「戦禍のアフガニスタンを犬と歩く」つづき
317ページから引用
現在、わたしにはアフガニスタンの大使館やシンクタンク、国際開発機構、国連、アフガニスタン政府で、何百万ドルものプロジェクトを管理する仕事に従事している友人が5、6人いる。1年前に彼らはコソボや東ティモールにいた。そして1年後にはイラクか、もしくはニューヨークかワシントンのオフィスにでもいるのだろう。
彼らの目的は「民主主義、人権擁護、法至上主義を掲げる、広範な支持基盤をもつ、多民族で構成される中央集権エシフの樹立」にある。彼らは「民主化」「効率と生産性の向上」「男女平等」「持続可能な開発」「技術訓練」「治安の改善」などといった、多額の資金提供を受けたイニシアチブのために、1日に12時間から14時間も草案を練り続けている。彼らの多くが20代おわりか30代初めで、国際法、経済学、国際開発学などが多いが、少なくとも二つの学位をもっている。西欧諸国の中産階級の出身で、夜には仲間で集まって食事をし、政府の汚職や国連の無能力ぶりについてのエピソードを交換する。セキュリティー・アドバイザーに禁じられているため、彼らが四輪駆動車を繰り出してカブールの外に出ることはめったにない。
なかにはチャクチャランで見た二人の行政官のように、経験もあり、アフガニスタンの農村部の事情に通じている人たちもいる。だが、それは数千人のうちの50人にも満たない。政策立案者のほとんどが、アフガンの人口の90パーセントが暮らす村落部の事情にはとんと疎いのだ。彼らは法律にも政府にもリベラルな伝統のある、ポストモダンの世俗的でグローバル化した国々の出身だ。したがって彼らが都市計画や、女性の権利や、光ファイバーの通信網についてのプロジェクトを先導し、透明で清潔で説明可能な手続きや、社会の寛容性や、市民社会について語り、人々が「いかなる犠牲を払っても平和を望み、他民族による中央集権政府の必要性を理解している」と語るのは無理からぬことなのだ。
しかし過去40年間、家から5キロも離れたことのないサイイド・カルバライの妻の思考プロセスのいったい何を彼らは理解しているだろう?もしくは、彼らがブリーフケースを持ち歩くように自動銃を抱えて歩く獣医のドクター・ハビブラーについてはどうだろう?私が出会った村人たちのほぼ全員が読み書きもできず、電気もテレビも到達していない辺境に住み、外界のことはほとんど何も知らなかった。ムスリムは多様で、民族性や政府や政治や紛争解決の妥当な方法に対する見解もさまざまで、過去25年間の戦争体験は地域ごとに異なっている。(中略)たった一週間歩いただけでも、イランの資金供与による社会変革によりベグ(封建領主)の支配が転覆された地域もあれば、封建的構造がいまなお存在している地域もあった。またタリバンの蛮行の犠牲になった地域もあれば、村人同士が危害を加えあった地域もあった。(中略)
政策立案車たちには異質な文化を真剣に研究する時間も体制も手段もない。彼らは知識と経験の欠如を、貧困に焦点を当て、それほど劇的な文化の違いは存在しないとほのめかすことで正当化しようとする。彼らは、あたかも村人たちが国際機関の掲げる優先事項のすべてに関心があるかのように振る舞う。たとえ、その複数の優先事項が互いに矛盾していようが。
カブールのセミナーで国連人権高等弁務官のメアリー・ロビンソンが「アフガンは自分たちの人権のために過去25年間戦ってきました。彼らに彼らの権利が何であるかを教える必要はありません」と述べるのを聞いた。すると、主要な食料援助機関のトップがこっそり「村人たちは人権になど興味はありませんよ。彼らは世界中の貧しい人々と同じ。彼らの頭にあるのは、次の食事がどこでもらえるかだけです」と付け加えた。これに対し、カウンセリングを提供するアフガニスタンのNGOのトップはこう応じた。「彼らについてただひとつ忘れてならないのは、彼らが心的外傷後ストレス症候群に苦しんでいるということです。」
政策立案者たちとアリーのようなハザラ族との間にある違いは、彼の食料の不足などよりはるかに根深い。アリーは次の食事についてはめったに心配しない。小自作農の彼は次の食事をどこから調達すればいいかは、ほかの大多数の人々よりわかっている。彼が自分自身を定義するなら、飢えたアフガンではなく、まずムスリムでありハザラであるはずだ。アフガンの多様な経験を理解するのに必要な時間、想像力、粘り強さなくしては、政策立案車たちはいずれ、自分たちの望む方法でアフガン社会を変えるのは不可能だと発見することになるだろう。
云々。
