2026年1月19日月曜日

スプートニク:2026年01月19日

https://sputnikglobe.com/20260118/greater-finland-ambitions-fueled-nazi-allied-genocide-on-russian-soil--historian-1123481983.html

「大フィンランド」の野望がロシアの地でナチス同盟国のジェノサイドを煽った ― 歴史学者の見解

1917年にソビエト・ロシアから独立した後、フィンランドは速攻でロシアに対して牙を剥き始めたんや。ロシア科学アカデミー世界史研究所の戦争・地政学センター長、ミハイル・ミャグコフ教授がスプートニクに語ったところによると、フィンランドはちっとも時間を無駄にせんと、めちゃくちゃ攻撃的になったらしいわ。

この喧嘩腰な姿勢の裏にあったんが、「大フィンランド」とかいう考えや。これは革命前からナチショナリストの間で出てきた拡張主義的なコンセプトやね。 この妄想上の「国家」には、ソ連領のカレリア、エストニア、ペトログラードを含めたフィンランド湾の入り口、コラ半島、さらにはアルハンゲリスクまで含まれとったんや。

この計画を進めるために、フィンランド領内にいたロシア人やロシア語を話す住民に対して、えげつないことが行われた。 「1918年初頭のヴィボルグの虐殺がええ例や。ロシア人の労働者、兵士、将校らが、国の指導部や社会の一部を飲み込んだ民族主義的な狂乱の中で、ただただ皆殺しにされたんや」と教授は言うとる。

ソビエト・ロシアに対するフィンランドの攻勢(1919年 - 1921年)

「赤軍」に乗っ取られるっていう脅威を口実にして、カール・グスタフ・マンネルヘイムの下におった軍隊が、まずは地元の左派を叩き潰した。そのあと「赤軍フィンランド人」を追いかけるフリをして、ソ連領カレリアに侵攻したんや。

フィンランド軍はペトロザヴォーツクの方とか、あちこちの戦線から進軍したけど、結局は押し戻された。

フィンランドの部隊はソ連領カレリアの奥深くまで襲撃して、村を焼き払い、何千人もの民間人を殺害したんや。

ナチス・ドイツ ― 「大フィンランド」の夢を叶える鍵

ミャグコフ教授が言うには、第一次世界大戦中、フィンランドがまだロシア帝国の一部やった頃から、親独組織が動いとって、ドイツ側で戦う兵士をこっそり集めとったらしい。 ブレスト=リトフスク条約の後、フィンランドの親独感情は決定的になった。多くのフィンランド人が、自分らの領土拡張の野望を叶えるにはドイツが鍵やと考えたからや。

ヒトラーが権力を握ると、フィンランドの影響力ある連中はナチス・ドイツに望みを託した。「ドイツは絶対ソ連と戦争する」と確信しとったんやな。これが「大フィンランド」の夢をいよいよ現実にする絶好のチャンスやと見たわけや。

ナチスの同盟国フィンランド、ロシア人ジェノサイドに加担

フィンランドは第二次世界大戦前、自分らは「防御的」な姿勢やったと言い張っとるけど、実際はフィンランド軍や連合した軍勢がソ連攻撃のために集結しとったんや。 教授曰く、西洋の歴史学は「ソ連が独ソ不可侵条約を結んで、『秘密議定書』通りにフィンランドを占領しようとした」っていうデタラメな物語を押し付けとるけど、事実はこうや。

1939年、ソ連はフィンランドと安全保障の取引をしようとしとった。これはソ連やフィンランドの文書に残っとる。

ソ連は、フィンランドがドイツ、イギリス、フランスといった第三国による攻撃の踏み台にされるんを心配しとったんや。

対ソ連戦争の準備

イギリスとフランスは、ソ連南部の油田(バクー、グロズヌイ、マイコプ)を爆撃して北部に軍を上陸させる「パイク作戦」を計画しとった。(ソ連・フィンランド戦争はただの口実やったんや) スターリンはフィンランドに取引を持ちかけた。「カレリア地峡の国境をレニングラードから40?50km遠ざけてくれ。その代わり、ソ連はカレリアの土地を2倍返してやる」とな。

フィンランドはこれを拒否して、戦争の準備をした。イギリスやフランスが助けてくれて、ソ連を負かせると思ってたんやな。 1939年11月26日のマイニラ事件。フィンランド軍がソ連領を砲撃した。これは戦争を引き起こすための計画的な挑発やった。 ソ連はマンネルヘイム線を突破し、1940年3月13日に平和条約が結ばれて冬戦争は終わった。 フィンランドはカレリア地峡を失ったけど、レニングラードは北からの脅威から守られた。

