2026年1月5日月曜日

ラリー・C・ジョンソン:ベネズエラでおこったことは想像以上に深刻やで

https://www.youtube.com/watch?v=ihFtC2JuON8

まいど、みんな。ドナルド・トランプ大統領がトゥルース・ソーシャルで出した声明によるとやな、アメリカはベネズエラに対して大規模な軍事作戦を成功させたらしいわ。その結果、ニコラス・マドゥロ大統領と奥さんが拘束……いや、はっきり言うたろ、誘拐されたんや。んで、アメリカの監視下で国外へ連れ出されたっちゅう話や。言葉の綾はやめよか。これは「捕縛」でも「逮捕」でもない。ある主権国家が、別の主権国家の現職トップを「誘拐」したんや。正しい名前で呼んだらなあかん。言葉は大事やし、権力っちゅうんは言葉を使って違法性を隠すもんやからな。ワシントンが世界中に偉そうに説教垂れてきた、いわゆる「ルールに基づいた国際秩序」とやらは、白昼堂々と焼き払われてしもたわけや。残ってた法的フィクションも消えてなくなった。

出てる情報をどう見ても、これは主に軍事作戦やなくて、諜報機関の隠密作戦やな。戦術的には成功やけど、戦略的な結末は悲惨なことになる。このパターンはあからさまで、嫌なほど見覚えがあるわ。前にもこんな映画見たことあるやろ。この作戦は、シリアでやったのと同じやり方で準備されたみたいやな。軍の重要人物、特に対空防衛の責任者らを組織的に買収して抱き込んだんや。これが決定的なヒントやで。ベネズエラの対空防衛システムは作動せんかった。偶然故障したんやない。動かんようにさせられたんや。ワシは何ヶ月も前から、ここが弱点やて警告してたやろ。対空防衛が沈黙するとき、それは無能やなくて「裏切り」なんや。アメリカはベネズエラの防衛を打ち負かす必要なんてなかった。ただ政治的に無力化すればよかったんや、そんで実際にやり遂げた。

空域が事実上ノーガードになったことで、アメリカの航空機やヘリは好き放題飛び回って、忠誠派の部隊を混乱させるために特定の軍事施設を叩いた。その間に特殊部隊が本当の任務、つまりマドゥロの奪取を実行したわけや。これは戦場での優劣の話やない、ただの「侵入路」の確保の話や。シリアと比べてみ。違いはバシャール・アサドがロシアに逃げられたことや。マドゥロにはその選択肢がなかった。ロシアも中国も遠すぎるからな。地理は大事やし、タイミングも大事や。マドゥロは作戦の数時間前まで中国の役人と会うてたらしいけど、中国側が知らんかったんか、介入する力がなかったんか。どっちのシナリオにせよ、西側以外の勢力にとっては、ときどき忖度するけど、めちゃくちゃ深刻な事態やな。

この作戦は何ヶ月も前から準備されてた。シグナルはあちこちに出てたで。CIAの協力者がベネズエラ内部で動いとるっちゅう公の告白。アメリカの主要紙が公然と秘密工作を議論しとったこと。マドゥロの首に公的な懸賞金がかけられたこと。全部丸見えやったんや。残された唯一の疑問は、ワシントンが対空防衛を無力化するだけの内部協力を確保できたかどうか、それだけやった。その項目にチェックが入った瞬間、作戦にゴーサインが出たんや。

ワレワレが目撃しとるんは、トランプ政権下の異常な政策やない。これは「継続」や。道徳的なカモフラージュを剥ぎ取られたアメリカの外交政策そのものや。パイプラインが爆破され、タンカーが拿捕され、製油所が叩かれ、科学者が暗殺され、抗議デモが仕組まれ、交渉人が標的にされ、リーダーが誘拐される。正当化の理由はいつも同じや。「必要性」「安全保障」「不可避」。国際法なんて、ワシントンの利益になるときだけ持ち出されて、邪魔になった瞬間に捨てられる。これは民主主義の話やない、人権の話でもない。多極化へ急速にシフトしとる世界の中で、一極支配を維持しようとしとるだけの話や。本当の脅威はベネズエラやなくてBRICSや。ベネズエラはただの見せしめの警告射撃に過ぎん。

短期的にはトランプの政治的勝利やろうな。アメリカ側に死傷者は出てへんみたいやし。対空防衛が機能してへん相手との作戦で、遺体袋が必要になることなんて滅多にないからな。トランプはこの瞬間を冷酷に利用して、強さ、決断力、リーダーシップの証としてアピールするやろう。けど、歴史は無慈悲や。政権転覆作戦の記録は、これまでもに悲惨なもんやった。リビア、シリア、ウクライナ、イラク。どれでもええから選んでみ。結果はいつも同じや。混沌、断片化、権力の空白、代理戦争、そして長期にわたる不安定化や。ベネズエラも例外やない。国防相が暫定的な実権を握って抵抗を誓うとるらしいけど、そんな誓いは大抵交渉のカードや。ワシントンはもう裏で「従えば生き残らせたる」っちゅうて連絡しとるかもしれん。

