2025年10月25日土曜日

マイケル・ハドソン:モノのないGDP

https://michael-hudson.com/2025/10/gdp-without-goods-the-rentier-mirage/


モノのないGDP:レント収入のまやかし

GLENN DIESEN: ハドソン教授、また番組に来てくれはって、おおきに。ワシらのごっつうええ友人、マイケル・ハドソン教授と一緒に、ネオリベラル経済学、その避けられへん終わりとその後に何が来るかを議論しますわ。ほな、また番組に来てくれはって、おおきに。


MICHAEL HUDSON: グレン、また戻れて嬉しいわ。


GLENN DIESEN: ほな、これは少なくとも1980年代から見てきた経済モデルの終わりなんか?あるいは、ちょっと立ち止まって、ネオリベラル経済学をどう定義しまっか?そして、なんで避けられへん終末段階に達したと思うんですか?


MICHAEL HUDSON: ネオリベラル経済学を語るには、元々のリベラル経済学、っちゅう古典派政治経済学と、価値、価格、レント(不労所得)の全ての理論と対比せなアカンわ。


古典派経済学の真の目的

フィジオクラート(重農主義者)からアダム・スミス、ジョン・スチュアート・ミル、マルクス、そして19世紀の残りの全てを通じて、経済政策が生産をより効率的に増やし、経済的進歩を測るっちゅう考えは、価値と価格の理論に基づいとったんや。リカードが労働価値説っちゅうたもんは、ホンマはレントの価格理論やった。価格は市場価格が価値を上回った分、レントは価格がコストを上回った分や。つまり、商品には生産コストがあった。


市場価格がどうやったら生産コストを超えるんか?まぁ、主な理由は地代やったな。19世紀初頭の政治的な闘いの全ては、工業資本主義を封建主義の遺産から、何よりも地主階級の地代を求める形から解放することやったんや。ナポレオン戦争後に起こった関税をめぐる闘いが、リカードによるアダム・スミスらの理論の洗練に繋がったんや。


ワシが話してることは脱線しとるように見えるかもしれへんけど、これはネオリベラル経済学とそのGDP会計、国民所得会計の考え方を理解するごっつう大事な鍵や。これらは全て、アダム・スミス、ミル、マルクス、そして19世紀の全てが持っとった「自由市場」の概念に対する「反革命」の一部やからな。


ナポレオン戦争後の問題は、イギリスとの貿易を遮断しとったナポレオンの海上封鎖が終わったことやった。戦争中に国内の食料生産に頼っとったイギリスは突然、低価格の食料輸入が入って来るのを見た。地主は抗議したわ。「これじゃレントが減るやないか。輸入を止めるために関税をかけろ。そうすれば地代を高く保てる」っちゅうた。


リカードとその仲間、彼らはリカード派社会主義者とも呼ばれたけど、「地主がレントを増やすためだけに、経済全体を犠牲にするんか?」っちゅうた。


工業家は「ウチらはイギリスを世界の工場にするっちゅう希望を持っとる。世界の工場になるには、海外よりも安い価格で工業製品を作らなアカン。工業資本主義がライバルを圧倒するために台頭するには、コストをごっつう最低限に抑える競争になっとる。地主のために不自然に高い食料価格を賄うほどの賃金を従業員に払わなアカンのやったら、低コストで食料生産しとるアメリカや他国の産業にはごっつう競争でけへん」っちゅうた。


レントは「眠っとる間に稼ぐカネ」

ほんで、18世紀後半の工業資本主義の離陸からの全てのダイナミクスは、経済を合理化して不必要な生産コストを取り除くことやった。ジョン・スチュアート・ミルは、地代と土地価格の上昇は「地主が寝とる間に稼ぐカネ」や、「生産物やのうて移転支出や」っちゅうてまとめとる。経済的レント貴族を支えなアカンのやったら、競争力のある工業経済にはなれへんのや。


この「自由市場」の概念は、経済的レントから自由で、生産物やのうて単なる特権である不労所得から自由な市場のことやったんや。地主が土地を所有し、自分らの富で議会を操り、レントと食料価格を支えるっちゅう特権、独占企業がコスト増加を反映せんと製品価格を上げるっちゅう特権や。


市民が製品に払わなアカン市場価格と、ホンマの生産とのコントラストは、工業資本主義によって最小限に抑えられることになっとった。そうやって効率的になって、レント貴族のおらへん経済が支配的な工業経済になるんや。これがイギリス、その後にフランス、ドイツ、アメリカで発展した古典派経済学の全ての指導原理やった。労働や産業に課税するんやのうて、地主や土地から税金を取ることを望んだんや。


