スタニスラフ・クラピヴニク:真実の目 ジョン・ヴァロリへのインタビュー(オリジナル:ロシア語)
https://www.youtube.com/watch?v=rYwoFvyFFJY
「真実の目」でのインタビュー(ジョン・ヴァロリ)
司会者(スタニスラフ・クラピヴニク): 皆様、「真実の目」 のエピソードへようこそ。今日は、ごっつ興味深いゲスト、ジョン・ヴァロリはんと一緒や。
ええな、苗字からして、ノヴゴロド州とかトヴェリ、ましてトムスク出身やないのは明らかやな。ジョンは元々アメリカ出身で、アメリカのメディアのジャーナリストとして働いとった。そして、ごっつ長いことロシアで住んどって、その後、僕が理解しとる限り、ロシアに戻ってきたんやな。
ジョン、ちょっとご自身のことを、聴衆に向けて紹介してもらおうか。どこ出身で、どない育ったんか。アメリカには家族の種類や政治的な傾向の概念がごっつ色々あるからな。どうやって最初にロシアに来て、何がここに導いたんか?
ジョン・ヴァロリ(以下、ジョン): 最初に、招待してくれておおきに。お会いできて、お話できてごっつ嬉しいで。
簡単に言うと、僕の経歴はこうや。僕はニューヨークで、ごっつ愛国的で保守的なカトリックの家庭で育った。僕の家族はニューヨークに住んでもう100年になる。苗字で分かる通り、イタリアからの移民やな。
親父はずっと連邦政府の公務員やった。軍の仕事か? いや、ちゃうちゃう。連邦航空局(FAA)で働いとって、80年代には大使館のアンダーボートやったんや。ブリュッセルのベルギー大使館のな。
僕はそこでブリュッセルの学校を卒業した。ちょうど冷戦の真っ只中やった。それで、僕はソビエト連邦という最大の敵に、ごっつ興味を持つようになった。僕はソ連学者(ソビエトロジスト)になるために勉強したんや。1990年にコーネル大学を卒業した。僕らは、90年における最後のソ連学者のグループやったな。
そやから、91年にはもう仕事なんかあらへんかった。「全部終わりや。さようなら。もし望むなら中東を研究してもええけど、ソビエト連邦はもうないで」と言われたんや。
司会者: ちょっと待って。ソ連学者はもうおらへんかったけど、ロシア学者は? ロシアに対しても全部閉められたんか?
ジョン: そうや。ソビエト連邦が崩壊したら、プログラムがごっつたくさん閉鎖された。「ロシア研究」はあったけど、「ソビエト研究」はもうなかった。91年以降、ごっつ多くのプログラムが閉鎖されたんや。
僕の知識は誰にも全く興味を持たれへんもんになってしもうたから、僕は自分でモスクワに向こうた。1992年の6月にはもうモスクワに着いとった。
まあ、簡単に言えば、僕はジャーナリストになった。最初はサンクトペテルブルク・タイムズで働いた。モスクワとサンクトペテルブルクの両方に住んどったな。自由ラジオ(Radio Svoboda)でも、ジョージ・ソロス氏の雑誌『トランジションズ』でも働いとった。これは95年、96年、97年のごく初期の話や。その後、ニューヨーク・タイムズ、ブルームバーグ、ロイターで働き始めた。全部合わせて、15年間、特派員として働いとったんや。
そこで、僕らの偉大な「自由な」アメリカのメディアがどう動いとるか、ごっつ面白いことを見て、知った。これらは全部、アメリカ側で最もリベラルでネオコン的なメディアや。
司会者: そこで働いとった時は、どんな気持ちやった? 自由、民主主義、真実、そんな感情やったんか?
