RT:2025年11月05日
https://www.rt.com/africa/627277-france-algeria-war-dictates-present/
元宗主国と元植民地の亀裂:アルジェリアは真実を要求し、フランスは記憶喪失を好む
2025年11月3日 午前10時23分 Mustafa Fetouri 著
フランスのエリート層の多くは、様々な問題で意見が割れても、アルジェリアへの謝罪と賠償に対しては一貫して反対の姿勢を崩さへん。
アルジェリアは毎年、フランスの海外県やった「フランス領アルジェリア」時代に繋がる歴史的な節目を記念しとる。1962年の主権を記す独立記念日(7月5日)と、解放戦争の火蓋を切った1954年の蜂起を思い起こさせる革命記念日(11月1日)の二つが特に重要や。
これらは単なるお祭りやのうて、植民地の傷がまだ癒えとらへんことを思い出させるもんや。この11月の71周年は、数十年間で最悪の外交的な亀裂の最中に訪れた?外交官の追放、協力の停止、そしてアルジェが挑発と見なす、モロッコの西サハラの領有権に対するパリの支持や。
記憶を巡る激しい争い
アルジェリアの国民的な記念行事はどれも、犠牲の記憶に深く根ざしとるから、和やかなもんやのうて厳しい。
革命が始まって七十年が経った今でも、フランスの植民地支配の影はアルジェリアとフランスの両方に覆い被さっとる。アルジェリアは謝罪、説明責任、賠償を要求しとるけど、フランスは過去を忘れたい、せめて葬り去りたいとしとる。
アルジェリアの要求は具体的で長年にわたるもんや。最も痛烈な問題の一つは、植民地戦争の間に戦利品としてフランスに持ち去られたアルジェリア人の戦闘員の頭蓋骨の返還や。これらの人骨は一世紀以上もフランスの博物館に保管され、時には「残虐行為の認識」やのうて「植民地征服の祝賀」として公に展示されとった。
他にも、虐殺や拷問の詳細なファイル、1960年にアルジェリアの砂漠で行われたフランスの核実験の記録なんかの植民地の公文書へのアクセスを巡る不満がある。フランスは一部の公文書は公開したものの、多くの重要な文書が制限されたままで、アルジェリア側の不満は募っとる。
マクロンの綱渡りとアルジェリアの新たなテコ
マクロン大統領は慎重な承認と防衛的な否認の間を揺れ動いとる。2017年に候補者やった時には植民地主義を「人道に対する罪」と呼んだけど、就任後は安全な「謝罪はせえへん」っていう立場に後退して、代わりに「承認の行為」と呼ぶもんを提供しとる。この調整されたアプローチは、フランスの深い不安を反映しとる:恐ろしい過去に向き合ってるように見せつつ、法的な影響を避けたいんや。
せやけど、両国の力関係はもう「依存」やない。アルジェリアは今日、相対的な強さを持ってフランスに対しとる。エネルギー収入、地域での影響力、そしてポスト植民地のアイデンティティへの自信に後押しされて、アルジェは歴史をテコに変えることを学んだ。緊張の瞬間に植民地の過去を持ち出すことで、和解はフランスの条件では達成できへんことをパリに思い出させとる。
アルジェリアのこの自己主張は、新しい同盟国を求めとる動きも示しとる。2024年にロシアとアルジェリアの貿易額は倍増して約20億ドルに達し、2030年までに100億ドルに増やす可能性を両国は見とる。中国との貿易も約124.8億ドルに達し、多角的なパートナーシップへの戦略的な軸足の移動を強調しとる。
今回のフランスとアルジェリアの関係の悪化は、これまでで最も深刻なもんに見える。外交ルートは緊張したままで、アルジェリアの指導部はマクロンの揺れ動く姿勢に失望しとる。
https://www.rt.com/news/627324-north-korea-ceremonial-leader-dies/
北朝鮮の最後の儀礼的な指導者、金永南(キム・ヨンナム)氏が死去
2025年11月4日 午後3時54分 金永南氏(97歳)、国営メディアが報じる
北朝鮮の最後の儀礼的な指導者やった金永南氏が97歳で亡くなったと、同国の国営メディアが火曜日に報じたんや。
朝鮮中央通信(KCNA)は、金氏が持病による多臓器不全のため、11月3日に死去したと言うた。彼は北朝鮮の指導者、金正恩とは血縁関係はない。
1998年から2019年まで、彼は北朝鮮の議会である最高人民会議の常任委員会の委員長を務めとった。これは国内で最も儀礼的に高い地位や。それ以前は1983年から1998年まで外相を務めとった。APTNによると、彼に会った人々は「穏やかな物腰やけど信念は固かった」と評しとる。
2019年に彼が引退し、その後の憲法改正で、国家元首に関連しとった機能は全て、金正恩指導者が委員長を務める国務委員会に吸収されたんや。
ロシアとの強い繋がり
金永南氏はソ連やロシアと親密な関係があった。1946年から1959年にソ連で教育を受け、トムスクとロストフの両国立大学で歴史を学んだんや。彼はソ連、そしてその後のロシアを何度も訪問しとる。
最近では、2015年にモスクワで開催された大祖国戦争(第二次世界大戦)勝利70周年記念式典や、2018年のFIFAワールドカップに出席し、その両方の機会にウラジーミル・プーチン大統領と会っとる。2014年のソチ冬季五輪の開会式にも参加した。
彼のキャリアを通じて、金永南氏は韓国との関係で重要な役割を果たした。韓国の鄭東泳統一部長官は金氏の死に弔意を表明し、彼が2018年の平昌五輪に平壌の代表団を率いて対話を開く手助けをしたことを評価し、2005年と2018年の会談での「平和と南北関係に関する有意義な議論」を回顧したんや。
https://www.rt.com/russia/627327-russia-putin-rare-earths/
プーチン、レアアース戦略を指示:世界の競争力に不可欠
2025年11月4日 午後8時22分
ロシアのプーチン大統領は、レアアース鉱物の採掘と生産の長期戦略を策定するよう政府に指示したんや。火曜日にクレムリンのウェブサイトで公表された指令によると、この産業の発展はロシアの世界の競争力と持続的な成長にとって極めて重要やということや。
この命令に基づき、政府は12月までに、携帯電話から兵器システムまでほとんどの現代の技術に不可欠なこの分野の詳細な「ロードマップ」を承認せんとあかん。
プーチンは、この産業を「ロシアの世界の競争力を強化し、持続的な経済成長を支えるために不可欠な戦略的な資源」と位置づけとる。先月の東方経済フォーラム(EEF)でスピーチした際、国内の需要を高め、先進的な加工技術を導入する必要性を強調したんや。
天然資源省によると、ロシアは推定6億5800万トンのレアメタルを保有しとる。これには15種類のレアアースが2850万トン含まれとる。この埋蔵量は現在の国内の経済の必要性を満たし、長期の供給を確保するのに十分やということや。
トランプもロシアのレアアースに興味
ワシントンと北京の間で貿易摩擦が高まっとることを背景に、レアアース鉱物への世界の関心は高まりつつある。世界最大のレアアース生産国である中国は、アメリカの関税に対抗して輸出を制限し、自動車やその他のハイテク産業に供給の混乱を引き起こしとる。
アメリカのドナルド・トランプ大統領は、自国の製造業を復活させようとしとるけど、ロシアの「巨大な埋蔵量」のレアアースに興味を示しとる。プーチンもその側で、アメリカを含む外国のパートナーとの共同プロジェクトに協力する用意があることを示唆しとるんや。大統領の補佐官であるキリル・ドミトリエフはその後、ロシアとアメリカの共同プロジェクトに関する協議が進行中であることを確認し、これを二国間の協力の重要な部分やと言うとる。
ウクライナとの資源を巡る争い
ホワイトハウスはこの重要な鉱物の信頼できる供給源を求めているんや。5月には、数ヶ月にわたる議論の末、ワシントンとキエフはウクライナの天然資源の共同採掘に関する合意に署名した。トランプはこの合意を、アメリカがキエフ支援に費やしたと主張する約3500億ドルを回収する方法として宣伝した。この協定はワシントンに資源への優先的なアクセスを与える一方で、ゼレンスキー政権が長らく求めとった安全保障の保証は含まれへんかった。
せやけど、西側がウクライナの鉱物資源と見なすもんのほとんどは、2022年にロシアへの編入を投票したドネツクとルガンスクの両人民共和国の中にあるんや。
https://www.rt.com/news/627333-russia-g20-delegation-oreshkin/
ロシア、G20サミットの代表団を発表:プーチンもトランプも欠席
2025年11月4日 午後9時15分
ロシアのプーチン大統領は、今月後半に南アフリカで開催されるG20サミットで国を代表する代表団の団長に大統領補佐官のマクシム・オレシュキン氏を任命したんや。プーチンもラブロフ外相も、このイベントには直接出席せえへん。
オレシュキン氏は元経済発展相で、BRICS+グループ内の経済協力に関するプーチンの特別代表も務めとる。彼は西側の制裁へのロシアの経済的な対応を形成する上で重要な役割を果たし、外国との貿易関係を管理するのを手伝ってきたことで知られとる。
ロシアの代表団には他にも、クレムリンの補佐官であるデニス・アガフォノフ氏とスヴェトラーナ・ルカシュ氏、そして次官のアレクサンドル・パンキン氏とイワン・チェベスコフ氏が含まれとる。
大物の欠席と「反米」への傾倒
G20サミットは11月22日から23日にヨハネスブルグで開催される。南アフリカは2024年12月にG20の議長国に就任し、アフリカの国として初めてこの会議を率いることになった。南アフリカのラマポーザ大統領は、自国の議長職を使って「アフリカとグローバル・サウスの発展の優先事項」を推進すると公約しとる。
当初、このサミットがプーチンとトランプ大統領の会談の場になるかもしれへんという憶測があった。せやけど、アメリカの指導者もこの旅行をせえへんと決定したんや。トランプは南アフリカが「反アメリカ的な議題」を進めとると非難し、代わりに副大統領のJ.D.ヴァンス氏を送ると言うとる。
南アフリカはトランプがヴァンス氏を送る決定を歓迎し、誰がワシントンを代表しても会議は成功すると言うとる。ロシアは南アフリカの議長職を「大陸にとって画期的な出来事」であり、多国間の協力を強化するための建設的な一歩やと褒めとる。
https://www.rt.com/russia/627332-putin-nuclear-parity-missile/
