2026年3月4日水曜日

キット・クラーレンバーグ:MI6はいかにしてイラン戦争の土台を築いたか

https://www.kitklarenberg.com/p/how-mi6-laid-iran-wars-foundations

2026年3月4日

帝国がイランに対して戦争を仕掛けるっちゅう破滅的な決断を下す数週間前まで、テヘランとワシントンの間では交渉が激しく続いとった。イスラム共和国(イラン)は、弾道ミサイルや極超音速ミサイルの開発能力を厳しく制限すること、それから濃縮ウランを一切蓄積せえへんことに同意するよう迫られとったんや。前者の条件は大きな対立点やった。そんな制限を受け入れたら、イランの国家・地域的な安全保障体制が根底から崩れてまうからな。せやけど、テヘラン側は後者の条件を譲ることについては、案外あっさりしたもんやった。

2月28日、アメリカとイスラエルが空からイランに地獄をぶちまけるほんの数時間前、テヘランが核兵器を「永遠に」開発も所有もせえへんと約束したって話が広まった。この誓約は、イスラム共和国の高官たちがずっと言うてきたことと完全に一致しとった。その中には、あの日、公邸へのユダヤ・アメリカ連合の空爆で暗殺された最高指導者アリ・ハメネイも含まれとる。ハメネイは1990年代半ばからずっと、核兵器の取得、開発、使用を禁止するファトワー(宗教見解)を支持し続けてきたんや。

それにもかかわらず、イランが核武装したがっとるっちゅう疑念は、2018年5月にドナルド・トランプが、その3年前にワシントンとテヘランの間で結ばれたイラン核合意(JCPOA)をズタズタに引き裂いて以来、米イ関係を最悪の状態に追い込む核心であり続けてきた。この合意のもとで、イスラム共和国は制裁解除と引き換えに、国際原子力機関(IAEA)が秘密の核施設へ実質的に制限なしで立ち入ることを認めてたんや。IAEAがイランの遵守をずっと証明しとったにもかかわらず、この合意は反故にされた。

JCPOAが署名されたのは、欧米諸国――とその属国――のイスラム共和国に対する態度がめちゃくちゃ攻撃的になった時期の後やった。2006年以降、EUや国連を含む政府や国際機関が、テヘランに対して次々と壊滅的な制裁を課し、その経済、影響力、地位をズタズタにした。6年も経たんうちに、イランは地球上で最も制裁を受けた国になったんや。それ以来、この過剰な罰のような措置のせいで、ハイパーインフレ、失業、防げたはずの死、その他ひどい災厄が吹き荒れとる。

イランへの圧力が高まるにつれ、多くの国連安保理決議が、ウラン濃縮を止めてIAEAに協力するようテヘランに要求した。2011年11月、IAEAは「イランの核計画に軍事的な側面がある可能性について深刻な懸念」を表明した。この時期、主要メディアも、イスラム共和国がもう核を持っとるか、すぐにも開発するんちゃうかっていう、恐怖を煽るような報道で溢れかえっとった。イスラエルや欧米諸国は、今すぐにも脅かされとる、っちゅうわけや。

この悪魔化のストーリーは、欧米政府の高官、軍やスパイの連中、シンクタンクの専門家、それに「ジャーナリスト」らによって、しつこく垂れ流された。せやけど、その大げさな容疑を裏付ける証拠なんて、一度も出されたことがあらへん。残酷な事実はな、イランの核への欲望なんてもんは、イギリスのインテリジェンス(諜報機関)がでっち上げた作り話やっちゅうことや。これから話すのは、MI6の工作員がいかにして中立を装った国際機関に入り込み、それを利用して欧米政府を操り、最終的に世界を核戦争の危機にまで引きずり込んだかという、汚い物語や。

「情報操作」

2008年10月、デイリー・テレグラフ紙は、当時の大統領候補バラク・オバマに関するリークされた評価書について報じた。これはロンドンの駐米大使が用意したもんや。多くの共通点を見出しつつも、ダウニング街(英首相官邸)と次のオバマ政権の間で、イランを巡って「衝突の可能性」があると予測しとった。オバマが「無条件」の対話を望んどったからやな。これは、本格的な核交渉を始める前に濃縮を停止せなあかんっちゅう、イギリスが固執しとった国連安保理の「要件」とは相容れんもんやった。せやから、未来のホワイトハウスの主の考えを変えさせる必要があったわけや。

公にはされてへんけど、この時期、MI6はイスラム共和国が核を追い求めとるっちゅう「認識」を外国政府の間に広め、それによって「イランに交渉の圧力をかける」ための秘密工作にどっぷり浸かっとった。2006年から2008年までMI6のイラン部門トップを務めた、イギリス諜報界の「闇の技術」の専門家ニコラス・ラングマンのリークされた経歴書には、テヘランが秘密裏に核兵器開発専用のプログラムを持っとるという自らの評価を、欧米や中東の機関に信じ込ませることで「信頼を醸成した」と自慢げに書いとる。

その後、2010年から2012年にかけて、ラングマンはIAEAを徹底的に侵食するための「機関横断的」な取り組みを指揮した。その一方で、「戦略のために、政府内、さらには米欧、中東、極東の高官らと、非常に効果的で互いに支え合う関係を築いた」んや。このMI6との闇の握手が「イランの核と制裁に関する合意という大きな外交的成功(笑)」を可能にしたっちゅうわけやな。イランが核兵器能力を追求しとるっちゅう詐欺の裏で、世界の世論や政治的な意見をまとめ上げ、その後に続くすべての事態を引き起こしたイギリスの中心的かつ隠密な役割について、主要メディアが認めたことは一度もあらへん。

