2017年2月18日土曜日

「戦禍のアフガニスタンを犬と歩く」そのまた続き。

原註(326ページ)から引用。

批評家はこの新種の施政者たちを新植民地主義者だと非難した。しかし、事実、彼らのアプローチは19世紀の植民地統治者たちのそれと同じではない。植民地の統治は人種差別的かつ搾取的であったかもしれないが、少なくとも当時の統治者たちは自分たちが治めようとする人々を理解することに真剣に取り組んだ。彼らは一異国の危険な地域に自分の職業人生のすべてを費やす覚悟のある人々を雇った。行政官や軍の将校たちの現地語取得に金を注ぎ込んだ。有能な省庁を設置し、現地人のエリートを育成し、研究所や美術館、王立地理学会、王立植物園などを通して、専門科目の無数の学問的研究を続けた。彼らは現地の予算と一般財源のバランスをとったが、それはそうしなければ本国政府にまず許してもらえなかったからだ。公平な統治がなされなければ現地人は反乱を起こす。
一方、紛争終結後のいまの専門家たちは努力もせず、帝国主義者の汚名もなしに名声を得ることができる。文化間の違いに対する彼らの暗黙の否定は、国家介入の新しい主要銘柄だ。彼らの政策は失敗に終わるが、誰も気づかない。信頼の置ける監視機関もなければ、正式に責任を取る人物もいない。個々の役人はけっして一か所にじっとしていないし、的確に査定されるだけ長くひとつの機関にいることもめったにない。植民地経営はそれがもたらす治安や利益により査定されうるが、新植民地主義者たちにはそのような評価基準はない。実際、彼らは自らの無能さゆえに得をしている。本格的な活動や判断を避けることで、彼らは植民地の先任者たちと違い、人種差別や搾取や圧政などの非難を免れることができるからだ。
おそらくそれは、開発途上地域では、魅力的な幻想でしかない活動さえしていればよく、誰も結果は求めていないからだろう。もし政策立案者たちがアフガンのことをほとんど何も知らないなら、一般の人々はもっと知らないし、政策が失敗してもその影響はアフガニスタン内でしか感じられないのだから、政策の失敗を気にかける人もほとんどいないというわけだ。
云々。

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