キット・クラーレンバーグ:キンコラ - イギリス諜報機関が運営しとった性虐待の売春宿
https://thegrayzone.com/2026/02/06/kincora-british-intelligence-run-sex-abuse-brothel/
2026年2月6日
ベルファストの児童養護施設の職員が少年たちを性的虐待しとったことが公になってから半世紀。いまだに答えの出えへん重大な疑問が残っとる。イギリスの諜報機関はこの虐待の陰謀に加担しとったんか? そして、キンコラは有力者を罠にハメて脅迫するための「ハニートラップ」として機能しとったんか?
アメリカ司法省が公開した、ジェフリー・エプスタインの性的・政治的・諜報活動に関する膨大な機密解除ファイルによって、不名誉な元王子、アンドリュー・マウントバッテン=ウィンザーが再びスポットライトを浴びとる。イギリス警察がアンドリューの過去の性的活動やエプスタインとの繋がりを再調査しとるっちゅう報道がある中で、イギリスのスパイ機関が、アンドリューが未成年者と繰り広げたとされる不適切な行いを知っとったんちゃうか、っちゅう疑問が膨らんどる。
もし一番真っ黒な噂が真実やとしたら、イギリス王室の人間がスパイ機関の関与する児童レイプ陰謀に巻き込まれたんは、これが初めてやない。遡ること1980年、占領下の北アイルランドにある「キンコラ・ボーイズ・ホーム」が、有力なペドファイルたちが運営する秘密の売春宿やったことが発覚してスキャンダルになった。加害者とされる連中の筆頭におったんは、アンドリューの大叔父にあたるマウントバッテン卿や。
最初から、MI5やMI6がキンコラで起きた児童虐待を知っとった、あるいは、卑劣な諜報工作の一環としてその養護施設を運営しとった可能性を示すヒントが現れ始めとった。イギリスの国内・国外スパイがアイルランドで凄惨な「汚い戦争」を繰り広げ、共和派と独立派の両方の準軍事組織に工作員を送り込んどった状況で、キンコラは潜在的な協力者をリクルートし、弱みを握るための理想的な手段を提供しとったはずや。公式の調査も、イギリス諜報機関の首脳陣が、ボーイズ・ホームを運営しとった多くの個人と親密な絆を持っとったことを強く示唆しとる。
2025年5月、ベテランのBBC記者クリス・ムーアが、この事件を科学的に分析した『Kincora: Britain’s Shame(キンコラ:イギリスの恥)』っちゅう本を出版した。著者による45年半にわたる直接取材に基づいたその画期的な内容は、イギリスの主要メディアからは総じて沈黙で迎えられとる。
この本の中でムーアは、あのボーイズ・ホームは、占領下の北アイルランドからその先まで広がる、より広範な児童虐待ネットワークの構成要素の一つに過ぎんかったと説得力を持って主張しとる。そして、ロンドンのスパイ機構はそのことを知っとっただけやなく、共謀しとった可能性が高いっちゅうわけや。
2023年、ムーアはオーストラリアでキンコラの被害者アーサー・スミスに直接会うた。スミスの施設滞在は短かったけど、そこで耐え忍んだ恐怖は彼に一生消えへん傷を残した。
「何人ものキンコラ生存者にインタビューしてきたけど、アーサーの話は聞き覚えのあるもんやった。11歳の時にベルファストの離婚裁判所の判事によってボーイズ・ホームに送られた彼は、そこを運営するペドファイルたちに絶えず狙われ、沈黙を守るよう脅されとった」とムーアは『The Grayzone』に語った。「アーサーはまた、『ディッキー』としか知らん男から、机の上に突っ伏させられてレイプされるという残忍な虐待を繰り返し受けとったんや」
スミスがキンコラを脱出してから2年後の1979年8月、彼は「ディッキー」の正体が、他ならぬルイス・フランシス・アルバート・ヴィクター・ニコラス・マウントバッテンであることを知った。王室のメンバーで、エリザベス2世の従兄弟や。マウントバッテンは、アイルランド沖の漁船でIRAによる爆弾テロと見られる攻撃で殺されたばかりやった。イギリス政府は彼の犯罪を公衆から隠し通すことに執着しとるように見えるけど、マウントバッテンがペドファイルやったんは、イギリスとアメリカの両方の諜報機関の間では何十年も公然の事実やったんや。
