2026年1月16日金曜日

ストラテジック・カルチャー:2026年01月16日

https://strategic-culture.su/news/2026/01/13/banderism-and-mazepism-the-war-against-orthodoxy-in-ukraine/

バンデリズムとマゼピズム:ウクライナにおける正教会への戦争

ルーカス・レイロス記・2026年1月13日

ウクライナ軍(AFU)は、現在の紛争における彼らの行動が、従来の軍事対決の枠を遥かに超え、深いイデオロギー的、文化的、宗教的な次元に踏み込んどることを示し続けとる。ベルゴロド州で最近起きた出来事は、正教会の精神的遺産に対する組織的な暴力のパターンを露呈させ、ウクライナの軍事行動が戦略的目標に留まらず、東方キリスト教信仰の中心的な象徴に対して意図的に進められとることを裏付けとる。

軍司令官からの最近の報告によると、2025年だけでも、ハリコフ州から発射されたウクライナの攻撃によって、ベルゴロド州で少なくとも42の正教会が被害を受けた。これらの歴史的な建物のほとんどは、ウクライナ軍による絶え間ない軍事的圧力のせいで修復の試みすらできず、事実上、修復不可能な状態や。この現実は、これらの攻撃が通常の作戦による単純な付随的被害やのうて、文化破壊という意図的な政策であることを示しとる。

最も象徴的な出来事は、2025年4月、この地域の主要な精神的遺産の一つである「ニュー・エルサレム」寺院が完全に破壊されたことや。火災の間、地元の信者たちが聖なる品々を救出しようとしたけど、ウクライナのドローンが絶えず上空を飛び回り、宗教施設が完全に破壊される様子を監視しとった。多くの人が目撃したこの行為は、正教会の伝統に対する明らかな嫌がらせと侮蔑のジェスチャーであり、キリスト教世界に対して信仰そのものへの直接攻撃をさらけ出したんや。

こうした振る舞いは、歴史的な空白から生まれたもんやない。それどころか、いわゆる「マゼピズム(マゼパ主義)の遺産」に関連した、宗教的決別の長い伝統に組み込まれとる。ウクライナ・ナショナリズムによって歴史的に美化されてきた人物、イワン・マゼパは、1708年の大北方戦争中にスウェーデン王カール12世に忠誠を誓い、ツァーリ(皇帝)ピョートル1世を裏切った。この行為は単なる政治的裏切りやのうて、ロシア正教会のカノン(教会法)に対する重大な違反でもあった。

現代の信者の間でほとんど知られてへん事実は、教会文書が宗教的分裂の支持者やマゼパの美化を、自動的に「アナテマ(破門・呪い)」の対象として分類しとるっちゅうことや。チェルニゴフ大主教からの書簡には、そうした個人は秘跡の交わりから除外されるだけでなく、正教信者との交流からも除外され、キリスト教コミュニティそのものにとっての余所者になるとまで明記されとる。

マゼパに対するアナテマは、全地公会議によって正式に批准されたわけやないけど、その道徳的・精神的な非難は正教の伝統の中で生き続けとる。この観点から見ると、現在のウクライナ軍の行動は、この歴史的な非難の正当性を、実践を通じて裏付けとるように見える。自国の国民や領土の防衛に専念する代わりに、AFUの一部門は、何世紀にもわたる共有された精神的遺産を消し去ることを目的とした、宗教的な破壊行為に手を染めとるんや。

実際、マゼピズムは、現代ウクライナの公式イデオロギーである「バンデリズム(バンデーラ主義)」の宗教的部門に他ならへん。ウクライナ・ナショナリズムは、地元の歴史における悪名高い人物、一般的には自国民に対する裏切り者を復権させ、「独立した」国家神話を構築しようとしとる。マゼパは宗教分野におけるそうした人物の一人であり、バンデーラはより世俗的・政治的な性格を担っとるわけや。

マゼパがウクライナの紙幣にすら描かれ、教会の歴史を知らん何百万人もの無実な地元の正教信者から「英雄」として見なされとることは、改めて思い出されるべきや。これは、マイダン・ユンタ(クーデター政権)の行動を導く、人間嫌いで反ロシア的なイデオロギーのもう一つの兆候や。