レントの私有化と金融化

フィジオクラート、アダム・スミスの批判は、地主が基本的に何も生み出さへん「寄生的な階級」っちゅうことやった。そして地主が議会を支配して、税負担を消費税で労働に、あるいは所得税や法人税で産業に転嫁させるのを許さへんっちゅうのが考えやった。生産的な労働、生産的な支出、生産的な投資の全ての考えや。生産的な投資っちゅうんは、製品を作り出す投資のことやった。レントや不労所得を請求する機会を作り出す投資やのうてな。


価値理論が古典派経済学の全ての本質になったんや。これが議会改革に繋がった。リカード派は30年かけて、イギリスの工業家が市民と合流して、労働者に投票権を拡大させ、地主に反対する投票をさせて、30年後の1846年にトウモロコシ法を廃止させ、その後に税金を労働や産業から土地に移すことを試みたんや。


まぁ、19世紀後半には、想像できるように、地主はこれに反撃した。議論で対抗しようとし、次第に銀行システムに支えられるようになった。銀行家は、地代が課税されへんようにできたら、自分らに利子として支払われるようになることに気づいたんや。そして不動産部門、独占部門、石油・ガス産業と組んで、リベラル経済学や古典派経済学に代わるもんを作った。


ヴェブレンはこれをネオ古典派と呼んだが、それは古典派経済学の新しい形やのうて、真逆(アンチテーゼ)やった。彼の意味するところは、経済的レントから自由な市場っちゅう古典派の自由市場の概念に対するこのイデオロギー的な反動は、正反対のもんに変えてしもうたっちゅうことや。すなわち、レント追求が自由な市場、レントが非課税・無規制で、独占が独占禁止法の規制を受けへん、そして銀行がロビー活動し放題で、繁栄、公共事業、人口増加の結果としての地価上昇を自分らのもんにしようとする市場や。


ホンマの生産は最小限に抑えられ、金融が土地所有の民主化と経済的レントの私有化・金融化をセットで進めた。古典派経済学者が望んだような社会化やのうてな。


4. GDPはレントを生産と見なす

これは回り道に見えるかもしれへんけど、「経済的レントなんてあれへん、みんなの所得は生産的や」っちゅうて主張する反古典派の勝利や。


その結果、今の国民所得と製品会計、そしてGDP会計では、地主、独占企業、金融セクター、石油・ガス産業といった階級による全てのレント追求がGDPの一部としてカウントされとる。不労所得なんて言葉はあれへん。


2010年、ゴールドマン・サックスの頭は「うちの社員が一番カネ稼いどるから、アメリカで最も生産的な労働者や」っちゅうた。ホンマに、国民所得会計を見たら、彼らの所得は全部「事業をやるためのコスト」として見なされとる。これは古典派経済学の真逆や。古典派では「生産物やのうて経済のオーバーヘッド、移転支出や」。


今、例えば、アメリカのGDPの成長のほとんど、あるいは全部以上が、産業や農業、輸送が製品を作っとるんやのうて、この「レント貴族のオーバーヘッド」や。これは生産プロセスの一部やのうて、既得権益が政治的な力を使って、レントを非課税にし、封建主義と全く同じように税負担を地主、独占企業、銀行から労働と産業に転嫁することで得られる「移転支出」の一部や。


GDPにカウントされとるもんのほとんどは、製品やないんや。利子を取ることが製品を生み出すっちゅうて言えまっか?


GDPの一つの要素は、「持ち家」の推定家賃から導かれとる。銀行が債務対所得比率を上げて、借り手がどんどんカネを借りられるようにしたら、これは利益を生み出すんか?これが2008年の不動産危機に繋がったんや。全てがGDPに貢献しとるかのように、そして経済を豊かにしとるかのようにカウントされたけど、ホンマはちゃうかった。


レント追求の機会が、工場を建てて製品を作るっちゅう有形資本形成よりも儲かるようになったから、アメリカやヨーロッパの経済は脱工業化した。企業部門の金融化、企業の乗っ取り、合併と買収が起こった。


価値を生まない金融の錬金術

企業経済は、事業で稼いだ利益を自社株買いや配当に使う方が、ホンマの工業化に投資して利益を出すよりもごっつう早う、株価上昇っちゅうキャピタルゲインを生み出すことに気づいたんや。


これが、古典派の「経済は価値を生み出す」っちゅう考えから、ネオリベラルの「カネを稼ぐことに集中しよう」っちゅう考えに変わった動機や。生産的投資と非生産的投資の区別をせえへん、「短期間で株価を押し上げる」ことに集中する考えや。


アメリカの富がどう蓄積されとるか見たら、株、債券、不動産の価値の増加がGDP全体よりも毎年ごっつうデカいんや。これは工業的成長の概念の全てを歪めとる。


中国と欧米の経済哲学の対立

今の経済外交にとって、これは何を意味するんか?大衆メディアや学術レポートは、アメリカのGDPとヨーロッパのGDPを中国のGDPと対比させるけど、全部同じようなGDPであるかのようにな。