早くも第二次世界大戦の時点で、FBIはマウントバッテンを「若い少年に対する倒錯を持った同性愛者」と特定しとった。この詳細を記した局のファイルは、後に歴史家のアンドリュー・ローニーによって特定された。ローニーがその王族に関する他のファイルを要求したところ、アメリカ当局からは「それらは破棄された」と告げられた。
ローニーによれば、FBIの職員から「ファイルは(ローニーが)要求した後に処分された」と言われたらしい。これは、イギリス政府の要請で「明らかに」シュレッダーにかけられたことを示しとる。
暴かれ始めたキンコラの陰謀
キンコラが1958年に開設されてから数ヶ月のうちに、施設の少年たちは周囲の大人に、日常的に性的虐待を受けとることを伝え始めた。その後、何十年にもわたってレイプやその他の不当な扱いの報告を受け、警察は何度も施設を訪れた。何度も捜査が行われたにもかかわらず、その都度、訴えは最終的に警察によって退けられた。
性的虐待の報告が劇的に急増したんは、ウィリアム・マグラスっちゅう有力なロイヤリスト(親英派)が施設の寮父になり、少年たちの日常生活を直接管理するようになった1971年のことや。ムーアは、被害者たちがマグラスによって内出血するほどサディスティックにレイプされ、暴力の脅しで沈黙を強要されたという凄惨な証言を数多く記録しとる。
ムーアは警察の不作為の原因を、キンコラの園長ジョー・メインズの「巧みな操作」にあるとしとる。メインズは警察官たちに、告発者たちは職員に恨みを持って嘘をついとるだけやと信じ込ませることに成功したんや。
占領下の北アイルランドで非常に広い人脈を持ち、有力なユニオニスト(連邦維持派)の政治家やプロテスタントの準軍事組織と深い繋がりを持っとったマグラスは、事実上の免責を享受しとった。彼はまた、イギリス軍が秘密裏に運営し、実質的に諜報工作として機能しとった「タラ」という武装マニア・ロイヤリスト派閥を率いとった。
同僚との会話の中で、マグラスはイギリス諜報機関との仕事や、それに伴う定期的なロンドンへの出張を自慢しとることで知られとった。警察の協力者はムーアに対し、MI6が1950年代後半からマグラスに注目しとったこと、そして「この時点からマグラスがやったことはすべてイギリス諜報機関に筒抜けやった」ことを認めた。キンコラが、ホームでペドフィリア犯罪を犯したユニオニストたちを弱みで縛り、コントロールするために利用されたと活動家たちが固く信じとるのも無理はない。
キンコラでの恐ろしい虐待は、1980年1月に『アイリッシュ・タイムズ』が爆発的なスクープを報じたことでついに表面化し、ベテラン刑事ジョージ・カスキーが率いる警察捜査が始まった。ムーアによれば、カスキーが「キンコラの指導部は恐らく有罪や」と判断するのに、わずか3日しかかからんかった。
数週間のうちに、カスキーのチームはマグラスらによる数十人の被害者を特定し、彼らはそれぞれ受けた虐待について詳細な供述を行った。彼らの証言に基づいて、メインズ、マグラス、そして同僚の上級職員レイモンド・センプルは停職処分となり、1ヶ月後に逮捕された。奇妙なことに、メインズとセンプルは警察にあっさりと罪を認めたけど、マグラスは激しく無実を主張した。捜査官が「事前に尋問の練習をしとったんちゃうか」と疑うほどの巧みな手口で尋問に抵抗し、彼はいくつもの奇妙で不可解なコメントを残しとる。
一つには、マグラスは自分が政治的陰謀の犠牲者であり、自分に対する告発は自分を「破滅させようとしとる」親英派のアルスター義勇軍(UVF)らによって捏造されたもんやと宣言した。彼は、その連中が誰なんか、なぜ自分が悪意を持って狙われとると信じとるんかについては詳しく語るんを拒否した。さらにマグラスは、「他の話」や「これらの疑惑に対する反論」が「法廷で明らかになる」と約束したけど、これもそれ以上の説明はせんかった。