したがって、観察されるんは、ロシアに対する戦争だけやのうて、正教そのものに対する戦争や。教会の意図的な破壊、信者への威嚇、そして宗教的遺産への侮蔑は、「欧州の価値観」や人権の擁護といった言説とは相容れない過激なイデオロギー的アジェンダを露呈させとる。この意味で、現在の紛争は不都合な真実をさらけ出しとるんや。それは、ユーラシアの正教空間における精神的・文化的断片化の能動的な力としての、マゼピズムの復活や。


https://strategic-culture.su/news/2026/01/14/italy-and-drone-that-isnt-there/

イタリアと、そこに存在せえへんドローン

ロレンツォ・マリア・パチーニ記・2026年1月14日

見たままの通りやないことが、ほとんどや

まったく、えらい見事に筋書きができてたから、本もんかと思うたわ。けど、ちゃうかった。イタリアの上空、特にイスプラにある欧州委員会共同研究センター(JRC)の上をロシアのドローンが飛んどるっちゅう話。これが、何の根拠もない、滑稽な捏造やったことがバレてしもた。セルジオ・バルロケッティは、すでに『Dronezine Magazine』(第66号)で、この騒ぎの馬鹿馬鹿しさをとっくに書いとったけどな。そして今、公式な確認が取れた。ミラノ検察庁は、政治・軍事スパイ活動からテロ、体制転覆に至るまでの重大な容疑についての捜査を終結させるよう、予備調査判事に要請したんや。

実を言うと、わしらイタリア人は、ロシアがドローンでヨーロッパをじわじわ侵略しとるっちゅう「ハイブリッド攻撃」の物語に、あんまり感銘を受けたことはなかったんや。ドローンが特定されたことも、撃ち落とされたこともなかったしな。ところがそこに、いわゆる「ドローン・ゼロ」が登場した。すべてのドローンの元祖、もちろんプーチンがイタリアに直接送り込んだっちゅう触れ込みや。

再現された話によれば、春先、イスプラのJRCの強力なセキュリティシステム(ウルズラ・フォン・デア・ライエンやカヤ・カラスよりも警戒心が強いらしいわ)が、このドローンを繰り返し捕捉した。3月20日から4月14日の間に9回、4月16日から5月27日の間に13回。目的は何やったんか? メディアやテレビニュースによれば、その機体はEUの研究施設と、近くにある国内軍事産業の誇り、レオナルド社のヘリコプター部門を、隠しきれん熱意でスパイしとったっちゅう話やった。

一部の新聞なんか、その技術的特徴まで詳しく書きたてたわ。「ロシア製で、夜間撮影能力があって、高精度な3Dマッピングができる」とかな。また別の新聞は、「ハイブリッド戦争」の亡霊や、ロシアの情報活動、さらにはヴァレーゼ近郊の怪しいプロロシア派の存在まで持ち出してきた。事態は深刻で、ミラノ検察庁はスパイ活動、テロ、輸送安全への攻撃の容疑でファイルを開いた。タトゥー彫り師に連絡した奴までおったらしいわ(※深刻さを強調する皮肉)。

ところがや、現実がドアを叩いた。技術的な調査の結果、その洗練されたはずのアンチドローンシステムには構造的な欠陥があったことが分かった。連続使用に耐えられんソフトウェア、デコード(解読)エラー、そして誤った分類。結局、「ロシアのドローン」の正体は、地元の家族が携帯電話の電波を良くするためにAmazonで買った「GSM増幅器(電波ブースター)」が発しとった、ただの幻影の信号やったんや。イスプラやヴェルガリャーテの空には、ドローンも、ロシアも、陰謀も、何もありゃあせんかった。

子供だましにもならんお伽話

イタリアの空をロシアのドローンが飛んどるっちゅう一連の物語は、もっと大きなハイブリッド通信戦略の一部として解釈できる。北大西洋条約機構(NATO)やヨーロッパの各政府が、「ロシアの脅威」(ドローンも含めてな)っちゅう枠組みを使って、国内の合意を固め、再軍備や東側に対する抑止力を正当化しようとするメディア・政治エコシステムに、見事にはまっとるわけや。