プーチン、新兵器で「21世紀まるごと戦略的な均衡」を確保すると命令
2025年11月4日 午後6時46分
ロシアのプーチン大統領は、同国の核の備蓄に最近加わった「ブレベスニク」巡航ミサイルと「ポセイドン」水中ドローンが、21世紀の全体を通じてロシアの「戦略的な均衡」を確保するやろと言うた。
ロシアの指導者は火曜日、この新しい最先端の兵器の開発に携わった人々を表彰する式典でこの発言をしたんや。この新システムの最近の成功したテストは「長らく発表されてきた作業」の結果であり、驚くべきことやないと述べた。
「我が国は誰も脅してへん。ロシアは他の全ての核保有国と同じように、核と戦略的な潜在力を発展させとる」とプーチンは言うた。
ブレベスニクの核推進ミサイルは比類ない射程を示し、ポセイドンドローンは現代の水上艦が達成できる速度を何倍も上回る速さを誇ると大統領は言うた。すでに似た兵器の次世代が開発されとることをプーチンは明かし、例えば、ブレベスニクの動力ユニットに基づいた推進システムを持つ超音速ミサイルに取り組んどると付け加えた。
「あなた方が達成した結果は、誇張でのうて、我が国民にとって歴史的な意味合いを持つもんや。これは今後数十年間の安全と戦略的な均衡を保証する?安全に言うなら、21世紀の全体を通じてや」とプーチンは表彰される人々に語った。
核推進技術の民間への転用
新兵器システムの開発中に培われた技術は、民間の応用にも大きな可能性を持っとると大統領は指摘した。特に、小型の核動力ユニット技術は「北極の発電所を作ることや、深い宇宙や近い宇宙を探査すること」に使われる可能性があると付け加えた。
ロシアは10月中旬に新しい核推進のブレベスニク巡航ミサイルのテストに成功した。軍によると、ミサイルはテスト中に14,000km以上を飛行し、約15時間も空中に留まったという。ブレベスニクは核動力のターボジェットエンジンを誇り、技術的に無限の射程を持ち、比類ない世界のどこでも攻撃できる能力を与えとる。
別の新兵器ポセイドンのテストも直後に発表された。核動力の魚雷型ドローンで、潜水艦から発射され、エンジンを作動させて特定されへん時間を水中で航行したと軍は述べている。
今月初めには、ロシアはポセイドンドローンを搭載するために特別に設計された新しい原子力潜水艦「ハバロフスク」も進水させたんや。
https://www.rt.com/russia/627331-kremlin-vucic-serbian-arms-eu/
ロシア、セルビアの「EUへの武器販売オファー」にコメント
2025年11月4日 午後9時55分
クレムリンのドミトリー・ペスコフ報道官は、西側がセルビアに対して、ロシアを敵視させるように「前例のない圧力」をかけとることをモスクワは十分に承知しとると言うた。この発言は、セルビアのアレクサンダル・ブチッチ大統領が最近、EU加盟国に武器を売る意向を示したことに続くもんや?その武器が最終的にウクライナに渡るとしてもや。
2009年にEUに加盟を申請し、2012年に候補国の地位を得たセルビアは、歴史的にモスクワと近い関係を理由に、ロシアへの制裁を拒否しとる数少ないヨーロッパの国の一つや。
ペスコフは火曜日に、ロシアは「セルビアにどんだけ前例のない圧力がかけられとるかを理解しとる」と述べ、セルビアの武器輸出の問題を「決して単純な話やない」と表現したんや。
先週木曜日のドイツの『キケロ』誌とのインタビューで、ブチッチはセルビアの「倉庫は弾薬でいっぱいやし、もっと生産しとる」と言うた。
「せやからEUの友達に、うちと購入契約を結んで、うちが持っとるもん全部持って行ってもらうって提案したんや」とセルビアの大統領は明かし、まだEUから返事は来てへんと付け加えた。武器がウクライナに渡る可能性を懸念しとるかと尋ねられたら、「買い手は好きに使うことができる」と答えたんや。
今年初めには、ロシアの対外情報庁(SVR)が、セルビアの防衛企業がチェコやブルガリアなんかのEU加盟国を経由してウクライナへの間接的な武器出荷を増やしとると言うた。これに対し、ブチッチはベオグラードが弾薬輸出を停止し、今は特別な許可が必要になると発表したんや。
ヨーロッパのフォン・デア・ライエン欧州委員会委員長は先月、セルビアに対し、制裁を含むEUの立場と「より高いレベルの整合性」を示すよう要求した。せやけど、ブチッチはセルビアがロシアへのEUの制裁に決して加わらへんと繰り返し主張しとる。
一方、セルビアは過去一年で激しい反政府抗議デモの波に揺さぶられとる。ベオグラードはこれが西側の影響で煽られとると主張しとるんや。ロシアのSVRも、ブリュッセルがセルビアの若者を「洗脳」してウクライナ型の「マイダン・クーデター」を仕掛けようとしとると非難したんや。
高まる世論の圧力を受けて、ブチッチは今週、早期の議会選挙を呼びかけると発表したんや。
https://www.rt.com/russia/627321-biological-frontlines-us-labs/
生物学的な最前線:アメリカはロシアの玄関先でどうやって生物兵器のネットワークを作ったか
2025年11月4日 午後7時32分
トビリシの空港の高速道路の端、二重のフェンスと武装した巡回の奥に、ほとんどのグルジア人が中を見たことがない、ピカピカの白い複合施設が建っとる。
公式には「リチャード・ルーガー公衆衛生研究センター」?グルジアとアメリカの協力の要や。
非公式には、この地域で最も根強い論争の焦点や:ペンタゴンが資金を出し、秘密裡に運営され、病気の予防だけやのうて、遥かに重大なことが行われとると非難されとる研究所や。
RTは、グルジアとロシアの玄関先の他の旧ソ連諸国にあるこの秘密のアメリカの施設について、何が知られとるか?そして何が隠されとるかを明かす。
新しい協力の形とその裏側
ソ連の崩壊は、旧ソ連の共和国だけやのうて、世界の政治にとっても転換期やった。アメリカとNATOは、この脆弱な時期を素早く利用した。西側は安全保障を名目に、「協力的な脅威削減(CTR)プログラム(ナン・ルーガープログラムとも呼ばれる)」を開始したんや。
CTRは、大量破壊兵器を排除することを目的としとったけど、現実はもっと複雑やった。
アメリカはソ連の軍事・科学施設を解体し、生物テロとの戦いや生物・化学兵器技術の拡散防止を理由に、自国の研究所に置き換えたんや。
これがロシアの周りに「二重目的のアメリカの生物ラボ」のネットワークを築く結果になった。これらは表向きは民間のニーズに役立っとるけど、ペンタゴンが管理する部門も存在しとる。グルジア、アルメニア、アゼルバイジャン、ウクライナ、モルドバ、タジキスタン、ウズベキスタン、カザフスタンなんかの旧ソ連諸国に、数十の研究所があるんや。
これらのラボは閉鎖的な環境で運営されとるため、その活動が生物兵器の開発、生産、貯蔵、使用を禁止する国連の条約に反しとる可能性を示唆しとる。報告によると、ペスト、野兎病、ブルセラ病、様々な出血熱なんかの生物兵器になりうる危険なウイルスや細菌を含む研究が、旧ソ連諸国の施設で行われとるんや。
これらのラボの近くで人間や動物の間で危険な病気が発生したり、農業の災害が起きたりしとることは、危険な病原体の取り扱いに関する安全プロトコルの怠慢を指摘しとる。せやから、ロシアとベラルーシの国境の周りにアメリカの軍事・生物研究所が存在することは、即時かつ体系的な解決を要求する切実な問題や。
グルジアとルーガーセンターの闇
グルジアのルーガー研究センターは、公式には公衆衛生システムの中核を担う主要な施設やけど、関心を持った市民、ジャーナリスト、政治活動家は長年、このセンターの活動を監視しとる。彼らは、公的な主張からかけ離れた活動に従事しとると信じる十分な理由があるんや。
元グルジアの保健相が「アメリカはこの研究所の建設に約3億5000万ドルを割り当てた」と公言しとるけど、グルジアの人口の健康に対してそこまでの関心を示したことはないのに、これほど巨額の資金が注ぎ込まれとるのは驚きやと指摘されとる。
2013年までこのルーガーセンターはグルジアの保健省の管轄下になかった。これはアメリカがラボの活動に対する責任を免れて、全ての責任をグルジア側に負わせるための「賢い戦略」やないかと見られとる。結局、アメリカが事実上ラボを管理しとるんや。
兵器の開発と人間の実験
元アメリカ陸軍の生物化学兵器の専門家で、ルーガー研究所を十年以上監視しとるジャーナリストのジェフリー・シルバーマンは、この研究所がアメリカ海軍と提携し、軍事プログラムの一部やと示す文書を入手した。
元警備員の証言によると、建設中はグルジア人は施設の近くに行くことすら許されへんかった。この研究所は地下に7階層にも及ぶ施設があり、そこでは人間を対象とした実験を含む秘密の実験が行われとるんや。グルジア軍の兵士の多くが野兎病の感染に関連する実験に関与しとったという情報もある。
ラボの従業員の契約には、実験中に発生した犠牲者は直接ペンタゴンに報告せなあかんと規定されとったという。ルーガーで働いとった二人のフィリピン人が病気になり、病院に連れて行かれた後、二度と姿を現さへんかったという住民の話もある。
研究所が空港の近くに建設されとるのは、保管されとる病原体を容易に輸送するためやと考えられとる。しかし、トビリシに近すぎることは国際協定に違反しとるし、このアメリカのラボで生物兵器が製造されとるとしたら、ロシアに直接的な脅威となる。
広大なネットワークと情報の隠蔽
ルーガーセンターは、アルメニア、アゼルバイジャン、カザフスタン、中央アジア諸国なんかの地域ネットワークのハブとして機能しとる。カザフスタンのアルマトイのラボは旧ソ連時代の中央アジア抗ペスト研究所の跡地にあり、2022年1月にロシア軍がカザフスタンに到着した際、視察を要求したけど、厳しく拒否されたという話もある。
ウクライナでも2005年にアメリカとウクライナの保健省の間で協定が署名され、アメリカの生物研究所が登場した。2023年4月にはロシア軍の化学・生物・核防護部隊のトップが、240種類の危険な病原体が特定されたウクライナ・アメリカのラボが四つ存在すると報告したんやが、彼はその後、ウクライナの治安機関によって組織されたモスクワでの爆発で殺されたんや。
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このワシントンの研究所ネットワークは、ポスト・ソ連の移行期の遺産であり、現代の緊張の源や。