1981年12月、メインズ、マグラス、センプル、そして占領下の北アイルランドにある他の2つの公立児童養護施設で少年を虐待したとされた他の3人が、ようやく裁判にかけられた。マグラスだけが、無罪を主張した。当時法廷におったムーアは、マグラスの証言が「パンドラの箱を開け、キンコラに関する真実を白日の下にさらし、イギリス政府とユニオニズムの間の不快な――ある人は邪悪と言うかもしれん――同盟や、MI5の秘密工作の詳細までもが明らかになる」という期待が広がっとったことを覚えとる。
ところが、土壇場になってマグラスの弁護士が衝撃の発表をした。クライアントが「有罪」に主張を変えたんや。マグラスのこの豹変に、証言の準備をしとった30人以上のキンコラ被害者たちが集まっとった法廷には、落胆のため息が広がった。6人全員がベルファストの3つの児童施設での少年への性的虐待で有罪判決を受けたけど、その刑の軽さは怒りを買った。結局、メインズは懲役6年、センプルは5年、そしてマグラスはたったの4年やった。
MI5、捜査を妨害するために「偽ファイル」作成を提案
ムーアにとって、マグラスの心変わりは、誰かが彼に「誰から何を言われたか」について口を割らんよう説得したっちゅう明らかな疑念を生じさせるもんやった。警察の捜査では、6人が互いを知り合い、公立のボーイズ・ホームで虐待された子供に関する情報を共有しとったことは立証されたけど、彼らがより広範なペドファイル・リングの一部やった可能性については調査されんかった。それ以来、キンコラに関する最も重要な公式調査である「北アイルランド歴史的施設虐待調査(HIA)」が2013年に開始された時、当初はそうした情報が出てくるんちゃうかという期待が高まった。
イギリス諜報機関の内部告発者コリン・ウォレスとフレッド・ホルロイドによる、「イギリスの治安国家がキンコラでの組織的な児童レイプに加担しとった」という主張を中心としたその調査は、占領下の北アイルランドでスパイたちの最も暗い秘密が明るみに出る可能性について、MI5を極度に不安にさせたように見えた。
しかし、HIAは失敗するように仕組まれとったように見える。MI5やMI6に記録の提出を強制する権限がなかったため、委員会は、各機関が自発的に提供した、激しく黒塗りにされたファイルだけを受け入れるしかなかった。
HIAの監督範囲を制限するという決定は、キンコラの性的虐待被害者、議会の内務委員会、そして「イギリス諜報機関がキンコラでの虐待に共謀しとった」と主張し、調査委員会に機密文書や証人の召喚権限を与えるよう求めた元軍関係者らを含む有力者たちの訴えを無視して下されたもんやった。
HIAの公聴会で、匿名の治安・諜報工作員たちがビデオリンクを通じて証言する中で、委員長のアンソニー・ハート判事は、彼らの証言を額面通りに受け取っとるようやった。
委員会の対応は、MI5がHIAに提供した1982年6月の文書の内容を考えれば、なおさら衝撃的や。そこには、機関の幹部たちが調査そのものをいかに妨害しようと計画しとったかが記されとった。
キンコラの恐怖から自分たちを切り離そうと躍起になっとったイギリスのスパイ機関は、カスキー刑事が進めるであろうと予想される「捜査の方向性」を阻むために、「偽のファイル」を作成することを議論しとった。言い換えれば、MI5は偽造を通じて警察の捜査官を積極的に欺こうとしとったんや。
しかしHIAは後に、「その提案は実行されんかった」ことに「満足しとる」と宣言し、「偽のファイル」は調査を誤導する目的で作られたもんやない、と結論づけた。
続くキンコラの隠蔽
2020年、1980年から1983年にかけてのキンコラ捜査に関する膨大な警察の記録が、調査委員会が設置されたのとほぼ同時期に、都合よく破棄されとったことが明らかになった。
