2025年12月18日木曜日

キット・クラーレンバーグ:コンドル作戦 多国籍殺人シンジケート

https://www.kitklarenberg.com/p/operation-condor-transnational-murder

(2025年12月17日)

1975年11月25日。CIAが据えたチリの独裁者、アウグスト・ピノチェト将軍の60歳の誕生日のことや。サンティアゴにアルゼンチン、ボリビア、パラグアイ、ウルグアイの抑圧的な秘密警察の幹部が集まって、3日間の極秘サミットを開きよった。そこで、アメリカがスポンサーについたラテンアメリカのファシスト軍事政権5人組が、とんでもない合意を交わしたんや。

チリの国鳥にちなんで「コンドル作戦」と名付けられたこの試みは、その後の8年間、西半球の内外で弾圧、拷問、殺人の血塗られた足跡を残し、数万人の命を奪い去っていった。

機密解除された当時の記録を見ても、これから起きる惨劇の気配はほとんど感じられへん。書いとるのは主に「抑圧機関同士の定期会合の設置」とか「情報の定例交換」、それに地域の「破壊活動に関わる個人や組織」??特にマルクス主義に直接・間接に繋がっとる連中の共有データベースを作る、といった内容や。唯一、攻撃性を感じさせるんは「我々の国々に関係する破壊活動への攻撃」という短い記述くらいやった。

ところが、わずか数ヶ月のうちに、コンドル作戦は世界中の「破壊分子」を処刑対象にする多国籍デス・スクワッド(死の部隊)のネットワークへと進化しよった。特に狙われたんは「革命調整委員会(JCR)」。作戦の黒幕である各政府に反対して亡命しとった左翼革命家の連合体や。1976年にはブラジルも仲間に加わった。

その年の7月、コンドル作戦の会合が開かれたことをアメリカの情報機関も察知しとった。JCRの本部があるパリに工作員を送り込んで、情報を集めて最終的には暗殺を実行する計画や。当時のCIAのメモ(黒塗りだらけやけどな)にはこう記されとる。

「フランスに送られる『コンドル』チームの基本任務は、JCRのトップを消すことにある……チリは欧州に『多くの』ターゲットを抱えとる……ウルグアイも、もし欧州に行くことがあれば野党政治家のウィルソン・フェレイラ・アルドゥナテを狙うつもりや。アムネスティ・インターナショナルのリーダーの何人かも、ターゲットリストに入るかもしれん」

CIAは、軍事クーデターを通じてこれらコンドル作戦の構成政府をすべて作り上げ、政治的ライバルの大量失踪や虐殺にも関わっとった。それやのに、1976年7月後半のメモを見ると、代理人である中南米の連中が「自分らの管轄外で攻撃的な行動」をすることにはビビっとったんや。なんでかって? それがバレたら、自分ら(CIA)が「この手の活動」の責任を問われて「濡れ衣を着せられる」んちゃうかと不安やったからや。国務省も、ターゲットの範囲が異常に広いことにめちゃくちゃ焦っとった。

「増大する問題」

1976年8月、ヘンリー・キッシンジャー国務長官に送られた報告書には、コンドル作戦のメンバーが国内外の「幻のマルクス主義者の敵」に包囲されてると勝手に思い込んどる様子が書かれとる。チリやウルグアイで左翼がほぼ全滅し、アルゼンチンでもそれが進んどったにもかかわらず、軍事政権の連中は「パラノイア(被害妄想)に近い籠城心理」に陥っとった。ベトナム戦争のせいで「アメリカは共産主義に立ち向かう意志を失うたんちゃうか」とか、ソ連とのデタント(緊張緩和)への疑心暗鬼が、彼らをさらに狂わせたんや。

その結果: 「おらへん『赤』と戦うことが国家安全保障の最大の目標になってしもとる……拷問する側も、論理的な犠牲者を見つけるんに苦労して『間違い』を犯しよる。殺人部隊が無害な人々やコソ泥まで殺しとるんや」

この「幻の脅威」に対抗するために、彼らが「破壊分子」と見なした連中を追いかけ回すことが、内政・外交のど真ん中になった。国務省は、この十字軍が結局のところ「非暴力的な左派や中道左派への残虐な弾圧」にすり替わっとることに頭を抱えとった。そもそも「破壊活動(サブバージョン)」なんて言葉、定義がガバガバや。中南米の文脈では「政府の方針に反対する奴はほぼ全員」含まれるようになってしもたんやからな。

そのせいで、「他国の警察が、出所不明の間接的な情報に基づいて迫害するリスク」が爆上がりした。アルゼンチンでは多くのウルグアイ難民が殺されたけど、これはブエノスアイレスがウルグアイの仲間に「貸し」を作っとるんやという噂が広まっとった。犠牲者の多くは、政治活動どころか暴動にも関わってへん普通のご近所さんやった可能性が高い。

同時に、コンドル諸国の役人の多くは、世界中で共産主義と戦う「第三次世界大戦」の最中やと語っとった。 このナラティブ(物語)は便利やった。「戦時中」やからこそ、えげつない強権発動を正当化できるし、「国際的な制度的な戦いや」と言うことで、国境を超えた力の行使も正当化できる。さらに、軍事政権にとっては「第三次世界大戦を戦っとるんや」と信じ込むことは、彼らのプライドや給料、機密費の予算を維持するためにも必要不可欠やった。この共通の利害が、地域の軍事政府を一つの政治ブロックにまとめ上げようとしとったんや。