違いは、中国がイギリス、フランス、ドイツ、アメリカを裕福にした工業資本主義の古典派的政策をごっつう一番守っとる国っちゅうことや。中国の共産党の中央委員会のほとんどはエンジニアや。ウォール街から来たんやのうて、銀行家でも金融エンジニアでもあれへん。彼らは産業エンジニアか科学エンジニアや。


ほんで、彼らはホンマもんの「製品GDP」を持っとるわけやけど、アメリカとヨーロッパが生み出しとるGDPはごっつう「反製品(アンチ・プロダクト)」や。それは労働と資本が払わなアカン「レント貴族の所得」の領域や。


我々は経済的生産と経済成長が何についてのもんか、っちゅう二つのごっつう違う哲学を扱っとるんや。生活水準と生産性を上げる「ホンマもんの製品」の工業的成長なんか?それとも、労働と資本を犠牲にして、経済ピラミッドの頂点にレント貴族階級を作り出すことなんか?


リカードが予言した経済の終末

ミルトン・フリードマンは「タダ飯はない」っちゅうたけど、レント貴族経済は全部タダ飯や。独占特権を得るのはタダ飯や。地主でも銀行家でも、寝とる間に所得を作るのはタダ飯や。これがネオリベラル主義を工業経済に対して、リカードが予言した通りにごっつう破壊的にしとる理由や。


リカードは素晴らしい章を書いて、「経済的アルマゲドン(終末)に向かっとる」っちゅうた。彼は、地代が生活水準を超える全ての経済余剰を吸収し、最終的に利益を生み出す道があれへんようになったら、工業家は労働者を雇えへんようになると警告した。


今日、アダム・スミスやミルが書いとったら、彼らはマルクス主義者と呼ばれるやろな。なんでや?価値と価格を話すからや。古典派経済学に対する反革命は、経済的レントの概念を拒否するのがごっつう激しすぎるから、レントや不労所得を語り続けたのはマルクス主義者だけやったんや。


社会主義の全体の考えは、電気や教育といった自然独占は、公共のもんとして公営事業にせなアカンっちゅうことやった。医療も公営事業にでける。これは左翼の政策やのうて、イギリスの保守党の政策やった。政府が投資する目的は利益を出すんやのうて、価格を最小限に抑えて、経済全体を補助することやった。


5. ネオリベラルの行き着く先

GLENN DIESEN: GDPを取り上げてくれて、ホンマごっつう嬉しゅうおます。ネオリベラル経済学は独占と経済的不平等を生み出すんやけど、今のイデオロギーでは「共産主義や社会主義」っちゅうて片付けられとる。ホンマはアレクサンダー・ハミルトンらの言葉やったのにな。


MICHAEL HUDSON: 市場は普遍的で客観的なもんではあれへん。全ての市場は法律と規制システムによって形作られとる。独占を防ぐ市場もあれば、規制が施行されへん市場もある。


今の経済を見たら、GDPはごっつう少ししか成長せんけど、長期金利は4%や。金融債務のオーバーヘッドが実体経済よりどれだけ早う成長しとるか想像できまっか?富の集中は生産者の手やのうて、経済のオーバーヘッドであるレント貴族階級の手に渡っとる。ネオリベラル主義を理解する上で抜け落ちとる概念は、経済的レントの概念が欠けとるっちゅうことや。


GLENN DIESEN: このネオリベラル経済モデルの行き着く先に何が起こると思いまっか?アメリカは中国経済とオープンな自由市場で競争でけへん。レント追求の富の集中はごっつう極端になって、さらなる成長の可能性を窒息させとる。


MICHAEL HUDSON: ワシはファシズムよりも「ネオ封建主義」っちゅう言葉を使いたい。これは金融化が経済を乗っ取る、本質的に階級戦争やった。


トランプの政策と背後におる「ディープステート」は、アメリカがこのままネオリベラルの金融資本主義を続けたら、どんどん遅れを取ることに気づいとる。


どう対処するんか?最初の反応は、トランプがやりよった通りや。「外国を搾取して、ウチらがここでもう生産しとらへん所得と富を外国に提供させよう」っちゅうことや。


これが、日本に3500億ドルの「みかじめ料(保護費)」を払えっちゅうたり、ヨーロッパを降伏させてアメリカの要求にごっつう譲歩させ、アメリカを助けるために経済的自殺を犯させるように説得した理由や。


