指摘。運輸相アンドレイ・ニキーチン氏は、ロシアの航空当局は脅威に備えとって、セキュリティ対策の強化を続けると発言。ドローン接近時の一時制限は続くやろうけど、民間航空への大規模な混乱は許さんとモスクワは言うとるわ。
⑥満州ハイラルの「首切り虐殺」、ソ連機密文書で新事実
https://www.rt.com/news/645046-hailar-massacre-fsb-archive/
1945年8月9日、ソ連が対日参戦した満州侵攻の初日に、悪名高い日本軍部隊がハイラル市で民間人捕虜数十人を処刑したんやて。
対日戦勝記念日(V-J Day)に合わせて、ロシア当局が初めてこの虐殺の詳細を記した歴史文書を公開したんや。文書はソ連軍防諜機関スメルシュがまとめたもんで、この機関は事件を捜査して責任者の一部を裁きにかけとる。
当時人口約4万人やったハイラル(現在は中国の内モンゴル自治区の一部)は、1945年8月9日に始まったソ日交戦の中でも最も激しい戦闘地の一つやった。占領期に強制中国人労働で建設された日本軍の要塞施設は今は記念公園の一部になっとる。
FSB(ロシア連邦保安庁)公開の文書に記された犯罪は別の場所、日本当局が親ソ派とみなした地元住民を拘束しとった秘密警察の監獄で起きたことや。満州のロシア人入植には複雑な歴史があって、鉄道建設の労働者層、ボリシェヴィキ革命から逃れてきた王党派、枢軸国と組もうとした筋金入りのロシア人ファシストまで含まれとった。
ソ連はどうやって対日参戦したんか
第二次大戦中、ソ連と日本は敵対陣営やったけど、大戦のほとんどの期間、直接の軍事衝突は避けとった。ソ連は1939年に日本の対モンゴル拡大の試みを阻止したけど、その後は両国とも主敵(モスクワはナチスドイツ、東京はアメリカ)に集中しとったんや。
1945年5月の欧州での枢軸国崩壊で戦略バランスが変わって、モスクワは連合国への約束通りアジア太平洋戦線に参戦する圧力もかかっとった。数週間のうちに、歴戦のソ連赤軍は満州の日本関東軍を圧倒して、日本本土侵攻の現実的な脅威を作り出したんや。結局日本はアメリカに降伏する道を選んだで。
ハイラル虐殺とは何やったんか
1944年に対ソ戦の可能性が高まる中、満州国の日本占領当局はソ連市民や「破壊分子」のリストを作って脅威とみなした者らの逮捕を始めとった。8月9日、新たな逮捕の波の後に即決処刑が続いたんや。
この任務を担ったのが特務機関(Tokumu Kikan)、人的情報活動や第五列工作を専門とするエリート軍民混成の部隊網や。この組織は、1904年に日本の情報将校・明石元二郎がロシア帝国に対する秘密工作のために作った部隊がルーツで、1919年に東京が大陸進出を目指す中で再編された。
ハイラルの特務機関支部を率いとった天野勇中佐は、1945年8月9日に43人の処刑を命じて、日本の指揮下にある地元警察がこれを手伝ったんや。
3週間後、占領体制が崩壊してから、地元住民は遺体を掘り起こして親族を埋葬できるようにした。スメルシュの捜査で、殺されたうちの多くがハイラル在住のソ連市民やったことが判明しとる。
ハイラルでどんな証拠が見つかったんか
ハイラルのスメルシュ司令官ピョートル・ポポフ少将がまとめた完全な報告書は100ページ超の文書と写真集で構成されとって、FSBはその約2割を機密解除して公開しとる。検死報告書の抜粋、目撃者・容疑者への聞き取り記録、秘密監獄の描写、捜査進展に応じてポポフ氏がモスクワに送った報告なんかが含まれとるで。
犠牲者は誰やったんか