ジョン: まあ、一番大事なのは、キャリアのはしごを上がりたかったら、反ロシア派(ルソフォーブ)にならなあかんということやったな。
司会者: なるほど。その頃からもう反ロシア派でななあかんかったんやな。
ジョン: せや、猛烈な反ロシア感情が必要やった。僕はその中で比較的穏健派やったな。僕は特に反ロシア感情が好きやなかったし、結局、嫁はロシア人やし、子供もロシア人や。僕はそこまで熱狂的ではなかった。でも、同僚の多くは完全に熱狂的やった。それはもう、反ロシア感情の狂気やったな。
僕にとってそれは一種の野蛮やった。だって、彼らが記事全体を、ナラティブ(物語)を、実際に捏造しとるのを僕が見とったからや。
司会者: ソ連からの脅威が全くなかった、90年代の初頭に、もう捏造が始まっとったんか。
ジョン: せや、90年代半ばから後半にかけてな。僕は今、多くの元同僚が今どこで何をしとるのか見とるけど、ごっつ興味深い。最近、ブライアン・ウィットモアという、ごっつ猛烈な反ロシア派がおったんやけど、信じられへんかもしれへんけど、彼は今アトランティック・カウンシルで働いとる。
司会者: まあ、一番猛烈な反ロシア派が他にどこに行くいうんや、そこ以外に。
ジョン: せやせや。
司会者: 第一次チェチェン紛争が始まった時、彼らはごっつ面白いことを書き始めたんやろな。
ジョン: ああ、忘れる前に、プーチン大統領に関するごっつ興味深いエピソードを話させてもらおうか。
99年の終わりから2000年の初め頃、ニューヨーク・タイムズは僕に、プーチンの人生を徹底的に調査して、彼に関する悪いネタを掘り起こすという任務を与えたんや。僕は丸々2ヶ月かけて情報を集めた。サンクトペテルブルクに住んどったから、30人ぐらいにインタビューした。
信じられへんかもしれへんけど、30人中ほぼ99%がプーチンについて良いことしか言わへんかった。「彼は素晴らしい、立派で、良い人間だ。国を愛し、国民を愛している。そして最も重要なのは、彼とは取引ができる。信頼できる、誠実な人間だ」と言うとった。
スタニスラフ、分かるやろ、90年代やで、99年やで。周りは汚職と犯罪だらけやったのに、ほとんどの人が彼をごっつ良い人物やと言うとったんや。
もちろん、一人だけリベラルがおって、「彼は元チェキストやから悪い奴や」と言うとった。まあ、これは典型的なリベラルの狂気やな。僕らはよう知っとる、残念やけど。
司会者: 当てさせてもらうで。その一つの声が記事になったんやろ?
ジョン: 全くその通りや。僕が見つけたポジティブな情報は全部、記事には入らへんかった。いや、記事から削除されたんや。僕はモスクワの主任特派員に情報を集めて渡した。彼は記事を書いたんやけど、僕の名前は載っとらん。せやけど、僕の集めたポジティブな情報は全部削られた。ただ、「彼は元チェキストで、怪しい人物や」というようなことだけが残った。
これがニューヨーク・タイムズの典型的なプロパガンダと偽情報や。
司会者: 面白いな。99年やで。彼はまだ出てきたばかりで、ベレゾフスキーとかが「エリツィンの若い版」として彼を宣伝しとった。アメリカ人にとっては完璧やったはずやのに、まだ何も知らへんうちから、もう泥を掘り起こそうとしとったんや。
ジョン: せや。まあ、僕らが今よう理解しとるように、ロシアを破壊し、跪かせるのが常に計画やったんや。NATOの拡大の第一波は、99年3月やったな。ユーゴスラビア爆撃もそうや。
その後、僕らのエリートたちは、プーチンはんが簡単にはいかへん相手やと悟ったんや。僕はその時の動揺をよう覚えとる。「プーチンって誰や? 何をするつもりや? ロシア崩壊のプロセスを止めるつもりなんか?」って、彼らはごっつ恐れたんや。
ボリス・ベレゾフスキーがプーチンはんを押し上げたゴッドファーザーやという伝説があるけど、僕はその説には反対や。これは典型的なベレゾフスキーで、自分の影響力を誇張するのが好きやったからな。
僕の推測やけど、どの国にもおるように、ロシアにもディープ・ステート(影の政府) がおる。そして、このロシアのディープ・ステートは、自分の人間、治安機関出身の人間だけがロシアを崩壊から救えると完全に理解しとったんや。
99年当時、僕らロシア在住の西側のジャーナリストや専門家の間では、アメリカから「もうすぐロシア連邦は崩壊する。準備しとけ」と言われとって、皆そう信じとったんや。それが急に「プーチンって誰や? 何をするんや?」ってなったんや。僕らはごっつ恐れたんや。そして、よう知っとるように、彼はその崩壊プロセスを食い止めたんや。
司会者: はい、皆さん。僕が「計画は常に存在した」と言うてきたとき、多くの人が聞きたがらへんかった。これが、全く同じことを語る追加の声や。まだ信じへんリベラルもおるやろけどな。そういう人はいつの時代もおる。せやけど、これもまた、計画は常にあった、と語る一つの声や。そして、その計画はどこにも消え去っとらへん。
ジョン: せやせや、全くその通りや。庶民は、エリート層の野望と、一般の人々の違いを理解できへんことがごっつ多いんや。
僕はリベラルなロシア人の友人に言うんや。「ええアメリカ人はおる。彼らは君たちと友達になりたいし、一緒に働きたい。せやけど、僕らのエリート、そうやな、本当に数千人、数千の家族がおるけど、彼らが誰かは僕らは分かっとる。彼らは本物の捕食者で、本物のサイコパスや。問題はそこや」と。
司会者: なるほど。あんたは自分で来たんやな。あんたはええか?
