SONAR21 ラリー・C・ジョンソン:ディック・チェイニー84歳で死亡
https://sonar21.com/dick-cheney-proves-old-proverb-is-true/
「善人は早死にする」
5 November 2025 by Larry C. Johnson
ディック・チェイニーとワシントンの裏側
ディック・チェイニーが84歳で亡くなったっちゅうのは、「善人は早死にする」っちゅう諺がホンマやっちゅう、さらなる証拠やな。チェイニーは、ワシントンのアカンとこを全部体現しとるようなもんや。
こいつが金持ちになったんは、頭がええとか、クリエイティブやったからやのうて、ええコネを持っとったからや。ワシがチェイニーのワシントンでの始まりを知っとるのは、もう亡うなった大事な友達が、ホンマの話をしてくれたおかげや。その友達の名前はブルース・ブラッドリーっちゅうんや。
ブルース・ブラッドリーとチェイニーの出会い
まず、ブルースの背景をちょっと説明せなあかんな。ブルースは、ロッキード・マーティンの創業者の一人の息子やった。まだ23歳っちゅう若さで、1964年のゴールドウォーター大統領選挙キャンペーンに、副大統領候補やったウィリアム・ミラーの補佐官として参加しとったんや。
その選挙に負けた後、ブルースはカンザス州のロバート・エルズワース下院議員の首席補佐官の仕事を手に入れた。このエルズワースっちゅう人が、またドナルド・ラムズフェルドの師匠やったんやな。ブルースが言うには、ラムズフェルドがまだ下院議員一年生やった頃、二人でほとんど毎週スカッシュをやってたらしいわ。
1967年、ブルースはネルソン・ロックフェラーから声をかけられて、彼のキャンペーンを手伝うことになった。ブルースは数学が得意やったから、候補者指名に必要な代議員のデータベース作りを任されたんや。ついでにヘンリー・キッシンジャーの監督も頼まれたらしい。
ロックフェラーは指名を取れへんかって、ブルースはエルズワース議員の仕事に戻った。一方でキッシンジャーはニクソンの下で働くことになった。ニクソンが1968年の選挙に勝ったとき、キッシンジャーは国家安全保障担当補佐官に指名されて、ブルースに自分の副官として働かんか、っちゅうて声をかけた。
ブルースがヘンリーに何て言うたか聞いたら、こうや:「ヘンリー、お前は部下としては最高や。ゴマすりがワシが今まで会うた誰よりも上手い。せやけど、上司としては、一緒に仕事するのは絶対無理や」やて!
ブラッドリー・ウッズでの日々
1972年、ブルースはワシントンD.C.で政治コンサルティング会社「ブラッドリー・ウッズ」を立ち上げた。
1973年の初めに、NATO大使に任命されとったドン・ラムズフェルドから電話がかかってきた。ラミーは、若い男の仕事を探してやらなあかん、っちゅうて言うてきた...。
そう、イサヴぉ、ピンときたやろ。それがディック・チェイニーや。
ラムズフェルドは、チェイニーにブリュッセル(NATO本部)でのポストを提供したらしいけど、チェイニーはD.C.に残りたい言うたんやと。そこでブルースが一肌脱いで、チェイニーに「仕事」を与えたんや。
ブルースがワシに言うには、チェイニーが得意やったんは、タバコを一日二箱吸うこと(53年前はまだD.C.のほとんどのオフィスでタバコが吸えたんや)と、マティーニを三杯飲んで昼飯を食うことやったらしいわ。そら、心臓も悪うなるわな。
チェイニーはブラッドリー・ウッズで政治分析やクライアントとの面談をして、ぬくぬくしとった。せやけど、1975年の10月下旬に、ラムズフェルドから電話がかかってきたんや。
ラムズフェルドはジェラルド・フォード大統領の首席補佐官やったんやけど、今度は国防長官に指名されたもんやから、そのポストをチェイニーにって言うてきたんや。チェイニーは11月3日にホワイトハウスで仕事を始めて、フォード大統領が1976年の選挙でジミー・カーターに負けて退任する1977年1月20日までその職を務めた。
チェイニーの次の動きは?またブルース・ブラッドリーの会社に戻って、次の手を練っとったんやと。それが、ワイオミング州の唯一の議席を狙う、下院議員選挙への出馬やったんや。
そして、諺にある通りや、あとは歴史が証明しとるっちゅうことやな。ディック・チェイニーは、リンゴ・スターのヒット曲「フレンズのちょっとした助けで乗り切る」のインスピレーションやったんちゃうか?
ワシから見たら、チェイニーは副大統領の座を汚して、ワシントンによくあることやけど、コネを足場に大金持ちになった。国に仕えるより、自分に仕える方がええ、っちゅうことやな。


0 件のコメント:
コメントを投稿
登録 コメントの投稿 [Atom]
<< ホーム