2025年10月16日木曜日

マイケル・ハドソンとグレン・ディーセン:2025年10月16日 新自由主義の終焉、その先にあるネオ封建制

https://www.youtube.com/watch?v=8yB1008CLis

教授「新自由主義の終焉、その先にあるのはネオ封建制や」

お帰り!今日もマイケル・ハドソン教授に新自由主義経済、その避けられへん終わり、そしてその後に何が来るかっちゅう話を聞くで。

教授:また来れて嬉しいわ、グレン。

司会:ほな、これは1980年代から見てきた経済モデルの終わりなんやろか?あるいは、一歩戻って、新自由主義経済をどう定義して、なぜ避けられへん終末期に来たと思うか?

新自由主義とは何か?古典派経済学との対比 ??
教授:新自由主義経済を語るには、元々の自由主義経済、つまり古典派政治経済学と対比せなあかん。重農主義者からアダム・スミス、ジョン・スチュアート・ミル、マルクス、そして19世紀の残りの人々までの価値、価格、地代に関する全理論や。

経済政策が生産高をより効率的に増やすように推進し、経済進歩を測るっちゅう考え方全体は、価値と価格の理論に基づいてた。リカードが言うた「労働価値説」は、実は地代の価格理論やった。地代っちゅうんは、市場価格が価値を超える超過分やったんや。

要するに、商品には生産コストがあった。どうやって市場価格が生産コストよりも高くなるんか?土地の地代が主な理由やった。19世紀初頭の政治的な闘いは、工業資本主義を封建制度の遺産、中でも世襲の地主階級が求める土地の地代から解放することやった。

ナポレオン戦争終結後に起こった関税を巡る闘いが、デヴィッド・リカードによるアダム・スミスの理論の洗練に繋がった。

この話は脱線に聞こえるかもしれへんけど、新自由主義経済と、そのGDP会計、国民所得会計の考え方が、アダム・スミス、ミル、マルクスら19世紀全体が持っとった自由市場の概念に対する反革命の一部やったっちゅうことを理解する鍵やねん。

ナポレオン戦争の後、イギリスは戦争中に国内の食料生産に頼るようになってたけど、安価な食料輸入が入ってきた。地主たちは抗議した。「これはワシらの地代が減るっちゅうことや。輸入を阻止する関税を課して、ワシらの土地の地代を高く保てるようにせなあかん」と。

リカードと彼に従う者たち(リカード的社会主義者と呼ばれた)は言うた。「地主が地代を増やせるっちゅうだけの理由で、経済全体を犠牲にするんか?」と。工業資本家は言うた。「イギリスを世界の工場にしたいんや。そのためには、産業製品を海外よりも低い価格で生み出さなあかん。コストを基本的に最小限に抑える競争をしとるんや」と。

もし、地主のために人為的に高い食料価格を賄うために十分高い賃金を従業員に払わなあかんかったら、食料生産コストが低い他国(アメリカなど)の産業と競争でけへん。

工業資本主義のダイナミクス全体は、不必要な生産コストを取り除くことやった。ジョン・スチュアート・ミルは、「土地の地代や土地の価格の上昇は、地主が寝とる間に稼ぐもんや。それは生産物やない。今日の言葉で言えば移転支出(Transfer Payment)や」と要約した。

古典派の「自由市場」:レントからの解放 ??
彼らが言うた「自由市場」っちゅうのは、経済的レント、つまり生産物やなくて単なる特権である不労所得から自由な市場のことやった。

地主が土地を所有する特権。

独占企業がコスト増を反映せんと製品の価格を上げる特権。

工業資本主義は、人々が製品に支払わなあかん市場価格と実際の生産コストのコントラストを最小限に抑えようとした。より効率的になることで、レントのない経済が支配的な産業経済になる、っちゅうのが、古典派経済学の全体的な指導原理やったんや。

彼らは、労働や産業に課税する代わりに、地主から土地の税金を取り上げることを望んだ。重農主義者やアダム・スミスの批判の全体は、地主が何も生産せずに所得を得る寄生的な階級やったっちゅうことや。

価値理論が古典派経済学の核心になった。そして、これが議会改革に繋がった。リカード派は30年かけて、工業資本家が国民と手を組み、労働者に選挙権を拡大して、地主の利益に反対票を投じさせて、穀物法を廃止させ、税金を労働と産業から土地に移そうとした。

