2015年5月23日土曜日

育てた人材の受け皿はつねに「市場の拡大」にブン投げ

さきの投稿のつづき。
木村肥佐生さんが亜細亜大学に職を得た経緯は、我が輩の知るかぎりつぎのとおり偶然が重なったものであって、誰かが受け皿をつくったというものではないようだ。
在日アメリカ大使館で15年勤めた。その間に毎日新聞がスポンサーになったマナスル登山隊のアドバイザーとして講演した。その講演録が本になった。「チベット潜伏10年」(中公文庫)モンゴル語とチベット語に堪能なのが知れたので、亜細亜大学の先生になった。
我が輩の恩師も、おもに原始日本語とアルタイ語関連の論文をあちこちで発表していたので我が母校の先生になったようなのだが、これは戦後の学制改革がきっかけになって、いわゆる「駅弁大学」といわれるくらい大学が急増したことに伴う人材難があってのことで、ラッキーな時代だったのだろう。
木村肥佐生さんが残した英語の本には、「チベット潜伏10年」にあんまり書かれていなかった、帰国した木村さんに外務省がいかに冷たかったかというくだりがあったと思う。戦争に負けた国の外務省としてはそれどころじゃなかったんだろう。大東亜共栄軒を想定してあちこちに人材育成機関をつくりまくっていたことを大親分のアメリカ政府GHQに知られたらマズイという判断があったかもしれないが、もしそうなら木村さんとか西川さんみたいな人ほど、外務省とか関係機関に囲い込んで飯を食わせただろうと思う。結果的に木村さんはアメリカ大使館で15年も勤めるのだから。

じゃあアメリカは受け皿をつくって見捨てないのか。それは時代とともに変わる。

"Saving Private Ryan"という映画がある。これは政治的動機もあってアメリカ政府がライアンという一等兵を助けるために救援部隊を差し向けるというストーリーなのだが、「アメリカ政府はなにがあってもアメリカ兵とアメリカ人を見捨てませんよ絶対」というハリウッドの国策メッセージが込められている。アンチアメリカ運動がさかんになり危険になった国でベイビーを抱いた母親がアメリカのパスポートをかざしながらアメリカ大使館に駆け込んで助けられて涙、なーんてイメージは誰にもどっかでインプラントされているはずだ。運悪く死んだらアーリントン墓地で兵隊が鉄砲をパンパンと打って埋葬。
そんなアメリカがいま、イエメンに取り残されたアメリカ人をアメリカ政府が見捨てた、というのをRTにことさら取り上げられている。記者会見で直毛白皙の(ぷ)サキ報道官が「退避勧告は周知徹底されているはず」と例の冷たい調子でいう。RTの記者が「じゃあいま取り残されているのは好きで居残ったアホばっかりなので死んでくれ、というわけじゃな?」(ぷ)サキ報道官は例のシニカルな調子で、「周知は徹底されている、と申したであろう、ん。」てな感じ。(ぷ)サキさんはアメリカ政府とハリウッドが何十年もかけてつくりあげたイメージを一瞬で砕いてしまいましたとさ。
それはなにもイエメンに始まったことじゃなくて、もう10年もすったもんだやっているアフガンでも同様。イラクでも同様。アフガンなんてアメリカ軍が雇ったアフガン人兵隊に背後から撃ち殺されるというのが続いたこともあって結構なストレス。生きて帰国しても半分くらいがPTSDになるんだっけ?これじゃ誰も兵隊にならないよ。

アフガン戦争で軍にかわってCIAが殺人機能を請け負いはじめた時期に、これはいわゆる人事圧力シンドローム、つまり雇いすぎた人員に仕事をつくるということなんじゃないかと思ったことがある。もしそうだとしたらそれはとても良心的な組織ということにならないか。しかしイェメンに取り残されたアメリカ人、アフガンとかイラク帰還兵の扱いなんか見ていると、兵隊もGMの工場労働者も同じような扱いをされるようになったことがわかる。仕事がなくなったらレイオフ。洋の東西を問わず、官も軍隊も民間も、人材育成の受け皿は「市場拡大に期待」それで思考停止、ということなのか。

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