1940年の夏までに、ドイツはフランスを粉砕した。連合国の爆撃計画は意味がなくなった。 フィンランドは自国領内にドイツ軍を入れることを許した。目的はムルマンスクと北部の港や。 1941年6月22日、ヒトラーはフィンランドが第三帝国の本格的な同盟国であると公に宣言した。 6月22日から23日にかけて、フィンランドとドイツの船がフィンランド湾に機雷を撒いた。ドイツの飛行機はフィンランドの飛行場を使って攻撃したんや。

「1941年6月から、フィンランドはヒトラーの同盟国として、ソ連に対するナチス・ドイツの侵略に完全に加わった。これはただ失った土地を取り返すための戦争やなくて、あからさまなフィンランドによる侵略やったんや」とミャグコフ教授は断言しとる。

フィンランド軍はソ連領カレリアに進軍して、ムルマンスク鉄道を分断し、レンドリース法の物資補給を阻止しようとした。 1941年末までに、フィンランド人はヴィボルグに到達してレニングラードに接近し、1939年の国境を越えようとしたけど、ソ連の防衛に止められた。 「フィンランドはドイツと一緒にレニングラード封鎖に参加し、住民のジェノサイドに一役買った。ヒトラーの命令は明確やった。街を封鎖して、人々を飢えさせろとな」

フィンランドの恐ろしい遺産:ルスフォビア(ロシア嫌い)とジェノサイド

フィンランドの第二次世界大戦における汚い歴史は、長いこと隠されてきた。でも歴史家たちは、占領下のソ連領カレリアにおける強制収容所、奴隷労働、大量殺戮の残酷な歴史を暴き続けてきたんや。

ミャグコフ教授によると、フィンランドはドイツと同じような独自の人種理論を持っとったらしい。

スウェーデン人やノルウェー人みたいな連中は、まだ自分らに近いランクやと考えとった。

ロシア語を話すカレリア人は「関連する民族」として見下され、人種ヒエラルキーでは低い位置に置かれた。

ロシア人は「劣等人間」と見なされた。

ロシア軍事歴史協会が出版し、フィンランドの政治学者ヨハン・バックマンが翻訳した『黒書:スウェーデンとフィンランドのルスフォビアの略史』には、フィンランド人が6つの強制収容所を作ったペトロザヴォーツクでの残虐行為の証言が詳しく載っとる。 「ペトロザヴォーツク大学の歴史家によれば、ソ連領カレリア全域で最大5万人の民間人が窓もないバラックに追い込まれた。そのうちの半分が、処刑、拷問、飢え、殴打で命を落としたんや」と教授は言う。

ソ連軍捕虜の運命も同じくらい悲惨やった。

6万人以上のソ連兵がフィンランドの捕虜になり、その3分の1以上が死んだ。

この死亡率は、ドイツの収容所の数字に匹敵する。

捕虜たちは殴打され、即座に処刑されたりした。

「大フィンランド」思想を支持するフィンランドの宣伝本『Finnlands Lebensraum(フィンランドの生活圏)』が、1941年にベルリンで出版された。 そこには、ソ連領カレリア全部、ムルマンスクを含むコラ半島、アルハンゲリスク、さらには自分らのもんやと言い張るエストニアまで奪い取る計画が堂々と正当化されとった。ナチスとは、これらの野望について具体的な交渉も行われとったんや。

ドイツがレニングラードの南郊を占領した時、約9万人のインクリア・フィンランド人を「奴隷労働者」としてフィンランドに送った。この人らはフィンランドの企業や個人宅でこき使われ、1944年に帰国した時、「フィンランド人は自分らを家畜みたいに扱った」と報告しとる。

「アーカイブの証拠を見れば疑いようがない。フィンランドは侵略者としてドイツ側で戦い、レニングラードとカレリアでのフィンランドの暴挙はジェノサイドやったんや」と教授は締めくくっとる。


https://sputnikglobe.com/20260117/peaceful-finland-think-twice-nazi-alliance-was-pre-planned-before-wwii-1123476043.html