国務省は、この動きがアメリカにとって「将来的に厄介な問題になる」と見て絶望しとった。まず、国際的なイメージが最悪や。「ラテンの将軍どもは、結局アメリカの手先に見える」からな。ワシントンは特にチリとズブズブやと思われとったから、ピノチェトが暴れるほどアメリカの得にはならん。欧州の連中がピノチェト一味を蛇蝎のごとく嫌うとるのが、アメリカにも飛び火しよる。

チリは海外からのボイコットや貿易拒否で経済復興もままならん「黒い羊(厄介者)」状態やった。ピノチェトらが犯した「人権侵害」は、外交上の良心や法律の問題を常に引き起こしよった。何より深刻なんは、この政権による血塗られたカウンターテロが、彼らを西側から孤立させ、西半球の国々の間に深いイデオロギーの溝を作ってしまうリスクやったんや。他の国々もこのやり方を真似し始めるかもしれんとな。

けど、この状況を正すんは無理ゲーやと予測されとった。コンドル作戦のメンバーは、自分らの大虐殺についてこれっぽっちも反省してへんかったからな。「自分らの対テロ作戦は、パレスチナのテロリストに対するイスラエルの行動と同じくらい正当なもんや。民主主義国家からの批判はダブルスタンダード(二重基準)や」と主張しとったんや。国務省は一応、暗殺計画がバレたらマズイぞという警告文(デマルシュ)を用意したけど、結局それは相手に届けられることはなかった。

「内部情報」

オーランド・レテリエルは、1973年9月にCIAの支援を受けたピノチェトによって倒されたチリのアジェンデ大統領の、最も信頼厚い側近の一人やった。当然、クーデター後に真っ先に逮捕された。政治犯用の強制収容所を転々とさせられ、あらゆる場所で拷問を受けたけど、アメリカの外交圧力のおかげで12ヶ月後にようやく解放された。その時、チリの秘密警察「DINA」の連中は彼にこう言いよった。 「DINAの腕は長いぞ。ピノチェト将軍は政府に逆らう活動を許さへん。どこに住んでようが、罰は下されるんや」

アメリカに渡ったレテリエルは、命の危険を感じながらも、亡命先でピノチェトに反対する組織を作り、軍事政権の残虐な実態を世界に発信し始めた。彼のキャンペーンのおかげで、いくつかの政府がチリとの経済関係を断ち、融資を拒否するようになった。 これで彼は完全にコンドル作戦のターゲットになったんや。1976年9月21日、仕事場へ向かう途中のレテリエルの車が爆破された。ワシントンDCで起きた、史上初の「国家が支援したテロ事件」や。

レテリエルの殺害は、国際的な非難とメディアの大騒動を引き起こし、FBIの捜査は大陸を超えて広がった。1978年4月、チリは暗殺のキーマンやったアメリカ生まれのDINA工作員、マイケル・タウンリーの引き渡しに応じた。彼は検察と取引して、計画の詳細をすべてぶちまける代わりに、軽い刑期と証人保護を手に入れた。タウンリーは、DINAのトップのコントレラスとその副官エスピノサが、この暗殺の真の設計者やと暴露したんや。

タウンリーの自白によると、「レテリエルの自宅と職場を特定せよ」という「明確な命令」が出てた。そしてCIAが作ったキューバ人亡命グループ(CORU)と合流して、神経ガスのサリンを使うか、ひき逃げか、あるいは「どんな方法でもええから消せ」という計画を練ったらしい。ピノチェト政府は、手段を選ばずレテリエルの死を望んどったんや。さらにタウンリーは、パラグアイの役人から「アメリカで助けが必要なら、当時のCIA長官バーノン・ウォルターに連絡しろ」と言われたことも明かした。

ベテランジャーナリストのジョン・ディンゲスが見つけた文書によると、CIAはレテリエルが殺される「少なくとも2ヶ月前」には、アメリカ国内でのコンドル作戦による暗殺計画の「内部情報」を掴んどった。……それやのに、何もしんかった。さらに2010年に公開された国務省の電報によると、ヘンリー・キッシンジャーは、レテリエル殺害の5日前に、アルゼンチン・チリ・ウルグアイに送るはずやった「国外での殺害を警告する文書」の送付を中止させとったんや。これが単なる偶然やないっていう兆候は、山ほどある。

1978年9月、ワシントンはタウンリーが指名したDINA幹部の引き渡しを求めたけど、サンティアゴ側は爆破事件を起こして司法を脅した挙句、これを拒否しよった。ピノチェトをさらに勇気づけたんは、その後のキッシンジャーとチリ外相エルナン・クビジョスの会談や。キッシンジャーは、ジミー・カーター大統領のチリへの対応を「恥さらし」と呼び、引き渡し拒否を「正しい」と褒め称え、カーター政権を「冷酷に扱え」とアドバイスまでしとる。キッシンジャーは、次のアメリカ大統領は共和党が勝って、チリとの関係も元通りになるぞと予言しとったんや。

そして予言通り、1980年にロナルド・レーガンが勝った。サンティアゴの街ではチリの兵士たちが狂喜乱舞して踊りまくったらしいわ。コンドル作戦は1983年末にアルゼンチンの軍事政権が倒れて公式に終わったけど、中南米での「破壊分子」を狙ったデス・スクワッドの活動は、その後もCIAの管理下でむしろ激しくなっていった。

今、うちらが考えなあかんのは、コンドル作戦はCIAが制御できんモンスターをうっかり作ってしもた結果なんか、それともCIAが暗黙の了解のもとに、綿密に計画して望んだ「成功作」やったんか……っていうことやな。


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