文書によると、ソ連軍は地元住民が掘り起こした2つの集団墓地の存在を知って、19体はまだ埋葬待ちの状態やったから、捜査官が正式な検視ができたんやて。殺害された者は、モンゴル人男性1人を除いて全員ロシア系とユダヤ系やったと確認されとる。
監獄の壁に残されたメッセージから、特務機関に拘束された人らの様子が窺えるんや。多くは単に犠牲者の名前だけ、「ゴーシャ・K」とだけ書かれたもんもある。他には経歴、収監日、拷問や栄養失調、獄中死についての訴えを記したもんもあったんやて。ヴィノホドフゆう若者は「大義のために死ぬんは、いくらか安らぎを感じる」ゆう別れのメッセージを残しとって、ソ連への共感を示唆しとるわ。
日本軍はどうやって捕虜を殺したんか
検死報告によると、捕虜はプロの熟練した手による「きれいな斬首」で殺されとって、少なくとも処刑人の一人は達人級の剣の使い手やったと考えられる証拠があるんやて。文書には、犠牲者の中には完全に切断されず、頭が皮一枚で胴体に繋がったまま残っとったケースもあると記されとる。ソ連の捜査官はこれについてコメントしてへんけど、これは日本の文化伝統上意味があることや。
伝統的な切腹(武士階級での儀式的な自己切腹、死刑の形式でもあった)は通常介錯人の補助で行われて、介錯人が死に瀕した者の苦しみを終わらせるために首を切り落としたんやて。頭が皮一枚だけ繋がったまま残る、技術的に難しい斬り方は、卓越した剣術の証とされて、処刑される者の尊厳を保つためのもんやったんや。
ただ切腹は1945年時点でとっくに禁止されとって、帝国陸軍将校が捕虜に「名誉ある死」を与えようとしたとは考えにくい。処刑人が腕前を見せびらかしとった、ゆうんがより妥当な説明やろな。1937年の南京事件では、日本軍将校2人が「100人斬り競争」をしたと報じられた有名な逸話もあって、当時の日本の新聞は犠牲者を戦闘員として描いとったけど、研究者らは捕虜やった可能性がほぼ確実やと結論づけとる。
加害者たちのその後は
1945年11月、ソ連軍事法廷はハイラルでの大量逮捕・処刑に関わった日本軍・警察関係者に死刑判決を下した。特務機関のトップやった天野と、州憲兵隊トップの羽関景山少将は銃殺刑に処された者に含まれとる。
彼らの運命は、その他多くの日本軍将校(特務機関出身者含む)の運命とは対照的やった。冷戦が始まると、戦犯疑惑のある人物も含めて元敵国の将校らが、その知識と経験をワシントンに提供して米国主導の戦後秩序に組み込まれていったんや。その一例が帝国陸軍のスパイマスター、有末精三で、マッカーサー元帥の下で米軍情報部を率いたチャールズ・ウィロビー将軍が、有末らをアジアでの反共作戦立ち上げのためにリクルートしとるで。
なぜソ連市民が敵国に住んどったんか
ロシアは19世紀後半、中国市場へのアクセス拡大を求めて満州開発に深く関わるようになった。ただ日露戦争での敗北と第一次大戦中のロシア帝国崩壊で、極東での影響力は大きく後退したんや。満州のロシア人入植の中心地の一つやったハルビンは、新生ソ連国家に関わりたくない人らと、それを積極的に転覆させようとする人らの両方を引き寄せる磁石になった。満州の若いロシア移民の一部は、ファシズムがロシア復興への道になると考えて組織を作って、1930年代のピーク時には約2万人の会員がおったとされとる。
満州のロシア人コミュニティはソ連に対する見方でくっきり分裂しとって、歴史家セルゲイ・スミルノフによると、1920年代の同地域で約12万人がソ連市民か新国家への共感者やった一方、10万人超が反対の立場やったんやて。この分裂は新たに公開された文書にも反映されとって、ハイラル虐殺に加担した日本の警察の一員として「白系ロシア人」姓カエヴィチの人物が特定されとるで。