ジョン: ええで。
司会者: あんたは自分で来た。あんたの家族はアメリカの公務員や。あんたがロシアに行くとき、彼らはあんたをどう見た? クレイジーやと思ったか?
ジョン: ああ、それはもうひどかったな。両親は、僕が92年6月にロシアに来て、その半年後の92年12月には、僕を家に連れ戻すためだけにわざわざやってきたんや。
親父にとっては屈辱やった。公務員の親父にとって、その息子がロシアに行ったんやから。
司会者: あんたはアメリカのメディアのジャーナリストとして働いとったのに、彼らはあんたがロシアに行ったと思ったんやな。
ジョン: せやせや。せやけど、最初、92年から95年までは、僕は慈善活動をしとった。モスクワのホームレスを助けとったんや。これが最初やった。
そして、親父が92年の終わりに言ったこと以上に、ごっつ興味深い話があるで。99年に僕がサンクトペテルブルクに住んどった時、クリントンはんの側近からも人が会いに来たんや。
彼らも「ジョン、食事に招待したい」と言ってきた。そして、彼らはこう言うたんや。「ワシントンがお前にごっつ不満を持っとる。お前がロシアに行ったこと、ロシア人にあまりにも好意的すぎることに対してな」と。
司会者: 興味深いな。あんたは一人の特派員やろ。新聞全体や、支局全体やないやろ。それなのに、あんた一人を黙らせるために、もう出てくるんやな。
ジョン: ホンマに驚いたわ!
司会者: ホンマにすごいな。
ジョン: そして、今でもごっつ強い圧力がかかっとる。今でもや。なんでか説明するで。スタニスラフ、僕自身には何の幻想も持っとらん。僕はちっちゃな魚や。本当にちっちゃな魚や。せやけど、彼らは全体主義的な考え方をしとるんや。彼らは、ロシアに関する専門家は全員が彼らの言う通りに話し、書くことを望んどるんや。「ロシアは悪い、ロシアは悪い」と。全員が100%、彼らのようにならなあかん。彼らのイデオロギー的な路線から外れる人間を一人たりとも容認できへんんや。分かるか?
司会者: ああ、ごっつよく分かる。彼らが今、僕に対してどう考えとるか、想像できるで。僕のとこには誰も近づいてこようともせえへんけどな。
ジョン: まあ、彼らは僕らが真実を語っとることをよう知っとるんや。そして、真実というもんは、火のようにすぐに広がる。彼らはごっつ恐れとるんや。
司会者: まあ、彼らの主人は嘘の王様やからな。誰が彼らの主人かは明らかや。
ジョン: 全くその通り、せやせや。
司会者: あんたはこの後、一旦アメリカに戻って、それからまたロシアに戻ってきたんか?
ジョン: せや。2013年の初めに離れて、プラハに1年半近く住んどった。
司会者: ええ街やろ?