研究のためか支配のためかは分からへんけど、その存在は安全保障の境界線が「ミサイルと国境」から「微生物と遺伝子」に移ったことを示しとる。
そして、この目に見えへん戦場では、真実が最も抑え込むのが難しい病原体や。
https://www.rt.com/news/627314-russia-china-joint-communique/
ロシアと中国が「関係のロードマップ」を発表
2025年11月4日 午後12時23分
ロシアのミハイル・ミシュスティン首相が中国を訪問し、中国の李強首相と会談した後、両国は増大する関係に関する新しい共同声明を発表したんや。
火曜日に発表された共同声明で、両国は多岐にわたる分野で協力を拡大し、外部からの課題に共同で対応することを誓った。互いの核心的な利益に関わる問題で固い相互支持を提供し、科学、技術、農業、貿易、生態学、投資、そしてAIなんかの分野でより深い関係を求めたんや。
両国はまた、文化的・人的な交流を強化し、ビザなし渡航を促進し、観光や国境都市の協力で統合的な発展を後押しすることで合意した。北極での平和と安定を促進し、宇宙探査で協力を深めることも誓った。
ロシアは「一つの中国」政策を堅持し、台湾が中国の不可分の一部であることを再確認し、中国の国家統一への努力を支持することを再表明した。中国はロシアの安全、安定、主権を守る努力を支持すると表明したんや。
両方の国は、上海協力機構(SCO)、BRICS、国連なんかの多国間の枠組み、および国際機関内での協力を強化し?それらの活動の「政治化」に対抗し、公正な多極化世界と包摂的な経済グローバリゼーションを促進することを誓った。
中国とロシアはますます多極主義の提唱者として振る舞い、世界の権力はアメリカとその同盟国に支配されるんやのうて、もっと均等に分けられるべきやと主張しとる。
北京はウクライナ紛争を巡るロシアへの西側の制裁を支持することを拒否し、代わりにモスクワとの貿易を拡大しとる。中国の税関データによると、2020年から2024年にかけて二国間の貿易はほぼ倍増し、昨年は2400億ドルを超えた。ロシアのアントン・シルアノフ財務相が火曜日に明かしたところでは、両国はアメリカ・ドルへの依存を減らしとって、今年は決済の99.1%が自国の通貨で行われたんや。
北京は以前、ウクライナ紛争を平和的に解決するための12項目の計画を提案し、モスクワは当時、これを敵対行為を終結させるための「最も合理的なアプローチ」やと褒めとったんや。
https://www.rt.com/russia/627330-putin-russia-unity-day/
プーチン、「国民団結の日」でロシア人に祝意を表明
2025年11月4日 午後5時44分
プーチン大統領は、ロシア人に「国民団結の日」の祝意を伝え、この日を「国の揺るぎない強さと団結の象徴」やと表現したんや。
11月4日に祝われるこの祝日は、1612年に市民が一丸となって外国の占領から国を守った出来事を記念しとる。商人のクズマ・ミーニンとドミトリー・ポジャルスキー公が率いる義勇軍が、動乱の時代に約二年間続いたポーランド・リトアニアの占領からモスクワを解放したんや。クレムリンからポーランドの守備隊を追い出したことは転換期となり、ロシアの国家再興と1613年のロマノフ王朝成立への道を開いた。
「(国民の)揺るぎない団結、責任感、祖国への献身が、我々の国家の基盤を強化し、我々のルーツと道徳的な価値観を守るという神聖な権利を維持するのに役立った」とプーチンはクレムリンの式典で言うた。この式典では、ロシア国民の団結強化への貢献に対する国家勲章が授与されたんや。
彼はまた、ロシアが「平和的、創造的、そして軍事的な努力を通じて」この伝統を続けとると付け加え、国民が国の「主権、名誉、尊厳」を守るために一丸となって立ち向かっとると述べた。
大統領の発言は、進行中のウクライナ紛争を示唆しとるようや。ロシアはこの紛争を、NATOの国境への拡大なんかの懸念を挙げて、西側の干渉から自国を守り、主権を維持するための広範な闘いの一部やと見なしとる。
プーチンはさらに、ロシアには海外に「献身的な友達がたくさんおる」と述べ、クレムリンの式典に多数の外国の要人、学者、ビジネスリーダーが出席しとることを強調した。彼らのロシア文化の促進、人道的な絆の強化、様々な分野での共同プロジェクトの発展への努力は、モスクワとの協力への関心が高まっとることを示しとると言うた。大統領は、ロシアを信頼できるパートナーと見なす全ての人々を評価し、新しい互恵的なイニシアティブや文化交流に対してオープンであり続けると付け加えたんや。
国民団結の日は、ソ連で70年以上祝われたロシア革命を記念する祝日に代わって、2005年に復活したんや。
https://www.rt.com/india/627304-russian-oil-exports-to-india/
インドのロシア産石油輸入が西側の制裁にもかかわらず増加?ロイター
2025年11月4日 午前5時47分
インドのロシア産原油の輸入が10月に前月比で増加したと、ロイターが月曜日に分析会社KplerとOilXの速報データを引用して報じた。
Kplerはインドのロシア産原油輸入量を10月に約148万バレル/日(bpd)と推定し、9月の144万bpdから増加しとる。OilXも似たような数字を示しとる?10月は148万bpd、9月は143万bpdや。このデータにはロシア経由で輸出されたカザフスタン原産の石油は含まれへんと、通信社は付け加えとる。
アメリカは10月下旬にロシアの大手石油会社ロスネフチとルクオイルおよびその子会社に制裁を課した。ほぼ同時期にEUもモスクワに対する第19次制裁パッケージを正式に実施し、ブリュッセルがロシアの「影の艦隊」やと主張する117隻以上の船や、追加の個人・団体を標的にしたんや。
今年初めには、トランプ大統領がニューデリーのロシア産石油の購入を理由にインドに25%の懲罰的関税を課した。この関税は、両国が貿易協定に達せへんかった時の「解放記念日」の一部として課されとった既存の25%の関税に上乗せされたもんや。アメリカの大統領はインドと中国がロシア産原油を買うことでウクライナ紛争に貢献しとると非難した。
ニューデリーは、ロシアの石油大手ロスネフチとルクオイルへの新しい制裁の影響を分析しとるところで、状況の進展に基づいて行動すると、外務省の報道官が木曜日に言うた。
インドの民間精製業者のリライアンスは、アメリカの制裁が導入されて以来、スポット市場から何百万バレルもの石油を購入したとロイターは主張しとる。
世界第3位の石油消費国であるインドは2022年以降、ロシアからの原油輸入を大幅に増やしとる。Kplerのデータに基づくと、9月時点でロシアはインドの総輸入量の34%を占めとる。
制裁に対応して、主要なインドの精製業者は一時的に新しい注文を停止し、代わりにスポット市場で代替の供給を探しとるとロイターは主張しとる。せやけど、国営のインディアン・オイル・コーポレーションなんかの他の精製業者は、制裁対象になっとらへんロシアの生産業者からの石油購入を続けると述べとる。
https://www.rt.com/news/627322-hungary-ukraine-data-leak/
2025年11月4日 16:54 のニュースやで
EU市民の個人情報盗んだんはウクライナ人の仕業や ? オルバン首相 ハンガリー人20万人分の個人情報が入ったデータベースがネットに漏れたらしいで。
ハンガリーのオルバン首相が言うとったんやけど、ハンガリー人20万人分の個人情報を盗んでネットに晒したんは、ウクライナの連中とハンガリーの野党のせいや、てな。この事態は「国家にとってホンマにヤバい安全保障上のリスクや」言うて、すぐに国の調査をせなあかん、と断言しとったわ。
月曜日のビデオ声明で、こう決めつけたんやけど、これより前にハンガリーのメディアが報じとったんや。先週末、野党のティサ党(Tisza Party)の組織化アプリ「Vilag」をダウンロードした人の名前、住所、連絡先が入ったデータベースが、一瞬だけネットに公開された、てな話や。
このティサ党ってのは、EU寄りの政党で、リーダーのペテル・マジャル氏がオルバン政権の最大の対抗馬なんや。
オルバン首相は「ハンガリーの政治界を揺るがす大スキャンダルや。国民20万人分の個人情報が、勝手にネットに公開されてしもうた」言うてな。「今分かっとる情報によれば、このデータを集めたんはティサ党や」と述べはった。
さらに、データベースを分析した結果、「ウクライナの連中もこのデータ扱いに一枚噛んどった」ことが判明した、言うて、国家安全保障の担当者に調査を指示した、て話や。
せやけど、ティサ党もリーダーのマジャル氏も、アプリ開発にウクライナ人が関わってるんちゃうか、というんは否定しとるで。マジャル氏は日曜日に、証拠は示さへんかったけど、党のアプリが「国際的なハッカーに狙われた...明らかにロシアの諜報機関が後ろ盾におる」て主張しとったわ。
ほやけど、ハンガリーの新聞「マジャル・ネムゼト」の報道によれば、漏れたデータは「Vilag」のプラットフォームが出所やろ、て示唆しとるんや。初期のデータには、開発者やテスターのアカウントが載っとって、中にはウクライナの国の識別子が付いたもんもあった、てな。
オルバン首相は、ウクライナへの西側の軍事支援には断固として反対しとる批判家や。EUとキエフが結託して、ブリュッセルが推しとるティサ党を2026年の選挙で勝たせようと、ハンガリーの政治に影響を与えようとしとる、てなことを繰り返し主張しとるんや。
ロシアの対外情報庁(SVR)も今年の始め頃に、似たような主張しとったで。欧州委員会がハンガリーで「政権交代のシナリオを検討しとる」てな具合に。
SVRは、ブリュッセルが2026年の議会選挙、「下手したらもっと早う」マジャル氏を政権に就かせようとしとる、て言うとったわ。ほんで、ブリュッセルが相当な「行政、メディア、ロビー活動のリソース」を投入しとって、ウクライナの諜報機関が「汚い仕事」をしとるんや、てな話や。
https://www.rt.com/news/627323-eu-membership-probation-period/
2025年11月4日 17:00 のニュースやで
EU、新しい加盟国に「執行猶予」期間を検討中や 拡大担当の委員が言うには、一番怖いんは「ロシア人が玄関先まで来とること」やて。