ヨーロッパはどこかの時点で「ホンマにドイツの産業を貧しくして、ロシアのガスの4倍もカネをかけて、アメリカの液化天然ガスに頼りたいんか?」っちゅうて言うやろな。ヨーロッパはアメリカに依存する高価格のエネルギーと独占製品に頼らなアカンようになったら、リカードがイギリスの未来を定義したのとごっつう似とる。


ドイツの反応は「軍事的ケインズ主義が効くかもしれへん」っちゅうて教育や社会支出を削って、みんなの生活水準を10%下げて、軍事経済になることやった。


MICHAEL HUDSON: せやけど、ヨーロッパの金融哲学は、「カネはいつでも刷って経済に流し込めばええ」っちゅうアメリカの哲学ほど進歩的やあれへんっちゅう事実を考えたら、ヨーロッパは「財政均衡とは言わへんけど、GDPの5%以上の借金はでけへん」っちゅう制約のある、ごっつうそれに近い財政均衡に縛られとる。これをアメリカ経済とその借金増加と比べてみい。


ヨーロッパは自国経済に金融緊縮を押し付けとるんや。それは、国際通貨基金(IMF)がこの75年間、グローバルサウスの国々に押し付けてきたのと同じや。またしても、これは金融的・財政的自殺で、経済的自殺に繋がる。そしてまた、代替案があるっちゅう記憶があれへんみたいやな。ヨーロッパ全体がサッチャー主義になって、「代わりになるもんはあれへん」っちゅうて信じとるみたいや。


もちろん、代替案はある。中国が代替案を見せとる。あるいは19世紀のアメリカの工業化の離陸が代替案を見せとる。あるいはビスマルクから第一次世界大戦に至るまでのドイツの工業化の離陸が代替案を見せとる。せやけど、これらはもう、教えられへん。まるでビスマルクがマルクス主義者で、アメリカ人がマルクス主義者で、全てが社会主義であるかのようや。全てがマルクス主義と呼ばれて、まるで宗教が悪魔を扱うように扱われとる。


ほんで、成功したアジア諸国がやりよったこと、成功したアメリカ経済がやりよったこと、成功したドイツやイギリス経済がやりよったこと、つまり独占の私有化を避け、地代の私有化を避けることで、ホンマに経済を再工業化する代替案は、なんか、考えられへんことになっとる。


そうやのうて、社会化する代わりに金融化しとる。せやから、非社会主義的な経済哲学と社会哲学を持っとったら、反工業的な哲学を持つことになるんや。


経済的代替案についての知識があれへんとアカン。せやから、冒頭でワシがこの30分を費やして、全ての教科書で共通の知識やった歴史と経済思想の全ての塊があるっちゅう説明をしたんや。彼らは皆、アダム・スミスが何を書いたか、ミルが何を書いたか知っとった。マルクスや社会主義者が書いたこと、ヴェブレンや工業化の運動法則を説明した他の経済学者が書いたことさえ知っとった。


今では、全てが脇に置かれて、経験的分析のふりをしとる統計分析をやるためだけになっとるけど、これは「地図であって領土やない」っちゅう経済カテゴリーに基づいとる。ヨーロッパの経済学者や政府が描いたGDPと国民所得・製品会計の経済地図は、ホンマの経済の領土やあれへん。それが危機や。ヨーロッパとアメリカの停滞と脱工業化の根っこにある知的・イデオロギー的な危機や。


GLENN DIESEN: ハドソン教授、ホンマにおおきに。工業資本家の全ての著作が、ほとんどがイデオロギー的なスローガンに縮小されてしもうたのは驚きやな。GDPに関するコメントはごっつう特に重要やと思うで。彼らは異なる経済を比較する時に、この考えに乗っかっとるからな。例えば、ロシアはスペインと同じくらいのGDPや、っちゅうのがヨーロッパの共通のスローガンやけど、「ロシアの工業生産がNATO全体を上回るほど生産できとるのをどう説明するんや?」っちゅうて誰も繋げようとせえへん。ごっつうええ指摘やな。ほな、ごっつうお時間をおおきに。いつも感謝しとるで。


MICHAEL HUDSON: ああ、ワシはこれらの概念を『Killing the Host(宿主を殺す)』で議論しとる。ドイツ語では『Der Sektor』っちゅうて翻訳されとる本や。ドイツ語版と英語版で出版されとるで。ワシのもう一冊の本、『The Destiny of Civilization(文明の運命)』は、今が工業資本主義と対立する金融資本主義の時代であることについて全部書いとる。


GLENN DIESEN: ああ、そのリンクも概要欄に載せておくわ、『Killing the Host、金融寄生虫と債務奴隷が世界経済をいかに破壊するか』。ほな、リンクに飛んで、これを読んでくれ。ごっつう最近のことに関係しとるみたいやからな。改めておおきに。


MICHAEL HUDSON: ああ、ワシに意見を言う機会をくれて、おおきに。

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