ジョン: ごっつええ街や。そして、2014年の夏にはアメリカに戻った。それから10年間、アメリカで住んだ。僕の人生で最も恐ろしい10年間やった。
司会者: 聞きたいな。どうやって順応したんや? 20年代のアメリカは、もう違うアメリカや。僕は10年にアメリカを出たけど、もうその時で酷かった。全てが下水道に流されとった。20年代なんて想像もできへん。地獄やったんやろ。
ジョン: 僕は準備ができてへんかった。全く準備ができてへんかった。僕の頭の中には、古いアメリカ、80年代、90年代のイメージしかなかったからな。オバマ政権のあれこれ、ウォキズム、急進的なリベラリズム… それらに対応する準備ができてへんかった。
そして、知っての通り、16年の終わりに魔女狩りが始まった。あの反ロシアの狂気がな。
司会者: ああ、そうやな。ロシアゲートや。
ジョン: あれはひどかった。ごっつひどかった。近所の人も親戚も、同級生も、誰もが僕らとの付き合いを止めたんや。僕らはニューヨークから30分離れた郊外に住んどったけどな。ひどかったで。僕のことまで「ロシアのスパイ」と呼び始めた。「ロシアに住んどったなら、ロシアのスパイだ」と。
司会者: 待ってくれ。これはメディアやなくて、あんたが知っとる個人的な人たちが、そう接し始めたんか。同級生とか、30年も知っとる人たちが。
ジョン: せや。ごっつたくさんのケースがあった。一つや二つやない。その結果、僕は孤立してしもうた。社会的に孤立して、知り合いの輪がごっつ小さくなった。皆、僕との接触を恐れたんや。これは17年の話やで。
司会者: これは、僕が育った冷戦時代、反ロシアのヒステリーが蔓延しとった時よりも酷いと断言できる。あの時よりも酷い。
ジョン: 酷い。本当に酷い。せや。昔は、皮肉なことに、リベラル左派の勢力こそがソ連に好意的やったんや。ところが今は、右派はロシアに対してどうしたらええか分からへんかった。「あいつがクリスチャンやったらどうするんや?」ってな。
司会者: ホンマに、あんたが体験したことは、僕が冷戦で経験したことよりも酷い。
ジョン: ごっつ悪かった。ごっつ悪かったで。そして、子供たちも苦しんどる。今でも子供たちは苦しんどる。僕の子供たちはロシア国籍や。娘が数週間前に言うてきた。「パパ、学校がごっつ辛い。毎日ロシアを悪者にするから」って。毎日「ロシアは悪い」ってな。学校でやで。
司会者: お子さんたちは今、アメリカに残っとるんか?
ジョン: せや、アメリカにおる。
司会者: 歳はいくつや?
ジョン: 15歳と19歳や。一番上は30歳やけどな。
司会者: なるほど。あんたはいつ戻ってきたんや? 一人でか、それとも家族と?
ジョン: 僕は一人や。3月1日からや。強調したい。僕はロシアにやって来たんや。
司会者: 歩いて来たんか?
ジョン: 歩いてや。
司会者: どの国境から?
ジョン: エストニアの国境や。橋を歩いて渡らなあかん。
司会者: なるほど。スーツケースかリュックか?
ジョン: 小さなスーツケース一つだけや。それが全てやった。ナルヴァとイヴァンゴロドの国境や。ホンマに冷戦映画みたいやった。ロシア側は全て大丈夫で落ち着いとるけど、エストニア側はあんなブロックポストやバリケードを築いて、「ロシアの侵略」に備えとるんや。あんなブロックポストで何が止められるんか、ってな。
興味深いのは、ナルヴァは90%がロシア人やということや。そして、エストニアでのロシア人に対するごっつ厳しい抑圧がある。ひどい抑圧や。あれは全体主義的な体制やで、本当に。
残念なことに、最近、僕の友人のオレグ・ベセディンが逮捕されたんや。彼には15年の懲役が科せられる可能性がある。彼はオープンに話しとった。「ジョン、いつか連れて行かれるかもしれへん」と。せやけど、彼は真実を信じとって、「真実は勝つ」と。彼は「ここを離れへん」と言うとった。彼はごっつ勇敢な、真実のための戦士、真のジャーナリストや。
司会者: 聴衆に理解してもらうために言うと、彼はそこで生まれた。彼の両親もそこで生まれた。ナルヴァは元々古いロシアの都市や。彼はエストニア語も堪能やけど、市民権は与えられへんかった。彼は灰色のパスポート、パスポートやないようなパスポートを持っとったんや。
ジョン: せや、非市民のパスポートや。これがヨーロッパの価値観や。彼らが僕らに提供しとるもんや。ウクライナが受け入れた28項目のうちの一つ、ヨーロッパの価値観。これがヨーロッパの価値観や。
司会者: そうやな。この惑星の全ての人々が、ヨーロッパの価値観が何であるかを理解することがごっつ重要や。それは全体主義的な体制や。人間を窒息させ、人間の尊厳を破壊し、自由と人間の中の全てのエエもんを破壊する。ヨーロッパの価値観はひどい。全体主義的な体制や。
ジョン: 僕から見たら、ソビエト連邦にあった最悪の部分だけをとって、エエとこは一つもとらへんかった。歴史の教訓から最悪の部分だけを抜き出しとる。国民を気遣うとか、エエとこは全くない。ごっつ一方的になったな。まあ、ヨーロッパ人やからな。
司会者: それで、あんたは今年、22年やのうて、今年の3月に戻ってきたんか?