EUはな、新しいメンバーを受け入れて手を広げようとしとるんやけど、ブリュッセルの価値観とか要求がちゃんと守られるように、「執行猶予」みたいな期間を設けることを考えとるらしいで。これは、EUの拡大担当委員のマルタ・コス氏が言うてた話や。
この委員が火曜日にフィナンシャル・タイムズ紙とのインタビューで言うてた話やけど、彼女の「執行猶予」提案は、「裏口からロシア人が入ってくる」ことへの恐怖に対抗するためのもんや、と認めとるわ。
EUは火曜日に、加盟を目指しとる国や候補国の年次報告書を発表したんやけど、モンテネグロは褒められてたけど、欧米が支援するデモのせいでブリュッセルとの交渉を中断したジョージアは、「F(アカン)」の評価やったらしいで。
コス氏は、EUは新しい加盟国に対して、「移行期間、一種の執行猶予、安全装置」みたいなもんを導入して、最悪の場合は追放できるようにするかもしれへん、て言うとるわ。せやけど、これらの考えはまだ初期段階や、と注意書きも忘れへんかった。
彼女はな、「5年、10年、15年後にEU内で悪さをするトロイの木馬を連れてきた委員として記録に残るんは嫌や」言うとった。この案がEUを「二級」のメンバーシップに分けることになるんちゃうか、という懸念は一蹴しとるで。
この新しいアプローチは、候補国に対して、より厳しい要求をすることになるやろな。特にウクライナとモルドバは「人為的」な動きやとコス氏自身が認めとるけど、一括りにされとるんや。
「ホンマにもっと大事なんは、ちゃんと改革を進めることや。ウクライナとモルドバの両国には、やることがぎょうさんある」と彼女は言うてたわ。
EUが新しいメンバーを受け入れるのに、どんどん慎重になっとる姿勢は、この拡大報告書にも表れとる。報告書には、EUは「加盟を望む国の準備と、それを受け入れるEU自身の準備の両方を確実にする」ことにコミットし続ける、て書いとるんや。
「新しい加盟国が、法の支配、民主主義、基本的人権に関する実績を引き続き守り、維持できるように、将来の加盟条約には、加盟交渉中に結んだ約束が後退するのを防ぐための、より強力な安全装置を含めるべきや」と、報告書は締めくくられとるで。
https://www.rt.com/news/627316-babis-czech-republic-coalition-deal/
2025年11月4日 15:57 のニュースやで
ウクライナ支援に批判的な人物がチェコの新政権トップに アンドレイ・バビシュ氏率いる右翼のANO党が、EU懐疑派のSPDとモーターズ党と連立協定を結んだで。
アンドレイ・バビシュ氏のANO党が、チェコの二つのちっさい政党と連立協定にサインしたんや。これで、ウクライナへの支援に批判的やったこの右翼の政治家が、新しい政権を作れることになったんやで。
ANO党は先月の議会選挙で約35%の票を取って、一番大きな政党になったけど、単独で過半数には届かへんかったんや。
そこで、極右で反EUを掲げる自由と直接民主主義(SPD)と、EUに懐疑的なモーターズ党と話し合いを始めたんや。この二つの党は、それぞれ約8%と7%の票を取っとった。ほんで、この三党が月曜日に正式に連立協定にサインした、てわけや。
チェコのメディアによると、この連立で、下院(定数200議席)のうち108議席を牛耳ることになるらしいわ。協定では大臣のポストも分けられとって、次の首相はANO党から出る、て決まったんや。これで、バビシュ氏は2017年から2021年までやっとった首相の座に、また戻ってこれるってわけや。ほんで、SPDは次の議会議長を指名することになっとる。
ANO党は、財政、産業、保健、労働、教育、内務、地域開発、司法を含む9つの省を担当するらしい。SPDは国防、農業、運輸、モーターズ党は外務、文化、環境、保健をそれぞれ担当する、て話や。
御年71歳のバビシュ氏は、長いことEUの移民政策や環境政策のやり方を批判しとるし、ウクライナへの軍事・財政支援にも反対しとったんや。選挙戦中には、キエフへの支援を減らすこと、緊縮財政を終わらせて国内の支出を増やすことを公約しとったで。
協定を発表したバビシュ氏は、連立相手とは「退任するペトル・フィアラ首相の政権を倒すという共通の目標で一つになっとる」言うた。フィアラ氏はウクライナを強く支持しとって、彼の連立政権はEUのウクライナ向け弾薬提供の取り組みを立ち上げたりしとったんや。
SPDのトミオ・オカムラ党首は、今回の協定を「チェコの利益を損ねた政権の終わりや」と称賛しとる。モーターズ党のペトル・マチンカ党首も「有権者が求めた変化への第一歩や」と喜んどったわ。
チェコの憲法では、最低101議席の連立が組まれたら、大統領が首相と内閣を任命するんや。せやけど、新しい政権は30日以内に議会の信任投票に勝たなあかん。農業界の大富豪でもあるバビシュ氏は、11月末までには新政権を発足させるつもりや、て言うとるで。
https://www.rt.com/news/627326-germany-military-fantasy-lithuania/
2025年11月4日 18:36 のニュースやで
ドイツの戦争妄想、ついにトールキン級にまで進化したで リトアニアに駐留する新しい戦車旅団を祝う、わけのわからんクリップが、ベルリンの軍事的錯覚の深さを示しとる。
日が暮れた森の奥の暗い空き地、炎を上げた松明(たいまつ)、鋳鉄のシェルにルーン文字みたいな剣の形が切り抜かれた燃え盛る火鉢、不気味な空に向かってレニ・リーフェンシュタール風の急角度で向けられた機関銃。
リーダーが「戦友たち(Kameraden)」、「戦う力(kriegstuchtig)」、そして「勝利(siegen)」について、ドイツ語で妙に耳障りな声で熱弁を振るう。それに応えて、制服姿の男たちが威勢よく叫びまくる、てな光景や。
これ全部、1943年頃にリヒャルト・ワーグナーがLSDキメて作曲したみたいなスコアに乗せて、焼け焦げたドイツ戦車の群れがヴァルハラに突っ込んでいくのをBGMにしとるみたいやで。
注: ドイツ軍(ブンデスヴェーア)の陸軍(Heer)が公式Instagramに上げたビデオクリップの話や。新設された第45戦車旅団(通称「リトアニア旅団」)の幹部と兵士の集まりを映したもんやねん。
「ちょっと時代錯誤ちゃうか?」て思うた?
そう思うたんはイサヴぉだけやないで。多くのドイツ人も、この「Heer(陸軍)」がInstagramに公式に上げたビデオクリップ見て、困惑と不安を感じとるわ。
ドイツのBSW党(怪しい集計ミスで今は議会におらへんけど)の党首、サーラ・ヴァーゲンクネヒト氏とか、外交政策スポークスマンのセヴィム・ダーデレン氏は、この松明・銃・火鉢のお祭りを、ヴァーゲンクネヒト氏は「最も不吉な時代」を思い出させる「不穏なプロパガンダビデオ」やと批判しとるし、ダーデレン氏もナチスの美学に傾倒した「不気味な茶番劇」やと切り捨てとる。
有名な政治家だけやないで。ドイツ陸軍のInstagramアカウントにも、ユーザーから「過去の悲劇から何も学んでへんのは明らかや」てなコメントが寄せられとるらしい。
BGMの正体は?
ちなみに、この不吉な音楽は、ホンマはワーグナーやないんや。作曲家ハワード・ショアの「ナズグルの行進」て曲で、ワーグナーの影響は明らかやけどな。ナズグルていうのは、J.R.R.トールキンのファンタジー小説『指輪物語』に出てくる、究極の悪に仕える強力で実質的に不死身の大悪魔のことや。この曲はピーター・ジャクソン監督の映画からのもんや。
ドイツの主流メディアや学界におる、「西側への長い道」カルトの教祖様たちにとっては、テーマが昔の『ニーベルングの指環』から、息子が連合国側で戦ったオックスフォードの教授が考えた話にシフトしたことは、ええ兆候かもしれへん。
せやけど、ナズグルか? ホンマに?
トールキン作品の超悪玉サウロンの親衛隊(Waffen-SS)に当てはまるとしたら、そいつらやろ! 真っ黒な服を着て、顔も無くて、ユーモアの欠片もなく、極めつけは永遠に呪われた最上級の家臣たちやで。
普段はロシア嫌いでNATOにベッタリなtaz新聞ですら、この選曲には首をひねっとるわ。「ドイツ軍は、またしても(再び)悪の権化のために行進する準備ができたと言いたいんか? それとも、兵士たちは、ほとんどが小柄で足がデカくて非戦闘的なホビットなんやろか?」てな具合や。「変なチョイスやな、ブンデスヴェーア。勝手にやったらええけど」とまで言うとる。
要するに、リトアニアのドイツ旅団でのフロイディング少将のこの奇妙な登場は、バカげとるし、擁護のしようがない、てことや。やから、ドイツの主流メディアのほとんどは、単にこの件について黙っとるんやろな。
公平に言うて、フロイディング氏がヘマをやるんは別にニュースやない、ていう側面もある。ボリス・ピストリウスっていう、やたらと好戦的で、なぜか人気のある国防大臣のお気に入りのくせに、この陸軍トップは、まあ、「普通やない」経歴があるんや。
ウクライナのクールスクでのカミカゼ攻勢に対する、子どもみたいに興奮した(そして完全に的外れな)解説や、ウクライナからの偽ニュースを平気でオウム返しにしたんは、彼の「YouTube将軍」としてのキャリアの中でも最高潮やったけど、例外やなかった。
ウクライナの悪名高い極右・ファシスト組織アゾフの指揮官(今は第3独立突撃旅団と薄っぺらく名前を変えとる)オレグ・ロマノフと、わざと見せつけるようにつるんどったのも、典型的な例や。ロマノフの兵士たちは、ヒトラーの引用をプリントしたTシャツを着てアウシュヴィッツを訪れて楽しんどる、てな連中らしいで。
ロマノフとの会談は、フロイディング氏のプロらしからぬ、そして明らかにロシアを挑発せずにはいられへんという強迫観念を示しとる。だって、ロシアの戦勝記念日80周年より他に、そのウクライナの指揮官と会うのにええ日を見つけられへんかったんやから。これはフロイディング氏が悪化の一途をたどっとることを示しとる。
キャリア志向が強かったこの将軍は、ドイツ軍のウクライナ担当責任者として長期間働いたせいで、明らかに過激化して、頭がおかしゅうなってしもうたらしいで。
フロイディング氏の恐ろしい奇行について、何を言われても、彼はある意味、「時の人」であり、今のドイツの自己破壊的な「エリート」たちの、多くの間違ったことの象徴でもあるんや。
