2021年8月18日水曜日

戦国時代にポルトガルが織田信長を、スペインが一向一揆を支援したらどうなったのだろう?

前回のブログでスラヴォイ・ジジェク先生を引用しつつ、タリバンの生きかた(死にかた)について考えた。

・・・タリバン的な生きかた(死にかた)って、念仏そのものじゃないか?

枝雀さんは「花筏」で、日本人の念仏に対する畏怖を生き生きと描いたが、これはなにも日本人だけではなく、人類共通の魂の底に眠っている何か(どうせドツボなら死んだらええんじゃないか、という何か)なんではなかろうか。

カトリークにも似たようなメンタリティー(ドツボの現世を離れて天国=死の国に逝きたい)があると思う。

マレーシアのサバ州コタキナバルでイエズス会の僧と話したことがある。彼の生きかたを聞いているうちにとても感動した。その時は感動したけれど、別れてホテルに戻って飯を食ったら、なんか変なやつだったなあと思うようになった。それだけじゃなく、イエズス会の体育会的というか軍隊組織はいまでもしつこく生きているんだと呆れた。対面していたときはおそらく、我輩の魂の奥底の念仏的な何かを彼が触発したんではなかろうか。

閑話ついでに。

パキスタンのタキシラからアフガニスタンは、そのむかし大乗仏教が通った路でもある。大乗仏教を信じていたアフガニーたちが、あれよあれよという間にモスレムになったのがいままで不思議でならなかったのだが、念仏も大乗仏教のメジャーな支流のひとつなので、ベースが同じであれば念仏からイスラムへ違和感なしに移行したと考えることもできる。

それはともかく。

1979年12月、アフガン人民党(PDPA)を支援するソ連が介入した。イランイスラム革命がアフガンに波及することを恐れたという話もあるが、それは別の話題として。PDPAの反対勢力であるムジャヒディン=タリバンをアメリカが支援した。アメリカはたんにソ連のやることなすことに反対したかったので、反対勢力であれば誰でもよかったのだ。

タイトルの「戦国時代にポルトガルが織田信長を、スペインが一向一揆を支援したらどうなったのだろう?」というのはもちろん近代のアフガニスタンのアナロジーである。

そのアナロジーを拡げて考えると混乱するのでやめといて、一向一揆はその後どうなったか。ほとんどが体制派に取り込まれ、のちに浄土真宗は皇室と姻戚関係になるなどして穏健な体制派そのものとなっていく。一部の過激派は僻地に逃亡し、江戸時代に不可触賎民とされたものもあったという。いわゆる部落差別の源流のひとつである。だから後の世に、浄土真宗は部落にはいっていったのも先祖帰りということができる。

ではタリバンはどうなるのか?

アメリカ財務省がアフガン政府の在外資金94億ドルを凍結したという。

https://www.zerohedge.com/geopolitical/us-treasury-freezes-billions-afghan-reserves-depriving-taliban-cash

タリバンは先般中国政府と会見したばかり。もちろん中国が資金援助するだろう。「女性の社会進出を否定するものではない」なーんて言っているのは、その条件ということなんではなかろうか。アメリカがアフガン、イラク、イラン、シリアをハミゴ化しようとすればするほど、スペインやポルトガルがいつか来た径をふむことになるようだ。


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