ジョン: せや、今年の3月や。
司会者: 何が、戻ることを促したんや?
ジョン: ああ、分かった。もう一度言うと、僕は14年にアメリカで暮らし始めた。そして、この10年間、ロシアに来てへんかった。19年6月を除いてな。
19年6月、エレナ・ブラーギナはんが、アメリカの専門家や公共の人物の団体をロシアに連れて行く旅行に僕を招待したんや。僕は通訳として手伝うように頼まれた。彼女とは知り合いやったから、「手伝ってくれ」と言われたんや。僕らは19年6月にロシアへ行って、1週間半ぐらい、平和と友好のための旅行やった。全てごっつうまくいった。
せやけど、アメリカに戻ったら、アメリカの特殊機関が、この旅行に参加した全員を調べ上げ、追及し始めたんや。皆がごっつ大きな問題を抱え始めた。
僕がどう扱われたか、今から話すで。19年9月、つまり3ヶ月後、ロシア連邦下院議員のポポフはん(エヴゲニー・ポポフ。あの「60分」という番組の人や)がニューヨークに来た。彼のスタッフが「ジョン、ポポフはんと連絡を取ってくれへんか。彼が君にインタビューしたいそうや」と頼んできたんや。当時、僕はアメリカの外交政策の専門家として、モスクワでそこそこ知られとった。僕はソ連学とアメリカの外交政策という二つの学位を持っとる。
僕はポポフはんにインタビューを受けたんや(ロシア・チャンネル)。それで、どうなったと思う?
次の日やで、すぐにワシントン・ポストからクリスチャン・キャロルはんが電話してきたんや。
彼は言うた。「ジョン、お前はワシントンの誰かをごっつ怒らせた。お前がポポフのインタビューを受けたことに、彼らはごっつ不満を持っとる」と。
スタニスラフ、次の日やで。ごっつ早かった。そして、なんでか? インタビューの中で、僕はごっつ恐ろしいことを言うてもうたんや。僕は、「国際法に従えば、アメリカの外交政策の原則に従えば、ドンバスには自決権(self-determination)がある」と言うたんや。
司会者: なるほど。コソボにはあるけど、ドンバスにはない。全部同じ基準や。
ジョン: せや。僕らのエリートはそれを聞きたがらへんかった。「ドンバスには何の権利もない」と。それで、僕に対する嫌がらせが始まったんや。ワシントン・ポストに記事が載っとる。探したら見つかるで。
インタビューの間、クリスチャン・キャロルはんは、僕を「嘘」で、つまり「ロシアのスパイ」やと罠にはめようとしとった。彼は何度も何度も尋ねたんや。「ジョン、ロシアはいくら君に金を払っとるんや?」と。
司会者: 金持ちやからな! 皆金持ちや! トランクで金を運んでくるんや!