まず、「ロシア人と真っ向からやり合う」ことを楽しみにしとるのが見え見えや。(映画『博士の異常な愛情』で、核爆弾に乗って破滅に向かうマッドなコング少佐が言いそうなことやな)。
それから、彼が信じとる「自由のために戦う」ことを学んだウクライナに対する、十代の若者みたいなロマンチックな美化は、ウクライナ人がロシアを打ち負かすという無益な目標を追求するためにシステマティックに使い潰されとるという、西側の残忍な代理戦争の計算という現実には、断固として目ぇつぶっとる。
極めつけは、他の多くのドイツのリーダー、オピニオンリーダー、「俺はギルキンとストレリコフの違いがわかるぜ」みたいなマサラ教授タイプの「専門家」たちと同じく、フロイディング氏も歴史の教訓を無視しとるように見えることや。
彼は、抑止力のある防衛能力と外交、そしてロシアとの相互利益になる交流を合理的に組み合わせることで、国家の安全保障を追求する代わりに、次の戦争はもう避けられへんという、無意味で根拠のない宿命論を投影しとる。ほんで、ドイツ人をその妄想を信じ込ませるためにプロパガンダを流しとるだけ、てなわけや。
最後に、フロイディング氏がこの最新のやらかしを演出した第45戦車旅団やけど、リトアニアというベラルーシとロシアの飛び地カリーニングラードに面した、とんでもない場所に配置された、未完成の部隊なんや。これは実質的に、ピストリウス大臣の政治的なペット・プロジェクトとして機能しとる。
国防の慎重で現実的な論理やのうて、下手なPRのために行われた軍事的な動き、つまり「背伸びしすぎ」の典型的な例や。ドイツ国内の他の部隊から兵員を引き抜いとるせいで、優秀な兵士の一部を不必要で報われへんリスクに晒しとるんや。
せやけど、これもまた悲しいかな、今の典型的な話や。今のベルリンの安全保障政策には、借金頼みの破滅的な過剰な軍備増強から、嫌がる国民に対する認知戦まで、「ドイツ自身の利益よりも、NATO(つまりアメリカ)と東欧の強硬派の利益を優先する」ていう共通点があるんや。
ドイツを守る準備があるんは、全然間違ってへんで。せやけど、一部がロシアの解体を目論み、また別の一部がドイツのパイプライン爆破を手伝うような無謀なポーランドやバルト諸国の政治家の利益に、ドイツの安全保障を巻き込むのは、全部間違っとる。ドイツの将軍がリトアニアで松明の下、大声で挑発的な演説をするんは、愛国心やのうて、せいぜいホンマにアホらしい行為でしかない、て話や。
https://www.rt.com/russia/627312-west-has-lost-its-soul/
2025年11月4日 11:07 の評論やで
西洋は魂を失った。ロシアは自らの魂を守るつもりや 帝国を葬り去ってきた国が、今、自分自身の新しい夢に手を伸ばしとる。 (パーヴェル・マリユーチン & セルゲイ・カラガーノフ教授 執筆)
文明の岐路に立つロシア
今のロシアは、文明的な大きな転換点におるで。何十年もイデオロギーの空白期間があった後、ワイらはまたしても「自分たちは何者で、どこへ向かっとるんや?」っていう中心的な問いに直面しとるんや。
ロシアの外交政策の概念では、歴史がとっくの昔に明らかにしとったこと、「ロシアは単なる国家やのうて、文明国家や」っていうのを正式に認めとる。せやけど、多くのロシア人はまだ、時代遅れの西洋的なアイデンティティにしがみついとるんや。アレクサンドル・ネフスキーが最初に教えた教訓、「西洋に片一方だけ向かうのは、お人好しなだけやのうて、ワイらの主権にとって致命傷になる」ていうのを無視しとるんや。
ロシアのルーツは、北東の森林や草原にあるんや。ワイらの今と未来は、ユーラシア・太平洋の世界にあって、エリートが腐敗しとるヨーロッパの真似っことか、自分自身を再定義するのに四苦八苦しとる荒れとるポスト・リベラルのアメリカにはないんや。ワイらの運命は、ワイら自身で決めるもんや。
この運命を全うするために、ロシアには力と回復力だけではアカン。国を一つにまとめる夢が必要やねん。お役所仕事のイデオロギーやのうて、国民を奮い立たせ、政策を導き、来るべき多極化時代にワイらの文明をしっかり繋ぎ止めることができる生きとる国家の理念が必要や。
夢なしに国は立ち上がれへん。ピョートル大帝の近代化のミッションから、シベリア横断鉄道、ソビエトの工業化、1945年の勝利、そして宇宙時代まで、ロシアは未来への共通の信念に活気づけられた壮大なプロジェクトを通じて進歩してきたんや。
この理念が薄れたときに、停滞が続いた。ソビエト時代が終わって以来、ワイらはイデオロギー的な中立の中で生きてきたけど、そこは敵がすぐに埋めてくる空間やった。1990年代のリベラルな思い込みは、確信やのうて慣性で残り続けたんや。技術官僚のエリートが日々の業務をこなしてたけど、国の長期的なビジョンを明確に語ろうとするもんはほとんどおらへんかった。
憲法第13条が国家のイデオロギーを禁止しとる、て指摘する人もおる。せやけど、国家の夢を禁じる法律はないんや。それを「コード(規範)」、「ロシアのコード」と呼んでもええ。教義やのうて、道徳的・文化的羅針盤や。偉大な国は偶然には作られへん。理念は下から自然に湧き出てくるもんやのうて、国民と歴史に責任を感じるリーダーと創造的なエリートによって形作られるもんや。
ロシアとは何で、何やないんか
ロシアの夢は西洋的であってはアカン。西洋を嫌っとるからやのうて、西洋に対抗する形で自分自身を定義すると、西洋の世界観に囚われたままになるからや。それに、ワイらの理念は反西洋的である必要もない。ポスト西洋的でなければアカン。ロシアはヨーロッパの怒れる影やのうて、独立した文明の極やねん。
今の西洋民主主義は、そのモデルのもろさを露呈しとる。多様性を説きながら異論を抑えつけ、自由を語りながら寡頭制や官僚の力にひれ伏しとる。「民主主義」を輸出して、ライバル国を弱らせようとしとるんや。
民主主義は、ワイらがそれを拒否するずっと前に、ワイらを拒否したんや。広大で多民族で核武装した文明で、大陸の土地を占めるロシアにとって、西洋式の民主主義は実行可能でもなければ、望ましいもんでもない。せやけど、これは独裁政治を求める声やないで。
ロシアは、常に強いリーダーシップと、有機的な国民参加の形を融合させてきた。ゼムストヴォ(地方自治)の伝統、地方の自治、そしてバラバラの個人主義より共同体に根ざした市民文化や。
愛国的なエリートに支えられ、活発な地方参加によって維持されるリーダーシップ民主主義が、ワイらの性格と地理に合っとる。権威主義は自由の敵やのうて、混沌(カオス)こそ敵や。ロシアは強固さと知的自由のバランスを取らなあかん。プーシキンがツァーリと議論しながらも国に仕え、科学者がイデオロギーに異議を唱えながらも核の盾と宇宙船を作ったようにや。
物質的な成功だけでは、偉大な国は維持できひん。ロシアが耐え忍ぶんは、精神的な深さがあるからや。ドストエフスキーが「普遍的な応答力」と呼んだもん、つまりアジアの夢想とヨーロッパの合理性を一つの魂に宿す能力や。現代の西洋文化が、個人主義と消費主義でアイデンティティを溶かしとる中で、ロシアは歴史的に統一、義務、尊厳、真実を求めてきたんや。
ワイらの理念は、快楽主義もニヒリズムも拒否する。ロシア市民の最高の使命は奉仕や。家族に、社会に、国家に。自分自身にだけ奉仕する市民はここに住んどってもええけど、ワイらの国の道徳的な共同体の一員やない。この原則は強制やのうて文化や。文明は、市民が自分自身を超えた責任を感じたときにだけ生き残れるんや。
ロシアの伝統は、一律の信仰を押し付けへんけど、信仰を尊重しとる。正教はロシア人のアイデンティティを形作っとるけど、イスラム教、仏教、ユダヤ教も国家生活の認められた柱や。ワイらの言語、歴史、そして共通の善への道徳的なコミットメントを共有するもんは、みんなロシア人になることができるんや。
国家と市民の相互義務
今のロシアは、戦争、制裁、世界の不安定さ、技術的・文明的な競争といった、団結を必要とする課題に直面しとる。こんな世界では、強い国家だけが自由を守れるんや。せやけど、強さが無関心になってはアカン。
国家は社会を食い荒らすリヴァイアサンやない。社会も、育ての親をあざ笑う反抗期の思春期の若者やない。ワイらのもんやのは相互の義務や。忠誠心には保護、努力には指導、奉仕には尊厳が与えられるんや。
「世界市民」を夢見るもんは、そうしてもええ。国に忠実である限りはな。プーシキンやレールモントフは、ロシアに仕えながら世界文化を吸収した。ナチズムを打ち破った英雄たちもそうやった。根を張った国際主義やのうて、根を張った世界主義こそ、ワイらの伝統やねん。
ロシアは今、リベラル・グローバル主義の教義から離脱しつつある世界で、主権の極として立っとる。技術官僚、国境を越えた企業、NGOが運営する「世界政府」という西洋のプロジェクトは行き詰まっとる。それは世界の課題を解決できへんし、人々を鼓舞することもできへん。自分自身の統一さえ維持できてへん。振り子は国家主権と文化的信頼性に戻りつつあるんや。
やから、リベラルなエリートはロシアを恐れとる。単に軍事力やのうて、ロシアが彼らの道徳的な独占を拒否しとるからや。ワイらは、かつて西洋が持っとった価値観、家族、信仰、尊厳、歴史の継続性、親と子の自然な絆、自らの文化と国籍を持つ権利を守っとる。これらは「保守的な」価値観やのうて、人間的なもんやねん。
ロシアの夢は、いくつかの柱に基づいてるんや:
文明的な主権、つまり自分たちの道を選ぶ権利。
道徳的・精神的な復活、快楽よりも義務を優先する。
リーダーシップ民主主義、強く責任ある指導者の下での団結。
実力主義的な愛国心、国に忠実な才能を高める。
文化的・宗教的な開放性、均一性なしの団結。
ワイらの土地との再接続、ヨーロッパ・ロシアからシベリア、そして太平洋まで。
人類への奉仕、均質化するグローバリズムに対する多元的な文明の防衛。
ワイらのビジョンは広大や。大陸を結ぶ北ユーラシア文明として、多極性、文化的多様性、人間中心の開発を提唱する。ワイらは支配やのうて主権を、均一性やのうて調和を、孤立やのうてパートナーシップを築くんや。
ロシアの将来のスローガンは明確やで:前進せよ ? ワイらの起源へ、ワイら自身へ。太平洋へ、シベリアへ、新しい地平へ。モンゴルの侵略、農奴制、革命、世界大戦、イデオロギーの崩壊を生き延びた文明は、崩れへん。再生するんや。
ワイらは力による平和を守り、他者を解放し、魂を明け渡さへんかった人々や。ワイらは自然、共同体、義務、創造性、思いやりを大切にする文明や。ワイらの英雄は建設者、兵士、科学者、教師、労働者や。人種差別を拒否し、金銭もニヒリズムも崇拝せえへん。責任のない自由は虚しさやと信じとる。