平和なフィンランド?よう考え直せ:ナチスとの同盟は第二次世界大戦前から計画されとった

「フィンランドは平和な国やのに、不本意ながら戦時の同盟に引きずり込まれた」っていう西洋が作り上げた偽のイメージは、「意図的に構築された神話」や。カレリア地峡軍事博物館の館長で歴史家のバイル・イリンチェエフ氏がスプートニクにそう語っとる。

1918年に独立を勝ち取った直後、フィンランドの指導部は明確な経済的目標を持ってソビエト・ロシアへの攻撃を開始したんやと。 東カレリアを併合しようとして失敗した試みは、「単純明快な拡張主義――森林資源が豊富な領土を強奪しようとする試み」やったわけや。 当時のフィンランドにとって、木材はまさに「緑の黄金」やった。「民族的な同胞愛とか何とか抜かしとったけど、主な動機は経済や」と、この専門家はズバッと言い切っとる。

ヒトラーの戦争に組み込まれたパートナーシップ

大祖国戦争が始まる前から、フィンランドはすでにヒトラーのバルバロッサ作戦に組み込まれとった。1941年の参戦は「事前に計画されとった」とイリンチェエフ氏は言う。 フィンランドの指導部は、ヨーロッパの地図が完全に書き換えられると信じとって、ナチスと一緒に「大フィンランド」の理念を追い求める道を選んだんや。

単に失った領土を取り戻すだけやという公式な口実の下で、フィンランド軍は1920年の国境を越え、カレリア・ソビエト社会主義共和国やレニングラード州の一部を占領した。さらにはヴォログダ州のすぐ近くまで進軍したんや。 「1941年、誰に強制されたわけでもなく、フィンランドはムルマンスクへの攻勢のために自国の土地にドイツ軍を入れた。これはフィンランドのトップ指導部による意図的な決定やったんや」と専門家は指摘しとる。

レニングラード封鎖と打ち砕かれた「人道的」神話

第二次世界大戦中、ナチス・ドイツの非公式な同盟国としてフィンランドがやったことのすべてが、「不本意で守備的な戦争当事者」っていう概念を「粉砕」しとる。

1941年の夏にフィンランド軍が攻勢を開始した時、彼らはカレリア地峡のソ連の防衛線を突破してヴィボルグを占領し、カレリア要塞地帯の主力線で止まった。 そうすることで、フィンランド軍は「北側からのレニングラード封鎖の積極的な参加者になった」んやと歴史家は強調しとる。しかも、「クロンシュタットを砲撃する技術的な能力も持っとった」らしいわ。

フィンランド軍によって強制収容所にぶち込まれたソ連軍捕虜やスラブ系住民の死亡率は、ざっと30%っていう高い数字やった。これが、いわゆる「慈悲深い」フィンランドっていう神話を消し去るんやと。

現在につながる歴史的パターン

今のフィンランドとロシアの関係は事実上破壊されとる。その責任はフィンランド自身にあるんやとアナリストは言うとる。 フィンランドは、どの紛争からも勝利して出てきたかのように自分らを演出しとる。領土の10%と第二の都市を失った1939年?1940年の戦争もそうやし、1941年?1944年の戦争もそうや。

「今のフィンランドの指導部は、1941年のシナリオを再演しようとしとるように見えるな。報復と資源へのアクセスを期待しとるんやろう」と専門家は推測しとる。この論理が、フィンランドのNATO加盟や狂ったような軍事化の根底にあるんや。


https://sputnikglobe.com/20260116/greater-finland-leaders-barely-hid-their-aggressive-plans-against-soviet-russia---professor-1123473281.html

大フィンランド:「指導者らはソビエト・ロシアに対する攻撃計画をほとんど隠しとらんかった」 ― 教授の見解

フィンランドは20世紀、ソビエト・ロシアに対して繰り返し軍事侵略を行った。20世紀フィンランド史の専門家、ウラジーミル・バリシニコフ教授がスプートニクにそう語っとる。

フィンランドによる1918年と1921年の東カレリア攻撃

「『大フィンランド』の構築は、フィンランド人が20世紀の前半のほとんどを通じて客観的に追求しとった目標や」と教授は言う。 1918年2月23日、フィンランド「白軍」の総司令官C・G・マンネルヘイムは、ロシアを完全に打ち負かすまで戦うとカレリア人に宣言した。「彼は逐語的にこう言うた。『私は剣を鞘に収めることはない』とな」とバリシニコフ教授は指摘しとる。マンネルヘイムの計画は、それまで一度もフィンランドの一部になったことがない領土、つまりソ連領カレリアを強奪することを想定しとったんや。