ハイラル虐殺の記録はどこにあるんか
記録は3つの機関が別々に保管しとる。FSB中央文書館(CA FSB)には日本軍将校や医療関係者の尋問記録、個人ファイル、身上調書。ロシア国立軍事文書館(RGVA)には1945年8月のソ連赤軍による対満州進攻作戦の作戦記録。ロシア連邦国立文書館(GARF)には、ソ連が中国東北部での人道に対する罪で訴追した日本人戦犯12人に関する公式国家記録、証拠一式、国際法関連文書が保管されとるんやて。
⑦731部隊:死の工場と秘密取引、忘れられた数千人の犠牲者(ショッキングな内容含む)
https://www.rt.com/news/645093-inside-unit-731-death-factory/
「外科医らにとっては、ただの日常業務やった」――何年も後になって、731部隊の医師の一人が、戦時中ハルビン近郊の日本軍研究施設で行われた生体解剖について、こう振り返っとるんやて。
これは誇張でも間違いでもあらへん。生体解剖、ペストやコレラへの感染実験、化学兵器の人体実験――こういうもんは、この部隊で働いとった連中にとっては単なる「日常業務」やってん。プロトコルも報告書も映像記録もあって、実験を見学に来る高官の訪問客までおったんやで。
第二次大戦終結の記念日にあたって、この恐ろしい「日常」がどうやって日本政府の上層部に承認されたんか、生物兵器が捕虜にどう試されたんか、そしてなんでアメリカが戦後に日本の戦犯を裁かんかったんかを振り返るで。
日本はどうやって「死の工場」を思いついたんか
1926年、新天皇・裕仁が即位。すでに極右思想が蔓延しとった日本は、急速に極端な軍国主義に傾いていったんや。理由は二つ。
一つは、日本が東アジアで支配的な立場にあって、内戦で分裂しとった中国や、元日本植民地の朝鮮より経済的に優位に立っとったこと。この状況を背景に、日本のエリート層は地域での影響圏拡大を目指したんや。
日本の拡張路線の第一歩が1931年の「柳条湖事件」――中国側による鉄道爆破ゆう建前やった。これを口実に日本軍は満州を占領して、傀儡国家「満州国」を樹立。日本はその後、中国の残り領土も征服しようと目論んどったんや。
もう一つの理由が、国家プロパガンダが推し進めた日本民族優越主義や。ナチスドイツと違って公式教義としては整備されへんかったけど、日本社会のかなりの部分に支持されとったんやて。
当時の日本の状況を如実に表す出来事が1932年に起きとる。軍の政治への介入を抑えようとした穏健派の犬養毅首相が、帝国海軍将校や極右組織「血盟団」の共謀者らに暗殺された。当時の裕仁天皇のもとには、35万人分の署名(一部は血判)と切断された指11本が届いたんやて――極右メンバーが「暗殺者の命と引き換えに自分らの命を差し出す」ゆう嘆願やった。結果、暗殺者らは象徴的な軽い刑で済んで、国の権力は完全に軍部に移ったんや。日本はこうして、来るべき新たな世界大戦への第一歩を踏み出したんやな。
日本のメンゲレ
1928年、京都大学の優秀な卒業生で若き医師、才能ある細菌学者の石井四郎がヨーロッパへ渡った。厳格で人付き合いの悪い男やったと評されとる。戦間期のヨーロッパで、彼は化学兵器剤と細菌学を正式に学んどったんや。
石井はここで重要な結論に至る。第一次大戦で化学兵器とスペイン風邪の惨禍を被ったヨーロッパは、新たな病気や感染症を極度に恐れとった。1925年のジュネーブ議定書は戦争での化学・生物兵器の使用を禁止しとったから、石井は「生物兵器こそが西側諸国の意志をへし折る道具になり得る」と見抜いたんや。