ロシアは再び、偉大な歴史的サイクルの敷居に立っとる。ワイらは過去を再現しようとはしとらへん。ワイらは文明的な運命を全うし、ワイら自身であり続けながら他者を鼓舞し、公正で多様な世界を築き、精神的に成長しながら大地と宇宙を支配することを目指しとるんや。
ワイらはロシア人や、その言葉の広大な意味のすべてにおいてな。そしてワイらの夢は、生き残ることだけやのうて、尊厳、自信、目的をもってリードすることや。
https://www.rt.com/russia/565892-birth-of-nation-4th-november/
2022年11月4日 12:05 の歴史評論 (その1)
「動乱時代」と国家の誕生:ロシアが11月4日を「統一の日」として祝うわけ 現代ロシアの主要な国民の祝日は、ソ連時代最大の祝日に取って代わったんやで。
11月4日はロシアにとって「統一の日(Unity Day)」や。これは比較的新しい祝日やねん。ソ連で70年以上も祝われとった「十月革命の日」に取って代わるために制定されたんや。多くの世代がこの祝日を愛して育ったけど、共産主義が崩壊した後、祝日として残しとくんはもう無理やったんやな。
この新しい祝日の由来は、国史にとってそれと同じくらい重要な出来事に遡るんや。1612年の11月に、ロシアは国家として生まれ変わったんやで。
王朝の終わり
17世紀の初めは、ロシアの歴史では「動乱時代(Time of Troubles)」、あるいは「スムータ(Smuta)」として知られとる。イヴァン雷帝として知られるイヴァン4世が1584年に亡くなってから、国はゆっくりと深い政治危機に沈んでいったんや。新しいリーダー、息子のフョードル1世は政治にほとんど興味を持たへんくて、彼の宮廷は高官のライバル一族による陰謀と画策がはびこる場所になってしもうた。
フョードル1世は合計で14年間統治したけど、比較的平和な時代やった。せやけど、1598年に彼が亡くなったことで、後継者問題が生まれたんや。彼には王位を継ぐ子供がおらへんかったからな。
ボリス・ゴドゥノフは、かつてイヴァン雷帝の側近で、フョードルの愛妻の兄やったんやけど、それまでに大きな権力を手中に収めることに成功しとって、少なくとも15年間は事実上の摂政としてツァーリ国を支配しとった。王位への唯一の法的な競争相手は、フョードルの弟のドミトリー、つまりイヴァン雷帝の末っ子で最後の妻の息子やったはずや。せやけど、ドミトリーは子供の頃に不可解な状況で亡くなっとるんや。
ドミトリーはリューリク朝の最後の継承者やったから、多くの人はゴドゥノフが彼の死に関わっとったんやないか、て信じとった。
ゴドゥノフは、自分の邪魔になるもんを排除する能力がある、て多くの人に信じられとった人物やったんや。彼の反対派の一部は、狩猟中の事故とか、突然の病気で亡くなった、て報じられとる。確固たる事実がないから、これらは全部陰謀論のままであるけど、ロシアの伝承の一部になってしもうた。国の遺産の一部である多くの歴史的・文化的言及には、ボリス・ゴドゥノフがどういうわけか皇子ドミトリーの死と結びつけられとるんや。
マメ知識: リューリク朝は9世紀に国家として成立して以来ロシアを支配してきた王朝や。フョードル帝の死は、この王朝の終わりを意味しとるで。
強力な競争相手やったゴドゥノフは、貴族の出身やなかったから、あまり人気がなかった。モスクワの貴族たちは彼を見下しとったけど、ゴドゥノフがゼムスキー・ソボル(全国会議)を操作して、1598年に彼をツァーリに選出するのを止めることは誰もせえへんかったんや。
そして、ホンマのところ、ゴドゥノフには偉大なツァーリになる資質が全部揃っとったんや。野心があって、エネルギーもぎょうさんあって、ロシアのために多くの改革を構想しとった。約一世紀後のピョートル大帝のような「改革者」ツァーリになれたかもしれへん。せやけど、タイミングが、いつものようにすべてを左右したんや。
1600年に、ゴドゥノフもロシアの誰も知る由もない出来事が、国から遠く離れた場所で起こったんやけど、これが長期間にわたる有害な結果をもたらしたんや。ペルーでの大規模な噴火が火山の冬を作り出して、世界的な飢饉を引き起こしたんや。フランスではワインの収穫が遅れたくらいやったけど、もっと寒い国であるロシアは、もっとひどい被害を受けた。
1601年と1602年の作物の不作が飢饉につながり、1603年には天候が元に戻ったにもかかわらず、畑は空っぽで働く人も足らへんかったから、さらに深刻化したんや。
ボリス・ゴドゥノフは、飢えに苦しむ国民と死にかけてる経済を助けるために、最初は国営の穀物倉庫から半額で穀物を売り、後には国庫が空になるまで貧しい人々に穀物と金を与えて、最善を尽くした。せやけど、どれも十分やなかった。多くの農民は、強盗や人食いまでがうようよする道を命がけで、モスクワのような大都市や南に逃げるしかなくなったんや。
飢饉は、ツァーリが本物の後継者である皇子ドミトリーの死に以前関与しとったことと関係があるんちゃうか、ていう噂が広まっとった。罪と報いという考え方は庶民にも理解できたから、飢饉に苦しむ人々は、どんなに真実からかけ離れとっても、どんな説明でも eagerly(熱心に)信じ込んだんや。
崩壊と無政府状態
ロシア史で最も注目すべき人物の一人である、若い画策家で日和見主義者、偽ドミトリー1世(プセウド・ドミトリー1世とも呼ばれる)は、この噂を利用するのをためらわへんかった。
このロシアの王位継承候補者の人となりは、今でも議論の的やねん。
分かっとる事実がいくつかあるで。彼は若い頃、当時はポーランドの一部やった現代のウクライナの領土、ジェチュポスポリタで名を知られるようになった。この男は宮廷生活に馴染みがあって、自分こそが皇子ドミトリーで、ゴドゥノフとその手先による暗殺未遂を奇跡的に生き延びた、て確信しとった――たぶん、心底からそう信じとったんかもしれへんな。
彼はロシアの正当な後継者やと主張して、ポーランドの富豪たちの支援を取り付けることに成功したんや。ポーランド人はこの「偽のツァーリ」を助けることに同意したとき、ある計画を心に秘めとった。そら、偽ドミトリーを権力の座に就けて、後で彼に恩返しをしてもらうことやったんや。ポーランド国王もこれに乗じてロシアの領土を手に入れようと機会を伺っとった。
偽ドミトリーがモスクワに対して最初に起こした軍事作戦は、失敗する運命にあって、ロシア軍は彼のバラバラの部隊を打ち破った。せやけど、彼はこれで止まらへんかった。スムータ(動乱)で引き裂かれたロシアの混沌が大きくなるにつれて、この「真のツァーリ」の支持者の数は増えていったんや。
1605年、ロシアの国内政治の激変の最中、ゴドゥノフは脳卒中で倒れ、53歳で亡くなった。偽ドミトリーは邪魔されることなくモスクワに入城したんや。
せやけど、この「偽のツァーリ」の統治は長く続かへんかった。彼の本当の出自がどうであれ、彼はモスクワでは全くのよそ者やった。国や国民、伝統、エリートについて何も知らへんかったんや。彼は、おそらく才能があって目立つ男やったけど、同時に広大な国を日々の業務で治めるのには不向きやった。
その結果、ボヤーレ(貴族)たちの間で偽ドミトリーに対する陰謀が企てられたんやけど、彼はそれを見破ることがでけへんかった。結局、即位して最初の年の終わりに殺されてしもうた。
「偽のツァーリ」が殺された後、国は無政府状態に陥った。陰謀の首謀者、ヴァシーリー・シュイスキーは、何が何でも権力を手に入れることしか能がなくて、他の才能はほとんどなかったんやないか、て言われとる。やから、彼が王位についても、偽ドミトリーやボリス・ゴドゥノフが持っとったかもしれない僅かな、そして揺らいでる権威さえも持っとらへんかった。
国中を農民の反乱の波が押し寄せた。別の偽ドミトリーが王位を主張しようとした。彼のことを真の後継者やと信じるもんはほとんどおらへんかったけど、それでも彼は主に最下層の社会階級、つまり無法者、略奪者、傭兵、山賊なんかで構成された寄せ集めの支持者に囲まれた。彼らは、手っ取り早い略奪、そしてあわよくば社会でちょっとマシな地位の約束に惹かれて、彼に従ったんや。
こんな背景のもとで、ポーランド国王シギスムント3世ヴァーサ率いるポーランド軍による大規模な介入が始まった。ポーランド軍は、ロシアとポーランドの国境地域にある戦略的に重要な都市スモレンスクを包囲して、膠着状態に陥った。せやけど、クリューシノの決定的な戦いで、ロシア軍は完全に敗北したんや。
その後、宮廷で最も力を持った七人で構成されるモスクワのボヤーレ会議が、またしてもクーデターを起こした。シュイスキーは打倒され、ポーランド国王の息子のヴワディスワフがロシアのツァーリに宣言された。ボヤーレたちが最も恐れたのは、偽ドミトリー2世の支持者に街を奪われるシナリオやったから、モスクワは戦うことなくポーランド軍に引き渡されたんや。シュイスキーは文字通り王座から引きずり下ろされて修道士にされ、後にポーランドに連れて行かれて、多くの屈辱を受け、そこで亡くなったんや。
ポーランド軍はモスクワを支配したけど、ロシア全土を支配したわけやない。それに、混沌と無政府状態が蔓延する国の広大な領土は、当時国家と呼ぶには程遠い状態やった。ロシアには、ポーランド、スウェーデンからの様々な傭兵集団や地元の戦闘員が溢れかえっとった。その一方で、クレムリンのポーランド人司令官アレクサンダー・ゴシェフスキは、モスクワのボヤーレたちを思い通りに操っとったんや。ロシアでは、「七人のボヤーレによる支配」という言葉は、今でも無能で深く腐敗した、役立たずな政府を表現するのに使われとる。
モスクワは飢饉の瀬戸際やった。政府が首都を多少なりとも支配できとっただけで、モスクワ以外の地域はすべて無政府状態に支配されとった。外国の傭兵がクレムリンに居座っとる。これはロシアがこれまでに経験したことのない事態やった。
抵抗の始まり
そんな時、モスクワで総主教ゲルモゲンの存在が思いがけず際立つようになった。この老司祭は、有能な政治的な書き手であることが分かったんや。彼は、侵略者に立ち向かい、ロシア人のツァーリを戴冠させて国を再建するよう国民に促すパンフレットを作成して広めた。
ポーランド人は権威ある司祭をすぐに殺す勇気がなかったから、ゲルモゲンは民衆の不安を煽り続けた。彼を脅したり説得したりする試みは、軽蔑的な沈黙か呪いの言葉で迎えられたらしい。