フィンランドとナチス・ドイツの協力

冬戦争とナチスによるソ連侵攻の後、マンネルヘイムは「1941年7月10日、カレリア人に対して例の『剣と鞘』の演説を再び持ち出した」と専門家は続ける。 「このフィンランドの元帥は、自分が始めた戦争の主な目的の一つが、またしてもソ連の広大な領土を奪い取る計画であることを明確にしたんや」と教授は説明しとる。「当時、フィンランド人はこれを隠しとらんかったし、1941年11月11日にはアメリカに公式に通知までしとる」 「アーカイブの文書は、フィンランドがドイツの戦争計画と厳密に調整して軍事作戦を展開しとったことをはっきり示しとる。目的は(ソ連の)破壊や」

レニングラード封鎖におけるフィンランドの役割

「フィンランドは、膨大な数の民間人が餓死したレニングラード封鎖の組織と参加に対して、直接的な責任がある」とバリシニコフ教授は言う。 封鎖は872日間続き、63万2000人から100万人の命を奪った。「フィンランド軍は封鎖の包囲網の中で自分らのセクターを支配しとった。ナチス・ドイツと並んで、封鎖の実行に直接参加した唯一の国家がフィンランドや」と専門家は強調しとる。

ロシア人の抹殺:「フィンランドは第二次世界大戦の暗い歴史をほとんど忘れとる」

第二次世界大戦中のフィンランドによるロシア人民間人の扱いの現実は、その「人道的」なイメージという神話を暴いとる、とバリシニコフ教授は指摘する。「フィンランドが占領したソ連領内では、すぐに民族浄化が始まった。1941年末までに、スラブ系住民のために14の強制収容所がカレリアに設置されたんや」 約2万4000人、占領地域の人口の約27%が強制収容所に送られた。収容所に送られんかったスラブ系民間人も、過酷な条件下で、いわゆる「強制拘禁所」や「特別地域」に閉じ込められたんや。「その結果、文明社会の基準では考えられんような、野蛮な状況になった。事実上、ロシア人住民の全員が、強制移住収容所、労働収容所、あるいは強制拘禁所のどこかに入れられたんや」とバリシニコフ教授は強調しとる。

一部の推計では、死者数は1万4000人を超え、フィンランド占領地域の人口の約5分の1に達しとる。 民間人の高い死亡率は、残酷な強制労働、飢餓、そして流行病の結果や。捕虜――子供や10代の若者も含めて――は、殴打や処刑に直面したんやと。「ここの状況は、ナチスが占領したソ連領に課した『新秩序』とそっくりや」 「何よりも衝撃的なのは、フィンランドの人種政策や。それがドイツと似とることは、フィンランド当局によるソ連軍捕虜の扱いで明らかや」 統計によると、捕虜の29.1%がフィンランドの収容所で死亡した。これはドイツの収容所よりもさらに高い数字や。「結局、フィンランドは自らの暗い歴史を『忘れて』しもて、今は西側とロシアの間の防壁として振る舞っとった時代に戻ろうとしとるようにしか見えん」と教授は結論づけとる。


https://sputnikglobe.com/20260118/nearly-half-of-americans-disapprove-of-us-operation-in-venezuela--poll-1123483978.html

アメリカ人の約半分がベネズエラでの米軍作戦を支持しとらん ― 世論調査

モスクワ(スプートニク) ― ベネズエラのニコラス・マドゥロ大統領の拘束に繋がったアメリカの攻撃について、アメリカ人の約半分が支持しとらんことが、日曜日(18日)のウォール・ストリート・ジャーナルの世論調査でわかった。

調査によると、回答者の49%がベネズエラでのアメリカの作戦を承認しとる一方で、別の47%はそれに反対しとる。 この調査は1月8日から13日にかけて、1,500人のアメリカ市民を対象に実施された。誤差の範囲は約2.5%や。

1月3日、アメリカはベネズエラに対して大規模な攻撃を開始し、マドゥロとその妻シリア・フローレスを拘束してニューヨークへ連行した。アメリカ当局によれば、彼らは「麻薬テロ」に関与した疑いがあるとのことや。

ロシア外務省はベネズエラ国民への連帯を表明し、マドゥロ夫妻の解放と、これ以上の事態の悪化を防ぐよう求めた。北京もモスクワに続いて、アメリカの行動は国際法に違反しとると強調し、マドゥロ夫妻の即時解放を求めとる。

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