はたしてイランのシーアとアフガンのタリバン(スンニ派)は相容れないのだろうか
前のブログでアフガンのタリバンの根底にあるのは念仏だと喝破した。それならイランのシーアとおんなじじゃないか?と思った。
イランの宗教都市マシュハドのモスクで殉教者フセインの死にざまがどうだったかという詠歌を聞き、参拝者が泣いていた。おなじくイランのヤズドをたまたまアーシュラーの時期に訪れ、モスクで胸叩きに参加した。そんな経験からすると、シーアこそもっとも念仏っぽいイスラムである。
とくにシーアの歴代イマームは、スンニによってほぼ全員が暗殺されるか、幽閉されるか、幽閉して毒殺されるか、そんな歴史をもっている。イラクのナジャフというのはフセインが殺されたまさにその場所なのだが、そこのアーシュラーなんて血まみれで殉教者を悼むのだそうな。岸和田のだんじり祭りどころではない。
まえのブログにも書いたのだが、アフガン人とてイランにいるあいだはシーアの顔をしている。そんなにすんなり移行できるものかと思ったのだが、根の部分が念仏で共通ならばとくに問題にならないレベルという解釈も可能じゃないか。
そしたら、イランはシーアでタリバンはスンニだから水とアブラである、というのは表層だけを見ているのかもしれない。
シーアでは合議で多数を取れたら、(スンニ的)異端でも認められてしまう。それをごちゃごちゃいうのはサウジのワハビーかマレー人くらいじゃないのかな。
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