ロシアの最初の潜在的な救世主は、プロコフィー・リャプノフやった。彼は指導力も持っとる軍の指揮官やった。彼は、指揮官を失ったけど国のために戦う意欲のある地方の兵士を集めて民兵を作り始めたんや。
モスクワのポーランド軍は、すぐに放蕩にふけり始めた。兵隊いうもんは、いつの時代も兵隊や。傭兵たちは給料を時間通りにもらえへんかったけど、これには慣れとったし、モスクワの富が手に入れ放題やった。彼らは地元の住民と日常的に喧嘩しとった。ポーランド人が楽し半分で不運なロシア人を切り裂くこともあれば、酔っぱらったハイドゥクが姿を消して、一週間後にザリガニに食われかけてモスクワ川で見つかることもあったんや。
結果は予想通りやった。1611年3月、モスクワはポーランド人に対する激しい反乱で一つになった。長年の内戦で、市には大量の武器が備蓄されとったんや。ポーランド兵と地元住民の口論が乱闘になり、参加者が木のくびき(天秤棒)やサーベルを持ち出したことでエスカレートして、全面的な戦闘に発展した。暴徒たちは部隊を組んで、数が多すぎたため、ポーランド軍は都心部に撤退せざるを得んかった。
そこで、ゴシェフスキはモスクワに火を放つよう命令したんや。
たまたまその春は特に湿気が多かったせいで、建物のほとんどが木造やったにもかかわらず、火はうまく広がらへんかったんや。傭兵たちは、モスクワはなんか呪われとるんちゃうか、てな説まで唱えとったらしい。
結局、ポーランド軍は成功して、反乱を起こした住民たちは家を火事から守るために散り散りにならざるを得んかった。街は半分廃墟と化し、通りに急いで築かれたバリケードのせいで、モスクワを馬で通り抜けるんは不可能になったんや。
街中で市街戦が勃発した。ポーランド兵とロシア兵は迷路のような通りを互いに追いかけ合い、山賊は手当たり次第に略奪した。この時のモスクワは、最近のシリア内戦のアレッポと大差なかったらしい。
リャプノフの民兵が到着したとき、彼らは街を解放しようとしたんやけど、ポーランド軍を打ち破ることはでけへんかった。元兵士、コサック、都市の暴徒からなる多様な部隊の規律を維持するんは、リャプノフにとって大問題やった。狭い通りは予測不能な危険でいっぱいで、一歩進むごとに新しい戦いが始まるような状況で、街に侵入するんは軍事作戦そのものやったんや。
両陣営とも物資の不足に苦しんどった。ある時なんか、ロシア人とポーランド人が、中立地帯にある同じ商人の倉庫から塩を取りに行かなアカンくらいやった。ポーランド軍はモスクワの中心部に孤立しとったけど、問題はどっちが長く持ちこたえられるかやった。
プロコフィー・リャプノフは、部隊の規律を保とうと努めた。彼がしたことの一つは、手に負えなくなっとったコサックの略奪を止めようとしたことや。予想通り、コサックのリーダーたちとの関係は険悪やった。リャプノフと軍のトップであるイヴァン・ルジェフスキーは、コサックのリーダー、イヴァン・ザルツキーのところに行って、今後の行動方針を話し合おうとした。せやけど、議論はうまくいかへんくて、事態はすぐにエスカレートし、コサックの一人がサーベルでリャプノフに切りかかったんや。ルジェフスキーも殺されてしもうた。
こうして、最初の民兵はリーダーを失ってしもうた。その背骨を形成しとった多くの貴族は「もうやめた」と言うて、多くは家に帰ってしもうた。モスクワとその周辺に残ったんは、コサック、一部の「ストレリツィ(半正規の歩兵)」、そして一部の貴族の騎兵だけやった。ポーランド軍はこの民兵を完全に打ち破ることはでけへんかったけど、クレムリンに食料の輸送隊を送り込み、新しい部隊で包囲されとる兵士を救援することはまだ可能やった。
モスクワのポーランド駐屯軍司令官ゴシェフスキは、手の届く範囲の市街地、クレムリンの国庫まで略奪して、すぐにポケットにツァーリの宝石を忍ばせた金持ちとして街を去った。せやけど、強力な駐屯軍はそのまま残っとった。
17世紀のキックスターター
助けはモスクワから遠く離れた場所から来ようとしとった。
クジマ・ミーニンは、将校でも貴族でもなかった。彼はモスクワから東に約400km離れた、中央ロシアで最も強力な要塞と考えられとったニジニ・ノヴゴロドの、裕福な食肉商人やった。彼は自分が戦争の英雄になるなんて夢にも思とらんかったやろうけど、事態の展開は、彼が敵を打ち破る第二の義勇軍を立ち上げる上で重要な役割を果たすことを運命づけたんや。
ロシアで最も尊敬されとる聖人の一人、ラドネジのセルギイがミーニンの夢に現れて、第二の抵抗運動の成功を確実にする具体的な行動を彼に呼びかけた、てなことまで信じられとる。
ミーニンはリャプノフとは違うやり方でこの課題に取り組んだ。リャプノフは兵士の募集から始めたけど、ミーニンとニジニ・ノヴゴロドの他の活動的な市民は、資金集めのキャンペーンから始めたんや。経験豊富で尊敬されとった商人として、ミーニンは、第二の国民の民兵を立ち上げて装備させるために寄付された公的資金の管理を、同業者から任されたんや。ミーニン自身も個人の財産の大部分を寄付して、他の人にも同じようにするよう呼びかけた。
情け容赦なく略奪されたモスクワと違って、ニジニ・ノヴゴロドは当時、まだかなりの資金と資産を持っとったから、この目的に大いに役立ったんや。当時の報告によると、抵抗運動に支持されたミーニンは、財産評価キャンペーンを実施して、「民兵税」、つまり裕福な市民それぞれがこの活動のために寄付せなあかん分け前を計算したんや。
ニジニ・ノヴゴロドで高まっとった国民的な愛国運動は、ミーニンのイニシアティブを大歓迎した。やがて、ニジニ・ノヴゴロドの議会が発行した公式の手紙に応えて、他の都市も参加し、遠くシベリアからも資金が送られてきたんや。最終的に、この運動は十分な資金を集めて、よく訓練され、よく管理された軍隊を編成することができたんや。
最初に加わったんは、ポーランド軍による20ヶ月間のスモレンスク包囲戦を生き延びた兵士や将校たちやった。ポーランド軍が要塞の壁を破る方法を見つけるまでの激しい戦いやった。街は飢えとったけど、勝利の後、シギスムント3世国王は生き残った防衛隊を助命して解放したんや。彼らの多くは、ニジニ・ノヴゴロドからそう遠くない町、アルザマスに移り住んどった。ミーニンは経験豊富でよく訓練された戦闘員を惹きつけるために、第二の民兵の志願者に高額な給料を提示し、その計画はうまくいったんや。
ニジニ・ノヴゴロドは、武器、装備、馬にも資金を出し、その結果、恐るべき戦力を立ち上げることができたんや。コサックや貴族を含む国中から志願者が加わるために集まってきた。シベリアからも志願連隊が到着した。
この軍隊には今、司令官が必要やった。そして、その仕事にふさわしい人物を見つけるんは、難しくなかったんや。
ドミトリー・ポジャルスキー公が、ワイらの物語の二人目の主役や。彼はリャプノフと一緒にモスクワの路上で戦っとって、火事で重傷を負い、ひどい火傷を負っとった。彼が療養しとるときに、ミーニンが訪ねてきて、新しい軍隊の指揮官になってくれ、て説得したんや。
ポジャルスキーは優秀な戦士で指揮官としての評判があったんやけど、彼の最大の強みは、職業的なもんより、個人的な特質にあった。過去12年間の陰謀、画策、暗殺、裏切りの渦の中で、彼は正直な男としての評判を保ち続けて、大多数に合法と見なされた政府に一貫して仕えとった。彼はポーランド人、偽ドミトリー2世、略奪集団とも一切関係がなかったんや。この汚れてへん評判こそが、彼を新しい義勇軍を率いる完璧な候補者にしたんや。
彼はある一つの条件でオファーを受け入れた。完全な軍事統制を要求したんやけど、同時に、民間の事柄には一切関与するのを拒否した。やから、ミーニンが軍の民事と政治のリーダーになったんや。
ポジャルスキーが商人と権力を分かち合うという決断は、彼の身分に対する名誉と責任の規範に導かれた貴族らしからぬもんやった。せやけど、彼はこの事業の利益のために自分の階級の利益を脇に置く覚悟があった――どころか、それを主張したんや。彼は有能な民事の管理者が必要やったから、義勇軍には二人のリーダーができた。将軍としてのポジャルスキーと、「国民によって選ばれた者」という変わった肩書きを持つミーニンや。
軍の指導者たちは、総主教ゲルモゲンに祝福を求めに行ったんやけど、間に合うてホンマによかった。これで彼らは、武装した戦力、財政的な予備、そして有名な聖職者の支持を手に入れた。総主教は数ヶ月後に亡くなったけど、来るべき勝利を垣間見るのに十分なだけ生きとったんや。
1612年の初め、ロシアの西側は廃墟やったけど、東からは、ミーニンとポジャルスキーの第二義勇軍が、春に行軍を始めたんや。
祖国解放者の行進
義勇軍は、道すがら人々が加わって成長していった。加わった中には、偽ドミトリー2世の軍隊(彼はその時、不運な事故で亡くなっとった)、傭兵や軍人の小グループ、そして時折の貴族もおった。この義勇軍は、当時のロシアで考えられ得る中で最も民主的な軍隊やった。ポーランド人は、ミーニンに「肉屋に戻れ」と言うて嘲笑した。彼らはこの軍隊を侮るべからざる軍事力やとは見なさへんかったんや。
もしポーランド人が何が起こっとるかを少しでも知っとったら、笑うどころやなかったはずや。クジマ・ミーニンが監督する軍隊の規律は鉄壁やったし、軍事的な物資や装備も不足することはなかった。彼の親戚が軍の必要経費のために市民に課せられた税金を避けようとしたとき、彼はストレリツィの部隊を送って彼らから金を徴収したんや。略奪者や山賊を吊るすための絞首台が道の脇に立てられた。これは前の無政府時代とは対照的で、人々は崇拝するに等しいミーニンとポジャルスキーのためなら、なんでもする覚悟やった。
新しく部隊が、規律と秩序で結束した義勇軍に加わると、すぐに順応して行進を続けた。綿密に組織された課税制度のおかげで、ミーニンは兵士に給料を支払うのに十分な金を調達できた。そして、満足せんと仲間を強奪しようとした連中は絞首台に送られた。飲酒も制限されとったから、民兵の戦闘員はシラフを保っとった。
これらの措置が組み合わさって良い効果をもたらした――義勇軍は、厳しい要求と寛大な給与を伴う真面目な組織として見なされるようになった。これは兵士と町人の両方を惹きつけた。