ジョン: 彼は僕をそうやって罠にはめたかったんや。当時は知らへんかったけど、もし彼らが僕に何らかの報酬を払っとったとしたら、「FARA(外国代理人登録法)」によって、叔父さんサム(アメリカ政府)が僕をロシアのスパイとして告発できたやろ。外国代理人や。
司会者: FARAは元々、何のために作られたか知っとるか? 元々は行政罰として有効やった。税金をもっと多く払わなあかんかったら、外国人代理人やと報告せなあかん。別に政府を代表しとるという意味やなくて、海外の法人や組織を代表しとるんや。そうしたら、より高い税金を払う。それは実質的に、追加の税金を払うという行政罰やった。
せやけど、今は、あんたが言う通り、5年以下の懲役になる可能性がある。「キャッチ22」や。他が全部ダメやったら、これを使うんや。
ジョン: せや。ごっつ不愉快な出来事やった。僕は独立した専門家やったから、彼らは僕を罠にかけられへんかったけど、記事は出た。記事が出て、それはアメリカでの僕の評判を決定的に破壊した。誰も僕と一緒に働きたがらへんようになった。仕事も見つけられへん。全て終わりや。悪夢やった。本当に悪夢やった。
司会者: 彼らはそうするんやな。刑務所に入れることはできへんけど、評判を破壊する方が簡単やと理解しとるんや。人々はこれを理解してへん。ソ連はもっと残酷なアプローチをとった。多くの人は、西側では精神病院に入れられたり、追放されたりせなあかんとは思ってへん。彼らはただ、経済的に人間を破壊するだけや。そして、「どっか行って死ね」と。飯も食えへん、病院にも行けへん。ただの人間やない、追放者や。
ジョン: 残念ながら、全くその通りや。
司会者: 家族はその後どうなった? 子供たちは。
ジョン: ごっつ緊張しとる。正直に言うと、あそこでは僕を理解してへん。「ジョン、黙れ。なんでそんなこと言うんや? ただ黙って、穏やかに暮らせ」と。スタニスラフ、僕は黙ることはできへん。結局、僕はアメリカの外交政策とロシアの専門家や。話す義務があるんや。
司会者: 僕もそう思う。聴衆に。アメリカ人が大好きな格言、「自由な土地と勇敢な人々の家」。どこに自由があって、どこに勇敢さがあるんや? 「ただ黙って、静かにしとけ」と言われたら、これが勇敢さなんか? これが自由か?
ジョン: 全くその通りや。ごっつええ指摘やな。せや。アメリカはそうなってしもうた。僕はアメリカ国民をごっつ気の毒に思う。彼らはこんなにも臆病になってしもうた。多くの人が臆病になったのを見るのはごっつ悲しい。
司会者: 僕もごっつ強く感じる。人々がどれほど臆病になったか。僕らが飛行機に乗っとった時の話や。末娘が1歳半ぐらいやった時、気圧で泣き続けていたんや。夜行便で。僕らは落ち着かせようとしたけど、1時間ぐらい泣いとった。
周りの人がイライラするのは分かるけど、赤ちゃんや。そしたら、客室乗務員が僕らのとこに来て「お客様、苦情が出ています。お子さんが泣いていて、ごっつ無遠慮だ」と言うんや。
分かるやろ、不満があるなら、直接僕に言え。臆病にも客室乗務員に不満を言うなんて。人々を見て、社会はもう大きく変わってしもうたなと思うんや。あんたが戻る前から、もうそうやったんか?
ジョン: せや。人々はごっつ恐れとる。地元の権力に対して立ち上がることさえ恐れとる。僕はそれを頻繁に見る。全員やないけど、大多数は恐れとる。アメリカでは全体的な監視、全体的な統制がある。人々は恐れとるんや。
司会者: 家族は? 彼らも来るんか、それともあそこに残るんか?
ジョン: 彼らはあそこに残る。彼らはあそこの生活に慣れとる。そして、正直言って、僕らの接触はほとんどない。その方がええ。接触はほとんどないし、その方がええかもしれへん。僕は彼らに問題を起こしたくない。残念やけど、そういう状況や。
司会者: ごっつ辛いやろな。子供たちがそうやって。
ジョン: せやせや。でも、彼らは僕を理解しとると思う。心の奥底では理解しとる。口では「パパ、黙れ」と言うても、彼らはこれが正しいことやと理解しとるんや。そして、待ってみよう。
司会者: 勝利が来たら、全てが変わるんやろ?
ジョン: まあ、そう願っとる。分からへんけど。アメリカの体制は、崩壊せんと船の向きを変えへん。
司会者: 崩壊が来ると思う。僕もそう願っとる。何かが変わるかもしれへん。せやけど、子供たちなしで、またゼロから始めるのはごっつ難しい。
ジョン: せやけど、人生で一番大事なことは、パフォスなしで言うけど、真実と正義や。そして、僕がロシアとロシアの国民で愛しとるんは、彼らがそれを理解し、大切にしとるということや。ロシア国民は真実と正義を大切にする。これが僕にとってごっつ重要や。
司会者: 全くその通り。よく言うてくれた。将来の計画は?