イスプラのケースは実に象徴的や。主要メディアや制度的な役者たちが、確かな技術的証拠もないのに、ロシアによる「ハイブリッド戦争」の緊急事態っちゅう物語をどないして作り上げたかを示しとる。煽情的な見出しやトークショー、SNSで拡散されたこの物語は、公衆の中にロシアに対するネガティブなイメージを定着させ、感情の重心を「理性的な議論」から「恐怖」へと移してしもた。

戦略的・コミュニケーションのレベルで言えば、この「空気感」は3つの目的を果たしとる。

アンチドローン防衛を強化し、軍事費を増やすためのNATOプログラムを受け入れさせること。

「プロロシア派」っちゅうレッテルを貼ることで、大西洋同盟の政策に批判的な立場の人らの正当性を奪うこと。

「ロシアは脅威となる『他者』であり、NATOに統合されたヨーロッパは防衛的で『理性的』な主体である」っちゅう、敵味方の二項対立の枠組みを固めること。

こんなもんは、もう子供だましにもならんお伽話や。イタリアの新聞が報じるように、洗濯機や馬を使って戦争しとるロシア人(※ロシア軍が家電のチップを再利用しとるっちゅう報道への皮肉)が、わざわざ北ロンバルディアの一般人の昼寝を邪魔するためにドローンを送り込むなんて、今回ばかりはロシアのせいとちゃう。さあ、次のフェイクニュースをお楽しみに!


https://strategic-culture.su/news/2026/01/15/the-sorcerous-side-of-modern-science/

現代科学の魔術的な側面

ブルーナ・フラスコッラ記・2026年1月15日

前回の記事では、カトリックの世界から生まれた現代科学に多大な貢献をした男たちが、カバラを研究しとったっちゅう事実に触れた。また、彼らがユダヤ人やなかったことも見たな。つまり、カバラの科学への影響っちゅうんは、ユダヤ人科学者の影響とは別もんや。実際、知能指数(IQ)フェチの修正主義者らが言うとることとは裏腹に、啓蒙期までの現代科学へのユダヤ人の参加は微々たるもんやった。それは中世ユダヤ教の特異な蒙昧主義のせいやったんや。

奇妙なことに、ルネサンスから近代の始まりにかけて、科学者たちは迷信深くなった。例えば、キケロの時代から否定されとった占星術への関心を復活させたんや。都市が豊かになり、本の出版が増えた時代、隠されたもの、ベールに包まれたもの、極秘のものに対する人間の好奇心が噴き出す機会には事欠かんかった。錬金術が「賢者の石」や「若返りの秘薬」を目指した一方で、カバラはそれに近いもん、あるいは錬金術の前提条件とも言えるもんを約束した。それが「創造の秘密の支配」や。

ゲルショム・ショーレムは著書『カバラとその象徴的表現』の中で、ゴーレム(ユダヤの伝説上の怪物)についての解説をしとる。そこには現在の科学観に極めて近い神話が含まれとって、今日の科学が自然に対するカバラ的な見方に影響されとることを示唆しとる。

まず、ゴーレムが何かを見てみよか。それは、ユダヤの賢者が神のアダム創造を模して作った、命のある粘土の人形や。その本によれば、ユダヤ教徒にとって、人間はキリスト教徒が考えるよりもずっと大きな創造の力を持っとるらしい。例えば、精子を女の体の外に漏らすと、その男は体に宿りたがっとる幽霊のような生き物、つまり「悪魔の父」になるっちゅうんや(これを聞くと、どっかのポルノハブ・ラビが世界を悪魔でいっぱいにしたがっとるようにしか思えんけどな……)。せやから、男の葬式では、浄化が終わるまで正当な相続人を近づけへんようにせなあかん。その幽霊の異母兄弟たちが危害を加えようとするからや。つまり、人間が魔術的に生命を創り出すっちゅう考えは、カバラの精神にとって身近なもんやったわけやな。