生き残ったファイルによれば、HIAには「MI5やMI6が確かにキンコラでのペドフィリア虐待に関与しとった」ことを示唆する数多くのタレコミが寄せられとったけど、委員会は一貫してその重要性を過小評価しとった。
例えば、MI5はHIAに対し、ウィリアム・マグラスが機関のために働いとった記録はないと説明した。反対に、諜報機関が作成した文書には、1972年4月の時点で「タラ旅団の指揮官」やったマグラスが、単に「少年たちを襲った疑い」があるだけでなく、「1年間にわたって彼に渡された現金の使途を説明できんかった」ことが記されとっとる。
HIAは、「マグラスによる少年への攻撃が、性的なもんやなくて単に物理的なもんやった可能性があったため、地元警察に情報が回されんかった」というMI5の失笑もんの言い訳を受け入れた。調査委員会に提示された内部文書には、「当時のMI5が『暴行(assault)』を性的虐待と解釈したはずやと決めつけるべきではない」とまで書かれとった。
マグラスが「少年たちを襲うこと」に関与しとると記した1973年11月の別のMI5文書に対し、HIAは、イギリス諜報機関にはそのような「逮捕可能な犯罪」を警察に報告する法的義務があり、報告せんかったことは「この情報を持っとったMI5職員の義務違反と言える」と指摘した。しかし委員会は、「その見方をとることは、いくつかの理由から正当化されへん」と結論づけた。主な理由は「身元不明のタラのメンバー」がその「実証されてへん疑惑」の情報源やったから、っちゅうもんや。
似たような詭弁は、1989年10月のMI6のファイルの内容を軽視するためにも使われた。そこには「キンコラ・ボーイズ・ホームを取り巻く様々な疑惑」が詳しく記され、スパイ機関が「ホームでの性的不正行為を知っとった工作員を少なくとも一人は走らせており、彼がそのことをハンドラーに伝えた可能性がある」ことが明かされとった。ハート判事は、驚くべきことに「MI6の職員が面談で話された内容を誤解した可能性がある」と結論づけたんや。
HIAはまた、MI5は1977年までマグラスがキンコラで働いとることを知らんかったと主張した。しかし、その主張は委員会自身によって事実上否定されとる。委員会が公開した1976年1月のMI5の文書には、「1975年3月の時点で、マグラスはキンコラ・ボーイズ・ホステルの管理人であると報告されとる」とはっきり書かれとったからや。1973年11月の警察のメモも、MI5の局長に対し、マグラスがキンコラの「ソーシャルワーカー」であることを伝えとった。
隠蔽調査、MI6のトップをキンコラに関与させる
調査の一環として、HIAはMI5、MI6、GCHQ(政府通信本部)、およびロンドン警視庁に対し、公職者や公務員による児童性的虐待の疑惑に関する「文書や記録の捜査」を命じた。これに応えて、MI5は10人の有力な個人のリストを含むファイルを公開した。そこには外交官、閣僚、国会議員など、イギリスの国内スパイ機関が「ペドフィリア虐待に関与しとる可能性がある」という証拠を持っとった連中が含まれとった。
その筆頭におったんは、1970年代を通じて占領下の北アイルランドでのMI6工作を、最初は次長、後に長官として監督しとったベテラン・スパイで「闇の魔術」のスペシャリスト、モーリス・オールドフィールドや。1981年4月に亡くなる直前、オールドフィールドは同性愛者であることが暴露された。当時の採用ルールでは、それは諜報機関での勤務を不可能にするもんやった。結果として、「MI5は、オールドフィールドの性的嗜好が、脅迫やその他の圧力に対して脆弱にさせることで国家安全保障にリスクをもたらしたかどうかを判断するために、長期にわたる調査を行った」。
「多くのインタビュー」の中で、彼は1940年代に中東で、1950年代にはアジアで勤務しとった際に、家事使用人の男性(「ハウスボーイ」と呼ばれる)と性的接触があったことを認めた。オールドフィールドの死の前の報道では、彼が「男娼や若いホームレス」を「強迫的」に利用しとったことは、彼の護衛チームの間では周知の事実やったと示唆されとった。しかしHIAは、キンコラで行われた凄まじいペドフィリア行為に彼を関与させる決定的な証拠を受け取ったにもかかわらず、オールドフィールドにいかなる不正もなかったと繰り返し無罪を宣告した。