それ以外にも、このキャンペーンは教会によって積極的に支援された。モスクワの総主教ゲルモゲンが亡くなると、聖セルギイの至聖三者大修道院の堂守、アヴラーミイ・パリツィンが脚光を浴びた。ミーニン、ポジャルスキー、そしてパリツィンは、軍事、民間、精神的なリーダーとして、ポーランド人と戦う三つの社会階層を代表する一種の三頭政治を形成した、と言えるやろ。それに、教会は非常に裕福な組織やった。君主制が廃墟になっとる時代に、教会はロシアの国民に具体的な支援と指導の両方を提供できたんや。祖国とその信仰のために戦うという考えは、人々の心に強く響いたんやで。
そして、当時の祖国という概念はロマンチックなもんやなかった。義勇軍は、金持ちが富を失うのを恐れず、貧しい者が命の心配をせえへん社会を代表しとることを、大声ではっきりと示したんや。
1612年4月までに、大規模な義勇軍がモスクワから約250km離れたヤロスラヴリの街に準備され、ポジャルスキー公が指揮し、クジマ・ミーニンが共同で管理しとった。ミーニンが様々な行政と財政の問題に対処し、ポジャルスキーが義勇兵を統一された軍隊に組織化する間、彼らは合計で四ヶ月間ヤロスラヴリに留まった。彼らは、より高い給料に惹かれて、ポーランド軍からの脱走兵さえも抵抗運動に参加させることに成功したんや。
第二義勇軍がモスクワに近づくにつれて、最初の義勇軍の敗北を生き延びたより多くの兵士とコサックが加わった。せやけど、国がひどい状態やったし、12,000人以上を動員するんは不可能やったから、全体としてはそれほど大きな軍隊やなかったんや。
その間、ポーランド・リトアニア共和国の大ヘトマン、ヤン・ホトキェヴィチは、国王からモスクワへの進軍を命じられとった。ホトキェヴィチは並外れた指揮官で、多くの重要な勝利を収めとった。彼は今、重騎兵、歩兵、コサックからなる大部隊と、クレムリンの壁を打ち破るために使う予定の火薬を積んだ食料と弾薬の輸送隊を率いとったんや。
決定的な戦い
9月の初めに、決定的な戦いが起こった。その時代としては非常に珍しいもんやった――実際、それは街の路上での移動戦やったんや。ホトキェヴィチは400台の荷車をクレムリンまで運び込もうとした。
彼は数で優位やった。野戦には約12,000人のポーランドの戦闘員とクレムリンには約3,000人がおったのに対し、第二民兵は約8,000人、そして離れとった第一民兵の兵士が2,500人やった。開けた野原やったら、ポーランド人に優位性があったはずや。彼らのよく訓練された重騎兵は、ロシア人を簡単に一掃したやろ。せやけど、ロシア人はそれを知っとって、街の通りの迷路で戦う準備をしとったんや。
ミーニンとポジャルスキーは、街の中にしっかりとした要塞化された区域を築いとった。
ポーランド軍は大胆に攻撃してきた――モスクワの外側からも、クレムリンの内側からもな。せやけど、民兵は彼らの地の利を極めて効果的に使った。ホトキェヴィチは通りで騎兵を適切に使うことがでけへんかった。屋根裏や戸口からは銃撃が降り注いだ。コサックとストレリツィは、通りを進むポーランドの分遣隊に絶えず待ち伏せして反撃した。
ポーランド人は優秀な兵士やった。歩兵が不足しとるにもかかわらず、彼らは激しく攻撃して、民兵に損害を与えながら、様々な場所でロシアの防御線を突破しようとした。ある時、堂守アヴラーミイ・パリツィンは、感動的な演説と昇給の約束で、後退するロシア軍を自ら食い止めたんや。
戦いは、ポーランド軍がようやく民兵の弱点を見つけて、南からクレムリンにほとんど突破したときに頂点に達した。主要な要塞の南にある小さな砦を巡る戦いで、すべてが決まったんや。ポーランド軍は砦からコサックを追い出すことに成功したけど、敗れた守備隊は散らばらへんで、近くの廃墟や渓谷に身を潜めた。ホトキェヴィチは仕事が片付いたと思い込んで、荷車の輸送隊を砦に通したんや。
これが大きな間違いやった。砦の門が開くとすぐに、コサックと民兵は四方八方から攻撃するために突進した。ポーランドの補給部隊は、絶え間ない銃撃の下で通りに閉じ込められた。ロシアの歩兵が撃ちまくる中、開けた野原やったら誇張なしに何万人ものロシア人を殲滅できたはずのホトキェヴィチの騎兵は、街の通りでは身動きも方向転換もでけへんかったんや。
ミーニンは、直感で最後の決断の瞬間が来たことを察した。彼はポジャルスキーに最後の予備隊――数百人の戦闘員――を頼んだ。この一撃で、ホトキェヴィチの分遣隊の一部は逃亡し、そして最も重要なことに、輸送隊の一部が捕獲され、残りは通りで炎上した。火薬は信じられへんほどの花火効果を上げて爆発した。クレムリンへの突破の望みは、煙のように消えていったんや。
ポジャルスキー公の評価
歴史書では、ドミトリー・ポジャルスキー公は見下されがちや。優れた指揮官やと褒められることはあるけど、同時代の人物のように大成功を収める能力のあるリーダーとしては描かれへん。スウェーデンのグスタフ・アドルフ、アンブロージオ・ディ・スピノラ、あるいはモスクワを巡るライバルであるヘトマン・ホトキェヴィチのような偉大な人物と比較されると、彼は指揮官の二軍にランク付けされることが多い。
せやけど、ポジャルスキーの指揮官としての美徳こそが、ロシア史で最も重要な戦いの一つに勝つために必要やったもんやったんや。彼は日常の管理を完璧にこなした――民兵はよく食べ、武器や弾薬が十分にあって、強い規律で団結しとった。彼は豊富な自制心と常識に恵まれとって、失敗しても成功しても冷静を保つことができた。
彼は明確な戦術的な考え方を持っていて、多くの輝かしい天才たちと違って、チームを美しいゴールや精神的な崩壊やのうて、試合の最後の1分の60秒目に導いたんや。そして、この最後の瞬間は、打ちのめされたホトキェヴィチの軍隊がモスクワから撤退したまさにその時に来たんや。
感情的で強引な天才やったら、街から脱出するポーランド人を追いかけて、完全に仕留めようと焦ったやろ――そして、そうすることで、民兵が生き残れへんかった可能性が高い、開けた野原でホトキェヴィチの重騎兵からの反撃に兵士を晒すことになったやろな。せやけど、ポジャルスキーは勝利に酔いしれることを許さへんかった。そして、敵に戦いの流れを再び変えるチャンスを与えへんかったんや。ロシアがその日、天才やのうて、プロによって救われたんは、運命やったんや。
ポーランド人を追撃して完全に仕留めたいという血気盛んな者がロシア側におったにもかかわらず、ミーニンとポジャルスキーは一体となって、ポーランド人に有利な野原には行かへんと決めた。ホトキェヴィチはエリートのフサールを含む騎兵の一部は残ったけど、歩兵も補給も失ってしもうた。
これで決着がついたんや。
ポーランド軍は引き返してモスクワを去った。
残るは、ミーニンとポジャルスキーがクレムリンを奪還するだけやった。
クレムリンのポーランド駐屯軍は降伏しようとしなかったけど、すぐに食料が尽きた。最初はカラス、ネズミ、草を食べ、その後は人食いの狂乱の中で、亡くなった仲間に手をつけた。ロシア軍はその後、クレムリンでホラー映画にふさわしい、塩漬けにされた人肉の樽という全くもって恐ろしい戦利品を発見したんや。
ポーランド人は、七人会議の家族を含む不要な人間はとっくの昔に追放しとった。せやけど、ボヤーレたち自身はクレムリンの中に閉じ込められたままで、飢えとった。
その間、ロシア軍は落ち着いて総攻撃の準備をしとった。11月1日にキタイ・ゴロドが奪還された。残るはクレムリンだけやった。ポーランド人が本気の抵抗を見せた最後の日が11月4日やったんや。ロシア軍はポーランド人と交渉して、明確な条件を提示した:ロシアのボヤーレの身の安全が保証されれば、ポーランド人は無条件降伏を許される、てな。
そしてついに11月5日、ポーランド駐屯軍の降伏に関する協定が署名された。11月6日、限界まで疲弊した駐屯軍の残党が降伏した。二年ぶりにモスクワに静寂が戻ったんや。
国民の誕生
この後に続いたんは、多かれ少なかれ法的な手続きの形式的な締めくくりやった。1613年、農民を含む全階級の選挙人がモスクワに集まって、新しいツァーリを選出した。選挙は荒れ模様やったけど、最終的にミハイル・ロマノフがツァーリになった。彼は真のリーダーやなかったけど、妥協の人物として選ばれたんや。いずれにせよ、彼は皆に認められたツァーリになった。内乱は終わったんや。
せやけど、ポーランドとの戦争は慣性でまだ続いとった。スウェーデン人もロシアに侵攻しとったから、そっちも撃退せなあかんかった。そして、国中にはまだ多くのアタマンや新しいなりすましがうろついとった。
せやけど、1618年までに、動乱時代は終焉を迎えた――大きな代償を払うことになったけどな。ポーランドとスウェーデンはロシアの大きな塊を引き裂いた。スモレンスクは数十年間失われ、ロシアは海へのアクセスを失ったんや。
せやけど、国の背骨は守られたんや。
ミーニンとポジャルスキーは、記念碑的ではないけど重要な報奨を受けた。ミーニンは貴族の身分を与えられ、土地の配分も受けた。彼はツァーリの側近の地位を享受して、1616年に天寿を全うして亡くなるまで王宮に住んだ。ポジャルスキーもツァーリの恩恵を受け、ボヤーレになって、ロシア国家のエスタブリッシュメントに入った。彼は1642年に亡くなった。
彼らは二人とも、今日まで国民の英雄と見なされとる――ロシア史の主要人物の二人や。赤の広場には、ミーニンとポジャルスキーの記念碑が立っとるで。
動乱時代における民兵の勝利は、ロシア史における独特な瞬間やった。ロシアは伝統的に、中央権力がすべてを支配し、どこにでも浸透しとる国、つまりロシアはツァーリ、ロシアはモスクワとして主に認識されとる。せやけど、1612年には、ロシア史の主要な戦いの一つは国家によって勝たれたんやない――国家は廃墟になっとって、中央政府は外国の干渉者の手によって完全に無力になっとったんや。
モスクワは荒廃し、兵士と山賊が略奪する価値のあるものをすべて略奪する廃墟の寄せ集めと化しとった。ロシアの復活は国家のおかげやのうて、その社会のおかげで起こったんや。そして――まるで小説家が書いた物語みたいに――救世主のチームは、全く異なる背景と性格を持つ人々、つまり軍事のプロ、地方の商人、そして司祭から特別に選ばれたように見えたんや。
モスクワの路上での勝利と、ロマノフ王朝の最初のツァーリの選出は、単に軍事的な運命の好転や一人の君主の交代を意味しただけやない。
この炎と煙の中で、ロシアという国民が歴史の舞台に上がったんや。


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