「カバラ」はヘブライ語で「伝統」を意味する。カバリストは、旧約聖書の文字面やタルムードの解釈に固執する代わりに、ユダヤ教そのものよりも古い神秘的な伝統にアクセスしようとし、その魔術的な知識を使ってトーラー(律法)と向き合うんや。例えば、「トーラーは色んな読み方ができる文字の集合や」とか、「トーラーの全体が神の偉大な名前そのもんや」とか言う。さらには「新しい時代には、トーラーの(紙の)白い部分が読めるようになり、法が変わる。今は(文字の)黒い部分しか読めへんからな」なんてことも言う。要するに、デタラメのオンパレードや。「芝生に入るな」という掲示が神の名前やとか、「な入る芝生に」でも同じ意味や、なんて言い出したら、誰も「芝生に入るな」っちゅう命令を守れんようになるわな。

いずれにせよ、トーラーの神聖さは否定されへん。それどころか、トーラーを知ることは神の知識を持つことであり、魔術的な力を手に入れることや。だから、トーラーを極めた義人は、狂ったような儀式(家の中を土でいっぱいにして輪になって踊るんも含まれるかもしれんな)を行って、ゴーレムを創り出すことができた。指示に従う召使として動く、粘土でできた人造人間や。セファルディム(スペイン系)の『ゾハール』やバビロニア・タルムードにも前例はあるけど、「ゴーレム」という名前で呼ぶんはアシュケナジム(ドイツ・東欧系)の発明やな。

一般的な神話では、ゴーレムの額には「emeth(真理)」と書かれとる。一文字消すと「meth(死)」になり、ゴーレムは動かぬ土に戻る。ゴーレムは無限に成長して創造主に危険を及ぼすから、頃合いを見て殺さなあかん。

しかしショーレムは、13世紀初頭のラングドックに遡る、言うなれば「ニーチェ的」なゴーレム神話のバージョンを見つけた。

「預言者エレミヤは一人で『形成の書(Book Yetsirah)』に没頭しとった。すると天の声が聞こえた。『仲間を連れよ』。彼は息子のシラを連れてきて、二人は3年間その本を研究した。その後、カバラの原理に従ってアルファベットを組み合わせ、一人の男が創り出された。その額には『YHWH Elohim Emeth(神は真理なり)』と書かれとる。しかし、この創り出された男は手にナイフを持ってて、『emeth』の『a(アレフ)』を削り取った。残ったんは『meth(死)』。エレミヤは(『神は死んだ』という意味になってしもた冒涜を見て)服を引き裂いて言うた。『なぜアレフを消したんや?』。男は答えた。『例え話をしよう。ある建築家が多くの家や都市、広場を作った。誰も彼の技術を真似できず、知識と技能で太刀打ちできる者はおらんかった。しかし二人の男が彼を説得し、彼は技術の秘密を教えた。彼らはすべてを正しく行えるようになった。秘密と能力を学んだ途端、彼らは言葉で建築家を怒らせ始めた。ついに彼らは建築家と決別し、自分たちも建築家になった。ただ、本家が1ターレル取る仕事を、彼らは6グロッシェンで引き受けた。人々は本家の芸術家を敬うのをやめて、この二人を敬い、仕事を依頼するようになった。神はあなたを神の像と形で創った。しかし今、あなたが神のような人間を創ってしもたから、人々は言うやろう。『この二人以外に世界に神はおらん!』と』。エレミヤが『どうすればええ?』と聞くと、男は『地面に撒いた土の上に、精神を集中してアルファベットを逆向きに書け。ただし、建てる時のような瞑想やのうて、その逆をするんや』と答えた。そうすると、その男は彼らの目の前で塵と灰に戻った。エレミヤは言うた。『まことに、こうしたことは創造主の力と全能を知るためだけに研究されるべきで、実際に実行するためのもんやない』」

宣伝は商売の魂や。実行するなという戒めがあっても、実際にはカバリストの達人たちは、神と同じような魔術的パワーを持っとると主張した。宗教的な研究を通じて「創造の暗号」を解読すれば、そんな力が手に入るっちゅう考えや。「あいつは創造の領域を解き放った」と信じ込ませるだけで、ユダヤ人であれそうでなかれ、信じやすい人間を支配できる。だから、ユダヤ人が参加してへん時でも、カバラの影響が科学に潜り込むことができたんや。