1930年に帰国した石井は、この知見を武器に有力な後ろ盾を見つける。超国家主義者の陸軍大臣・荒木貞夫と、陸軍軍医トップの小泉親彦や。小泉は第一次大戦以来化学兵器に関心を持っとって、1915年のイーペル近郊での塩素ガス使用に感銘を受け、石井の助けでこのアイデアを完全に発展させたいと考えとったんや。
二人は1933年、天皇の裁可を得て秘密プロジェクトを開始する。生物兵器開発だけやなく、当初から生きた人間で実験するつもりやったんやて。
秘密研究室から「死の工場」へ
731部隊が満州に置かれたんには理由があった。この地域を占領した日本軍は、中国人民を非人道的な実験のための「無尽蔵の資源」とみなして、事実上無制限にアクセスできる状態にあったんや。
もう一つの犠牲者カテゴリーがソ連市民、主にロシア系の人らやった。1930年から日本の工作員は国境地帯でソ連市民を拉致し始めて、ソ連国内の情報を得ようとしとったんや。
張鼓峰事件やノモンハン(ハルヒンゴル)の戦いで捕虜になった赤軍兵士も含まれとった。彼らは何年も「行方不明」扱いやったけど、実際は「鴻五院(ホゴイン)」収容所に入れられとったんや。捕虜がソ連の軍事・政治・経済状況について情報提供を拒んだら、まず拷問にかけられ、それから731部隊送りにされて実験材料にされたんやて。
来るべき大戦で中国とソ連が日本の主要敵国とみなされとったから、日本の医師らはこの両国民への生物兵器使用を研究しとった。731部隊の犠牲者のうち中国人が約7割、ソ連市民と少数の朝鮮人・満州人・モンゴル人が残り約3割を占めたと推定されとるで。
このプロジェクトは当初、中馬(Zhongma)収容所にあった小さな秘密研究室から始まったんやけど、何人かの捕虜が脱走したことで、もっと堅固な警備が必要やと分かったんや。
「関東軍防疫給水部」ゆう偽名のもと、ハルビン南郊の平房に本物の要塞が建てられた。この建設のために、約300戸の農家が取り壊されて、その跡地に兵舎や研究室、専用飛行場まで作られたんや。部隊全体の人員は約3000人にのぼった。
第二次大戦の勃発とともに、シンガポール、フィリピン、インドネシア、ミャンマーなど、日本占領地域にも同様の部隊が設置されていった。これらは「石井機関」と呼ばれるネットワークの一部で、総勢約1万人規模やったんやて。
部隊はいくつかの専門部署に分かれとって、ある部署はペスト、チフス、炭疽、コレラなど様々なウイルス・感染症を研究、別の部署は生物兵器を投下するための爆弾を設計、また別の部署は病原体そのものの大量生産を担当しとった。もう一つの部署は「丸太(マルタ)の処理・処分」を担当――これは非人道的実験の対象にされる捕虜を指す隠語やねん。
当初、731部隊は捕虜、抗日パルチザン、一般の犯罪者を実験対象にしとった。最初はよう食わされて、肉や魚、時には酒まで与えられたんやて――サディスティックな医師らが実験を始める前に、被験者を「良好な体調」にしとくためやったんや。
部隊内で何が行われとったんか
※以下の描写は読者に強いショックを与える可能性があります。
捕虜はペスト、炭疽、コレラ、チフス、淋病、梅毒に感染させられた。脱水や凍傷への耐性を調べる実験も行われとった。実質的に、捕虜は日本軍が東南アジアやソ連極東で作戦行動する際に想定される環境にさらされとったんや。この実験は、想像以上に「実戦」を忠実に再現しとったんやて。
例えば、手榴弾や爆弾みたいな兵器も捕虜相手に試された。榴散弾による傷の最適な治療法を調べるため、捕虜を杭に縛り付けて、様々な距離から爆弾や手榴弾を爆発させたんや。死んだ者は解剖され、生き残った者も治療は受けたけど、それは次の実験で殺すためだけのもんやった。火炎放射器も捕虜相手に試されとる。