反革命:新古典派の台頭とレントの「生産性」 ??
せやけど、19世紀後半には、想像できるように地主が反撃に出た。そして、銀行システムにますます支援されるようになった。なぜなら、銀行は地主の世襲貴族を排除することで、土地の地代と不動産を「民主化」したけど、家を買う新しい買い手は、ローンを組まざるを得んかったからや。

古典派経済学が課税しようとした土地のレントを、銀行は言うた。「もしこの土地に課税するのを防げるなら、それはワシらに利子として支払うために利用でける」と。

彼らは不動産部門、独占部門、石油・ガス産業と結託して、古典派経済学の自由主義経済に代わるもんを生み出した。ソースティン・ヴェブレンはこれを「新古典主義(ネオクラシシズム)」と呼んだ。彼は、これが新しい形の古典派経済学っちゅう意味やなくて、「アンチテーゼ」やっちゅう意味で言うたんや。

古典派の自由市場(経済的レントから自由な市場)の概念に対するこのイデオロギー的な反動は、正反対に変えられた。すなわち、レントを追求するための自由な市場、レントが非課税で規制されへん市場や。

今日のGDP会計では、地主、独占企業、金融部門、石油・ガス産業によるレント追求が、すべてGDPの一部としてカウントされとる。不労所得なんてものは存在せえへんことになっとる。

「銀行家が提供するサービスに対して請求する金額」が、銀行家の生産性っちゅうことになっとる。

これは古典派経済学の正反対や。古典派は、レントを生産物やなくて経済的なオーバーヘッド、移転支出やと言うた。

新自由主義の帰結:レントシーキングが生産を圧倒 ??
今日のアメリカのGDP成長のほぼ全て、あるいはそれ以上は、産業や農業が生産物を生み出すことやのうて、この「レントシーキング」のオーバーヘッドや。これは生産プロセスの一部やなくて、既得権益が政治力を使って経済的利益を得るための「移転支出」の一部や。

イギリスが工業国として離陸した時に誘導原理とした、レント部門から経済を解放するっちゅう考えとは、正反対や。

金融化とレントの私有化が進んだ結果、有形の資本形成や工場建設よりも、レント追求の機会の方が儲かるようになった。

S&P 500の企業は、利益の94%を自社の株の買い戻しや配当に費やしとる。その方が、実際の産業化に投資して利益を出すよりも、株価の上昇という形で大きなキャピタルゲインを生むからや。

工業的な成長が実際の製品を生み出し、生活水準と生産性を上げるもんやっちゅう考え方とは真逆で、新自由主義は「レント追求者」のために市場を自由にしとる。

避けられへん終焉とその先 ??
司会:この新自由主義モデルの終着点で、何が起こると思うか?このモデルは自己破綻しとる。アメリカは中国経済に対してオープンな市場では競争でけへんし、富とレント追求の集中が極端になりすぎて、さらなる成長の可能性を窒息させとる。この新自由主義モデルの後に続くもんは何や?

教授:ワシは「ファシズム」よりも「ネオ封建制(ネオ・フェオダリズム)」っちゅう言葉を使う方がええと思う。ファシズムは、金融化が経済を乗っ取った階級闘争やからな。ネオ封建制と言えば、銀行と地主の利益がどうやって社会を支配しとるかが見えてくる。

トランプの政策と彼の背後のディープステートは、アメリカが新自由主義的な金融化された経済(金融資本主義であって産業資本主義やない)を続ける限り、ますます遅れをとるっちゅうことを理解しとる。

ほな、どう対応するんか?

トランプがここ半年でやってきたことが、まさにその最初の対応や。すなわち、「外国を搾取して、この国で生産できへん所得と富を外国に提供させよう」っちゅうことや。

ヨーロッパにアメリカの要求に降伏させて、経済的な自殺をさせてでもアメリカを助けさせるように仕向けた。

日本には、「関税で経済を破壊せんため」に3500億ドルの用心棒代を払えと言うた。

これは、国内で成長を生み出す力を失った帝国が、「レント」を外国から吸い上げることで生き延びようとする姿や。ネオ封建制とは、少数のレントシーキング階級が、労働と産業から富を吸い上げる構造が、国内だけでなく国際的にも拡大するっちゅうことやな。

新自由主義は古典派経済学に対する急進的な革命やったんや。その結果、富は生産者の手やのうて、経済的なオーバーヘッドであるレントシーキング階級の手に集中しとる。これがネオ封建制への道や。

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