信じられんことに、報告書は「記録にある『ハウスボーイ』という言葉が、単に家事使用人を指すのか、あるいは若さを意味するのかを判断するための情報が不十分であり、相手の年齢については曖昧さが残る」と結論づけたんや。これは、匿名のMI6職員が調査委員会に対し、機関がオールドフィールドとキンコラの「関係」、園長ジョー・メインズとの「友情」、そして「ボーイズ・ホームでの容疑とされる犯罪」への個人的な繋がりの可能性を記録した4冊の「リングファイル」を所有しとる、と証言したにもかかわらずや。
HIAが公開した激しく黒塗りにされたファイルも、占領下の北アイルランドの警察が「オールドフィールドがスキャンダルに深く関与しとることを知っとった」という疑惑をMI5が「認識しとった」ことを示しとる。機関の内部電報には、MI6のトップが「1974年から1979年にかけての(仕事に伴う)北アイルランドへの時折の訪問の際に、キンコラ・ボーイズ・ホーム事件に関与しとった」という十分な根拠のある疑念が記されとった。それでも、委員会はこれらが単なる「疑惑」に言及したもんやとして、児童虐待陰謀へのMI5/6の関与の証拠であることを否定した。
キンコラの隠蔽は今日まで続いとる。2021年4月、BBCは「北アイルランドの最近の歴史から注目すべき物語に新たな光を当てる、画期的なドキュメンタリーの新シーズン」を発表した。その予定リストの中には、北アイルランド紛争の最中にベルファストで多くの子供たちが不可解に姿を消した凄惨な物語を描いた『Lost Boys』が含まれとった。この番組は、それらの事件がすべてキンコラでのペドフィリア虐待に関連しとると結論づけとった。インタビューを受けた数人の元警察官たちは、自分たちの失踪事件への捜査がイギリス諜報機関によって組織的に妨害されたと信じとった。
放送前夜、『Lost Boys』は放送中止になった。BBCの幹部たちは「その内容、特にキンコラ事件の隠蔽におけるMI5の関与の証拠にショックを受けた」と報じられとる。この映画のコンサルタントを務めたムーアは『The Grayzone』に対し、イギリス諜報機関が制作会社「AlleyCats」に強い関心を示した形跡がある、と語った。「『Lost Boys』の編集に関わっとったスタッフの家が一軒、空き巣に遭った。別のスタッフも侵入を疑ったけど、完全な確信は持てんかったという話や」
キンコラが初めて公になって以来、この事件を調査し続けてきたムーアは、「MI5とその警察の仲間たちは、真実や法律、民主主義をほとんど、あるいは全く考慮せず、自分たちのやりたい放題ができると信じとる」と結論づけ、イギリス諜報機関が「キンコラのファイルを2065年と2085年まで封印するよう、どうにかして政府を説得した」と指摘しとる。このベテランの調査記者は最近、殺人を含むMI5/6支援のロイヤリスト準軍事組織による他の犯罪事件を調査しとるジャーナリストたちとの私的な通信が、激しく監視されとることも知った。
「イギリス国家は、北アイルランドで真実を暴こうとしとる人々を、彼らが『防衛工作』と呼ぶ手法で、長年にわたって不法にスパイしてきた。地元の警察幹部は、10年間で320人のジャーナリストと500人の弁護士――私を含む――に対して監視戦術が展開されたことを認めとる」とムーアは締めくくった。「私は政府から資金提供を受けたロイヤリストの殺人鬼たちを調査したために、電話を監視された。これらの問題を調べてきた多くの警察官と同じように、私も当局がいかにして犯罪捜査を挫折させるかを、嫌というほど知っとるんや」


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