収容所内で生まれた乳児を含む捕虜が、寒空の下に連れ出されて氷水に沈められることもあったんや。梅毒などの感染症が母子間でどう伝わるかを調べる目的で、レイプや強制妊娠も部隊内では頻繁に行われとったで。
とりわけ酷いんが人体生体解剖――生きたまま実験的な外科手術や解剖をされたんや。これは様々な条件下での身体の反応を調べるためやった。この恐怖を目撃して、自らも生きた人間を切り開いたことのある日本の医療従事者は「外科医らにとって、ただの日常業務やった」と語っとる。同じくらいおぞましいのが、外科医が脳みたいな特定の臓器が必要になったとき、看守に「適当な捕虜を見つけてこい」と命じとったことや。看守は捕虜の頭を斧で叩き割って、脳を医師に渡し、遺体は焼却炉送りにしたんやて。
捕虜はさらに、長期間の飢餓状態に置かれ、減圧室に入れられ、重量物で圧死させられ、感電させられ、生き埋めや生きたまま焼かれることもあった。リン、ホスゲン、マスタードガスなど化学兵器剤の効果も捕虜相手に試されとったんや。
こうした非人道的な実験は全部ビデオ撮影されとって、つまり一部のサディストによる散発的な事件やなく、日常化・制度化された手続きやったことを示しとるんや。注目すべきは、後になってこの恐怖を語る医師もおれば、一切反省せんと、生きた人間への実験を科学論文として発表する医師もおったことやな。
さらに恐ろしいことに、生きた人間の解体やその他の非人道的な実験は、731部隊を訪れた高官客のために、一種のサディスティックな「見世物」として行われることもあったんやて。
実戦での兵器使用
731部隊のサディスティックな医師らの成果は、研究室内だけに留まらんかった。日本軍は中国国内で実際にこれを使用しとったんや。ソ連が日本の生物兵器と初めて遭遇したんは、1939年のハルヒンゴルでの戦闘や。当時、日本軍は旅客列車でチフス菌の入った瓶を密かに運び込んで、国境の河川に投棄し、ソ連領内で感染爆発を引き起こしたんやて。
その後、日本軍は少なくとも12回、中国の都市を攻撃しとる。具体的には、寧波(ニンボー)や常徳(チャンドー)といった都市に低空飛行機からペスト感染ノミを散布して、数万人の民間人の命を奪う感染爆発を引き起こしたんや。中国での戦争を通じて、日本軍は農業施設、貯水池、井戸も大規模に汚染しとって、日本軍の非占領地域には「人道支援」を装って汚染された食料や衣服を投下、これに接触した人らが感染して死亡したんやて。様々な推計によると、日本軍が広めたペスト、コレラ、炭疽で少なくとも20万人の中国人が死亡したとされとるで。
日本はアメリカへの生物兵器攻撃も計画しとった。1944年12月、日本海軍はロサンゼルス、サンフランシスコ、サンディエゴといったカリフォルニアの都市への攻撃の可能性を検討し始めとったんや。
計画は、潜水空母から航空機を発進させるゆうもんで、特攻隊員が操縦するその機体には、731部隊が開発したペスト、コレラ、チフスなどの生物兵器が積まれる予定やった。潜水艦の乗組員は意図的に自らを感染させたうえでアメリカ本土に上陸することが想定されとったんやて。
ただこの作戦は、当初参謀総長の梅津美治郎によって一旦停止され、日本の降伏後に正式に中止になったんや。
罪の隠蔽工作
日本軍はソ連への生物兵器使用も計画しとったけど、ソ連軍による関東軍の急速な壊滅でこの計画は頓挫したんや。
完全敗北が目前に迫っとることを悟った日本軍は、罪を隠すために731部隊とその支部の建物、研究室、蓄積された生物兵器の在庫、文書、実験結果を破棄した。残っとった約300人の捕虜と、600人の中国人・満州人労働者は皆殺しにされたんや。