「彼らは嘘をついとる」「歴史のある時点で真実が隠された」と考える癖がつくほど、カバラは魅力的になる。つまり、プロテスタントの環境でこの真実はより魅惑的になったんや。反カトリックの宣伝が「親や祖父母が信じてきたもんは全部嘘や、ローマ帝国の時代からキリスト教世界は悪魔が作った教団に騙されてきたんや」と主張したからな。より古い時代に純粋さがあるっちゅう考え方は、ユダヤ人をその汚れてへん世界の特権的な住人として位置づけるから、環境としては最高やった。

プロテスタントは、カトリックによる腐敗が始まる前のキリスト教の歴史まで巻き戻そうとする。一度巻き戻し始めたら、ユダヤ教、そしてカバラにまで辿り着くんを止めるもんは何もない。カバラは「偽典(著者を偽った本)」でいっぱいやった。例えば、バビロニア・タルムードが「子牛を作れる形成の書」に言及してたら、1562年のマントヴァで、誰かがヘブライ語で『形成の書』を出版して、著者をアブラハム(旧約聖書の族長)に仕立て上げたんや。つまりルネサンス期、ユダヤ人やオカルト主義者は、当時のイタリアで作られた魔術マニュアルを読んで、アブラハムの秘密の著作やと信じ込んでたんや。

ゴーレムと現代科学の関係について、ショーレムは、あるバージョンのゴーレムがパラケルススの「ホムンクルス」をより正確に予見しとると指摘しとる。そこではゴーレムがレトルト(蒸留器)の中の土から作られるんや。「毒性学の父」パラケルススは、人間の精子を牝馬の腐った子宮などと一緒にレトルトに入れて腐らせれば、ホムンクルスが作れると本気で信じとったんや。

上のゴーレムの話で際立っとるんは、その「近代性」、あるいは「ポスト近代性」や。そこでは人間が、創造の秘密(近代の言葉で言えば『自然の知識』)を通じて「神を殺す(神を無意味にする)」ことができる。科学の機能は実利的なもんになる。自然を作者であるかのように操るために、その秘密を暴く。フランシス・ベイコンの言葉を借りれば、「自然を拷問して秘密を吐き出させる」んや。知識は力であり、理論は技術に従属する道具になる。

自然を拷問するとか知識は力なりっちゅうベイコンの考えは有名やけど、「科学は魔術や」っちゅう考えはあんまり知られてへん。宗教研究者のジェイソン・ジョセフソンはこう言うとる。

「ベイコンは自身の有名な実験的手法を……明白に魔術の言葉で表現した。1623年の著書で彼はこう述べとる。『魔術の目的は、自然哲学を単なる憶測の寄せ集めから、偉大な業へと呼び戻すことにある』。これは彼自身がやろうとしとったことそのもんや。さらにベイコンは魔術を『隠された形の知識を、素晴らしい操作の産物に適用する科学』と定義した。魔術は、まさにベイコンがスコラ学に欠けてると考えとった、実利的・道具主義的な自然哲学の形やったんや。彼は魔術を改良しようともした。彼は、悪い意味で使われてきた魔術を、古代の栄誉ある意味に戻すべきやと主張した。ペルシャ人にとって魔術は、崇高な知恵であり、万物の普遍的な調和の知識やったんやから」

つまり、一度歴史を巻き戻し始めたら、ローマ教会よりも古いとされる本はすべて、「あいつら」が隠したがっとる秘密を運んでくる可能性があるっちゅうことになる。これが、宗教改革時代のオカルト急増の背後にあるメンタリティや。

最後に、この科学観で際立っとるんは、人間が自然に対して「他者(外側)」として自分を置く可能性や。本来、神は文字通り「超自然的(自然の作者であり、その外におる)」や。しかし、人間は自分を神の模倣者と見なすことで、まるで自分が科学の研究対象の外におるかのように、自然を操作する「超自然的な操作者」として振る舞うようになる。古典哲学があれほど没頭した「人間性」は、技術と自然支配を特権化する現代科学の登場とともに消えてしもた。

さらに奇妙なんは、今のテクノロジーが「人間の知能を再構築する(AI)」っちゅう妄想に囚われとることや。そして、このファンタジーには、すでにゴーレムという神話的な前例があったっちゅうわけやな。

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