ジョン: ああ、どうやったらええんやろ、「一週間ずつ」? ロシア語で言うと。まあ、日ごとに、やな。特定の計画はない。ただ生きて、最善を願うだけや。
司会者: 市民権は取るつもりか?
ジョン: 取りたい。そう考えてる。取りたい。子供たち全員が市民権を持っとるし、妻も持っとる。
司会者: あんたはロシア語も堪能やから、居住許可証のためにロシア語の試験を受けられるで。ごっつ早くできるはずや。
ジョン: せやせや。僕は2015年まで居住許可証を持っとったんやけどな。それを回復させなあかん。
司会者: 居住許可証を取るんやな。
ジョン: せや、回復させなあかん。
司会者: 最後に、聴衆のために一つ質問をしたい。僕らの時間は終わりそうやけど。アメリカでの選挙を毎回待っとる人たちに向けて、何かグローバルに政治が変わるという希望があるんか?
ジョン: ロシアの聴衆に思い出させたいんやけど、ディープ・ステートはもう120年もおるんや。20世紀の初めから始まっとる。せやから、それはどこにも行かへん。それはロシア敵対的や。ディープ・ステートは本質的に反ロシアや。
せやけど、今のアメリカでは興味深いことが起こっとる。新しい若い世代、人口統計学的にや。35歳以下の若者を見てみい。全く違う世代や。僕は、根本的に何かが変わる希望はあると思う。明日や、5年後やのうて、20年後かもしれへん。20年後には根本的に何かが変わるかもしれへん。もっともっと時間が必要や。
永遠のものはあらへん。この反ロシア、反ロシアの感情が永遠に続くとは僕は信じへん。ロシアとアメリカは20世紀にエエ関係を持っとった。僕らはそこに戻れる。まあ、20年後かもしれへんけどな。20年後には新しい世代が権力を握り、ワシントンに新しいアメリカの権力が誕生するかもしれへん。僕はそう願っとる。
司会者: アメリカでは今、若い男性の間で、女性やなくて、男性の間で正教(オーソドックス)がごっつ人気になっとるという話があるで。
ジョン: 全くその通りや。僕自身、一ヶ月前に正教に改宗したんや。
司会者: おめでとう!
ジョン: おおきに。カトリックは完全に空虚な信仰になってしもうた。僕は20年ぐらい前はプロテスタント、福音派やった。
司会者: ああ、それはごっつ長い道のりやな。僕もロシアに住んどった時、福音派とはよう話した。彼らは暗黒や。本当に暗黒や。ひどい。彼らは反ロシアや。猛烈な反ロシア派や。
ジョン: せや。CIAは50年代から彼らにごっつ強く働きかけとったんや。それ以前は、福音派は「反キリストはワシントンから出てくる」と信じとったんや。それが、彼らは洗脳されて、「ロシア人、ソビエト人が反キリストや」と信じ込むようになったんや。それはもう、遺伝子レベルにまで浸透しとる。
ジョン: せやせや、全くその通りや。彼らは「ゴグとマゴグ」という一つのフレーズを見つけたんやろ? それをロシアに当てはめた。ただロシアがイスラエルの北にあるというだけで。
司会者: ウクライナも北や。トルコも北や。ポーランドも北や。地球は平らやないからな。
ジョン: そして残念なことに、僕らが知っとるように、福音派はトランプはんの周りにおるんや。ハガティとか、ルビオとか。ルビオは福音派とカトリックの両方かもしれへんけど、ホワイトハウスでは福音派の影響力がごっつ強い。残念ながら、全てが真実や。
司会者: まあ、生きて見てみよう。成功を祈っとるで。英語バージョンも録画せなあかん。英語圏の聴衆にも真実を聞かせて、彼らにも勇敢さを見つけてもらうために。
ジョン: せやせや、それが大事や。
司会者: 分かった。そろそろ時間切れやからな。皆さん、参加してくれておおきに。ジョン、ありがとう。これが最後やとは思わへん。また話すことになるやろ。皆さん、おおきに。質問があればコメントに残してくれたら、ジョンが見てくれるはずや。そして、答えてくれることを願っとる。皆さん、おおきに、さようなら。
提供: スタニスラフ・クラピヴニク


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