それにもかかわらず、このペテンへのラングマンの深い関与は、厳しく追及されるべきもんや。彼は二度もMI6工作員として実名を晒されるっちゅう、不名誉な記録を持っとる。一度目は2001年、1997年8月31日にパリでダイアナ妃が事故死した際、彼がパリで活動しとったことが判明した。彼は、イギリス諜報機関が彼女の死に関わっとるっちゅう世間の憶測をそらすための「情報操作」を任されとったんや。

二度目は2005年、ギリシャ当局によって暴かれた。その年、ロンドンで起きた7/7爆破事件の犯人と接触があったと疑われた28人のパキスタン人労働者を、アテネで拉致して拷問するのを指揮しとったことがバレたんや。ラングマンはこのポストから直接、MI6のイラン部門のトップへと異動した。ギリシャでの事件で彼が何の処分も受けへんかったことは、彼が相当上のレベルで守られとったこと、そしてロンドンが、拘束された連中から必ず嘘の証言を引き出すような彼の残忍な情報収集手法を承認しとったことを強く示唆しとる。

テヘランが世界の核の脅威になっとるっちゅうMI6の「インテリジェンス」は、拷問の結果やったんやろうか? いずれにせよ、駐米大使が予想した通り、オバマ政権は就任1年目、イスラム共和国の事務への不干渉を正式に約束しとった。この政策はあまりに厳格で、2009年6月のテヘランでの抗議活動を支持した国務省の職員がクビになりかけたほどや。明らかに、他国のパートナーやIAEAに対するイギリスの介入が、ホワイトハウスを融和から戦争へと転換させる決定打になったんや。

「引き返せない地点」

MI6の黒いプロパガンダ工作は、シオニスト連中(イスラエル)の高官、特にネタニヤフにとっては願ってもないもんやった。1990年代初頭から、イスラエルの今の首相は、テヘランが核を手に入れる寸前やと定期的に警告し続けてきた。オオカミ少年やとバカにされとったけどな。イギリスの諜報機関が、ネタニヤフのでっち上げに「中立的なお墨付き」を与え、欧米諸国がイスラム共和国に対して敵対的な姿勢をとるよう仕向けたんや。この共謀は、イスラエルにとって計り知れん利益やった。

イスラム革命以来の数十年間、イランは西アジア全域で拡大・強化し続ける反シオニスト抵抗勢力のネットワークを支援してきた。パレスチナもその一つや。MI6が引き金となった制裁は、テヘランがこれらのグループに実務的、物質的、金銭的な援助を届ける能力を著しく削ぎ落とした。また、この20年間、隣国のイラクやシリアでCIAやMI6が支援しとった過激派プロキシ(代理勢力)との戦いや内戦に、イランが関与するのを激しく制限することにもなった。

偶然やあらへんけど、イランに壊滅的な制裁が課された後、占領地やその住民に対するイスラエルの攻撃、そしてパレスチナ人の土地や財産の略奪は、目に見えて激しくなった。反対勢力が弱まったことで、ガザでの「ゆっくりとしたジェノサイド」は確実に加速し、最終的には10月7日のハマスによる「アル=アクサの洪水」作戦につながった。今やガザは平らにされ、シオニストが乗っ取る準備は万端や。テルアビブ(イスラエル)は今、ヨルダン川西岸地区で二度目のホロコーストを犯そうとしとる。クネセト(イスラエル議会)の議員たちは、正式な併合を容易にする法律を可決しよった。

ヨルダン川西岸地区に本格的に手をつける前に、イランを完全に無力化したいっちゅう幻想のような欲望が、2月28日から続くこの紛争の裏にあるのかもしれん。核兵器の亡霊は、そのための格好の隠れ蓑や。イスラエルは、この破滅的な「12日間の戦争」を、イスラム共和国が核取得の「引き返せない地点」に達したと結論づけた諜報文書で正当化した。その調査結果は、2025年5月のIAEA報告書に大きく依拠しとった。その報告書には新しい情報なんて何一つなかったのに、テヘランが2000年代初頭まで「未申告の核物質」を保持しとった可能性がある、なんて結論づけとったんや。

せやけど、ロンドン(イギリス)がイランを屈服させたがっとるのには、自分らなりの理由がある。1951年5月、選挙で選ばれた指導者モハンマド・モサデクがイランの広大な石油資源を国有化したことで、ブリティッシュ・ペトロリアム(BP)の莫大な利益が吹っ飛び、イギリスはテヘランと戦争直前の状態になった。モサデクはその2年後、MI6が仕組んだクーデターで引きずり降ろされ、その後にシャア(パフラヴィー国王)による残忍な統治が始まった。彼は米英にとってめちゃくちゃ都合のええ植民地の代理人やった。1979年のイスラム革命で国王は逃亡し、それ以来、ロンドンとの関係はずっと冷え切っとる。

アメリカ主導の「対テロ戦争」は、国際法なんてお構いなしのイギリス首相トニー・ブレアの狂信的な介入主義に強く影響されとった。9/11の直後、ブレアはブッシュ大統領に個人的な手紙を送り、9/11で得られた世界的な同情を「最大限」に利用して、西アジア全域で軍事介入を開始するよう促した。そのリストの最初の2つのターゲットは、アフガニスタンとイラク――どちらもかつてのイギリス帝国の旧領やった。

もし、帝国(英米)が対テロ戦争の初期段階で泥沼にハマって手一杯にならへんかったら、アフガニスタンとイラクに挟まれたイランも、あの2つの紛争の後に政権転覆と占領の標的になっとったはずや。今日、イスラム共和国への侵攻は不気味なほど現実に近づいとるように見える。せやけど、イギリスは、自分らが始めるのに一役買ったこの紛争に首を突っ込む気はないようで、アメリカがテヘランを攻撃するのに自国の基地を使うことは許さへんつもりらしい。

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