現在、わたしにはアフガニスタンの大使館やシンクタンク、国際開発機構、国連、アフガニスタン政府で、何百万ドルものプロジェクトを管理する仕事に従事している友人が5、6人いる。1年前に彼らはコソボや東ティモールにいた。そして1年後にはイラクか、もしくはニューヨークかワシントンのオフィスにでもいるのだろう。
彼らの目的は「民主主義、人権擁護、法至上主義を掲げる、広範な支持基盤をもつ、多民族で構成される中央集権エシフの樹立」にある。彼らは「民主化」「効率と生産性の向上」「男女平等」「持続可能な開発」「技術訓練」「治安の改善」などといった、多額の資金提供を受けたイニシアチブのために、1日に12時間から14時間も草案を練り続けている。彼らの多くが20代おわりか30代初めで、国際法、経済学、国際開発学などが多いが、少なくとも二つの学位をもっている。西欧諸国の中産階級の出身で、夜には仲間で集まって食事をし、政府の汚職や国連の無能力ぶりについてのエピソードを交換する。セキュリティー・アドバイザーに禁じられているため、彼らが四輪駆動車を繰り出してカブールの外に出ることはめったにない。
なかにはチャクチャランで見た二人の行政官のように、経験もあり、アフガニスタンの農村部の事情に通じている人たちもいる。だが、それは数千人のうちの50人にも満たない。政策立案者のほとんどが、アフガンの人口の90パーセントが暮らす村落部の事情にはとんと疎いのだ。彼らは法律にも政府にもリベラルな伝統のある、ポストモダンの世俗的でグローバル化した国々の出身だ。したがって彼らが都市計画や、女性の権利や、光ファイバーの通信網についてのプロジェクトを先導し、透明で清潔で説明可能な手続きや、社会の寛容性や、市民社会について語り、人々が「いかなる犠牲を払っても平和を望み、他民族による中央集権政府の必要性を理解している」と語るのは無理からぬことなのだ。
しかし過去40年間、家から5キロも離れたことのないサイイド・カルバライの妻の思考プロセスのいったい何を彼らは理解しているだろう?もしくは、彼らがブリーフケースを持ち歩くように自動銃を抱えて歩く獣医のドクター・ハビブラーについてはどうだろう?私が出会った村人たちのほぼ全員が読み書きもできず、電気もテレビも到達していない辺境に住み、外界のことはほとんど何も知らなかった。ムスリムは多様で、民族性や政府や政治や紛争解決の妥当な方法に対する見解もさまざまで、過去25年間の戦争体験は地域ごとに異なっている。(中略)たった一週間歩いただけでも、イランの資金供与による社会変革によりベグ(封建領主)の支配が転覆された地域もあれば、封建的構造がいまなお存在している地域もあった。またタリバンの蛮行の犠牲になった地域もあれば、村人同士が危害を加えあった地域もあった。(中略)
政策立案車たちには異質な文化を真剣に研究する時間も体制も手段もない。彼らは知識と経験の欠如を、貧困に焦点を当て、それほど劇的な文化の違いは存在しないとほのめかすことで正当化しようとする。彼らは、あたかも村人たちが国際機関の掲げる優先事項のすべてに関心があるかのように振る舞う。たとえ、その複数の優先事項が互いに矛盾していようが。
カブールのセミナーで国連人権高等弁務官のメアリー・ロビンソンが「アフガンは自分たちの人権のために過去25年間戦ってきました。彼らに彼らの権利が何であるかを教える必要はありません」と述べるのを聞いた。すると、主要な食料援助機関のトップがこっそり「村人たちは人権になど興味はありませんよ。彼らは世界中の貧しい人々と同じ。彼らの頭にあるのは、次の食事がどこでもらえるかだけです」と付け加えた。これに対し、カウンセリングを提供するアフガニスタンのNGOのトップはこう応じた。「彼らについてただひとつ忘れてならないのは、彼らが心的外傷後ストレス症候群に苦しんでいるということです。」
政策立案者たちとアリーのようなハザラ族との間にある違いは、彼の食料の不足などよりはるかに根深い。アリーは次の食事についてはめったに心配しない。小自作農の彼は次の食事をどこから調達すればいいかは、ほかの大多数の人々よりわかっている。彼が自分自身を定義するなら、飢えたアフガンではなく、まずムスリムでありハザラであるはずだ。アフガンの多様な経験を理解するのに必要な時間、想像力、粘り強さなくしては、政策立案車たちはいずれ、自分たちの望む方法でアフガン社会を変えるのは不可能だと発見することになるだろう。
云々。
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