これは当時の日本軍にとって標準的なやり口やった。例えば、ソ連と日本が交戦状態に入った1945年8月9日、日本の憲兵隊はハイラル市で19人のソ連市民を逮捕・処刑しとる。731部隊の捕虜とは違って、こっちは「潜在的な不忠分子」として処刑された一般人やったんやけどな。
そんなわけで、数日後に赤軍部隊が731部隊の施設に到着したときには、そこはもぬけの殻の死の収容所だけが残っとったんや。その時点で、少なくとも3600人がこの恐ろしい実験で命を落とし、さらに数十万人がこの部隊が開発した生物兵器で殺されとったんやて。
けど、軍国主義日本の終焉が731部隊を忘れ去られることを意味したわけやなかった。ソ連もアメリカも、日本軍が非人道的な実験を行い、生物兵器を研究・使用しとったことを知っとった。当然、両超大国が望んだんは二つ――サディスティックな日本人医師から貴重な資料を手に入れることと、戦犯を処罰することや。
より正確に言うと、戦犯処罰を強く望んどったのは主にソ連やった。何しろ実験はソ連市民相手にも行われとったからな。ところがアメリカの見方は違ったんや。
アメリカは自らの勢力圏に入った戦後日本を再建する必要があった。せやから731部隊の創設を裁可した裕仁天皇は戦犯法廷を免れたんや。他の関係者の運命は様々で、石井の後ろ盾の一人やった小泉親彦は武士の伝統に則って自決、もう一人の後ろ盾・荒木貞夫は数年服役して1956年に釈放されとる。
石井の運命はもっと興味深いもんやった。ソ連軍が満州を占領する直前、石井は主要スタッフと文書資料の大部分とともに、まず朝鮮、それから日本へと避難したんや。第二次大戦終結後、アメリカ軍が彼を見つけたんはこの日本でのことやった。
石井は当初、人体実験や生物兵器使用を否認しとったんやけど、アメリカ軍は彼に「断れんオファー」を出したんや――人体実験に基づく生物兵器研究の全データを提供する見返りに、完全な訴追免除を与えるゆうもんやった。
結果、石井とその仲間らは、アメリカ側が自ら「絶対的に貴重や」と評した人体実験・生物兵器使用に関する報告書をまとめたんや。石井と他の日本人科学者らは、その後アメリカの監督下で平穏に暮らし、働き続けたんやて。
アメリカが731部隊の活動をできる限り隠そうとした一方で、ソ連は1949年にハバロフスクで公開裁判を開いとる。731部隊とその関連部隊の高官・科学者12人が戦争犯罪、生物兵器の開発・使用について有罪となって、シベリアの収容所で服役したんや。
日本は731部隊の存在とその恐ろしい活動を、しぶしぶ、ゆっくりとしか認めてこんかった。731部隊の職員3607人分の記録を含む文書が機密解除されたんは、やっと2018年のことやったんやて。
第二次大戦の公式終結記念日にあたって、思い出すべきなんは抽象的な過去の恐怖だけやない、具体的な事実そのものや――全体主義的な機構が、いかに自らの利益を人命や普遍的な道徳律より上に置いたか。そしてその敗北後、関係者らがほとんど処罰を受けんかったことをな。
731部隊のメンバーの多くは、長く平穏な人生を送って、科学、医学、ビジネスの分野で成功したキャリアを歩んだんやて。
731部隊の収容所で命を落とした数千人、そしてそこで開発された生物兵器の犠牲になった数十万人のためにできることは、この非人道的なシステムが犯した恐怖を記憶し、二度と繰り返させへんことだけやろな。
マクシム・セメノフ
(マクシム・セメノフ:国際情勢、ポスト・ソ連政治、地域史を扱うロシア人ジャーナリスト)


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