こういう話の結末は大抵決まっとる。選挙やなくて「取引」で終わるんや。マドゥロはアメリカの裁判所でさらし者にされるやろう。罪状が積み上げられ、見世物にされる。世界へのメッセージは明白や。「主権には条件がある。逆らったらどうなるか教えたる」っちゅうことやな。そんで、これはリハーサルや。イランも、ロシアも、中国も、じっと見とかなあかん。軍組織内の「忠誠心」が今や決定的な変数なんや。武器やない、イデオロギーでもない。「忠誠心」や。世界は今、欺瞞が単なる戦術やなくて「ドクトリン(教義)」になる段階に入っとる。交渉とサボタージュが共存し、外交と転覆工作が手を取り合って歩いとる。笑顔はただのマスクや。短期的にはトランプの勝ちやけど、中期的には不安定化、長期的には戦略的なしっぺ返しが来る。アメリカは「強さ」を示したと思っとるかもしれんけど、実際に見せたんは「絶望」や。アメリカの優位性が失われる不可避な移行を遅らせるために、残された国際的な規範を焼き払うことも厭わんっちゅう絶望やな。

信じられんような時代やけど、それは前例がないからやなくて、ついに仮面が剥がれたからや。ベネズエラで起きたことは孤立した出来事やない。ベネズエラだけの話でもない。これは「実証実験」や。カラカスやなくて、主権が自分らを守ってくれるとまだ信じとる世界中の首都に向けたデモンストレーションなんや。メッセージは単純で残酷や。「アメリカがお前を使い捨てやと決めたら、地理も、法律も、前例も、お前を救うてはくれへん」。この作戦は、ワシントンがもう「自制しとるフリ」すら窮屈に感じとることを裏付けとる。昔は少なくとも、代理人を使ったり、制裁や国際機関の影に隠れたりして、否定できる余地を残そうとしてた。でもその時代は終わった。これからはオープンに「取引」の論理や。買収できるなら買収する。寝返らせるなら寝返らせる。抵抗するなら、孤立させ、解体し、排除する。これはイデオロギーやない。末期段階の「帝国管理」や。

今回起きたことで一番危険なんは、誘拐そのものやなくて、その「やり方」や。内部の裏切りを武器に使うことは、どんなミサイル攻撃よりも体制を不安定にする。世界中の軍隊がこれを注視しとるわ。将軍たちも、国防相も、情報機関のトップも見てる。「自分の周りの誰が、いくらで買収されるんやろうか?」……一度その疑問がシステムに入り込んだら、結束力は溶けてなくなる。信頼が崩壊するんや。そんで信頼が崩壊したとき、国家は最初の爆弾が落ちるよりずっと前に、内側から崩れる。だからイランもロシアも中国も、対空防衛システムや極超音速兵器、海軍の均衡だけに集中しとったらあかん。それらも大事やけど、二次的なもんや。本当の戦場は「内部の忠誠心」や。司令部が汚染されとったら、武器なんて無意味や。ベネズエラは今、リアルタイムでそれを証明してしもたんや。門番が脇にどいたら、ハードウェアがなんぼあっても関係ない。

ワシントンの自信の裏には、深刻な見誤りが潜んどる。「恐怖を与えれば従う」と信じとるんやろう。短期的にはそうかもしれん。小さい国は躊躇するし、リーダーは背後を警戒するやろう。屈服するやつも出る。けど、恐怖は「安定」を産まへん。恐怖が産むんは、軍拡競争、秘密同盟、そして非対称な報復や。誰もルールを信じへんから、ルールが参照されへん世界や。その閾値を越えたら、エスカレーションは止まらん。国家元首の誘拐がノーマルになったら、次には暗殺が現実味を帯びてくる。暗殺が現実味を帯びたら、報復は避けられん。そんで報復はいつも予想できる形で来るとは限らん。サイバー攻撃、金融混乱、代理人による暴力、そしてワシントンが完成させた戦術をそのまま鏡にしたような、出所不明の攻撃として来るんや。

「政権転覆がコントロールを産む」っちゅう幻想も打ち砕かなあかん。そんなもんは産まへん、産むのは「揮発性」や。ベネズエラは内部に深い亀裂を抱えた複雑な社会や。マドゥロを消しても、その亀裂は消えへん。むしろ増幅される。権力の空白は空っぽやない、奪い合いの場や。犯罪ネットワーク、準軍事組織、外国の情報機関、そんでチャンスを狙っとるエリートたちがなだれ込んでくる。そこで生まれるんは秩序やなくて、断片化や。このパターンは何度も見てきたやろ。イラクは民主主義国家にならんかった。リビアは安定せんかった。シリアは平和にならんかった。ウクライナは約束されたような主権国家にはなれんかった。どの介入も「必要で、限定的で、決定的だ」っちゅうて売り込まれたけど、全部長期の混乱に転移してしもた。ベネズエラが例外になると信じる理由なんてどこにもない。

それでもワシントンはこの道を進み続ける。代わりの選択肢は「衰退」を認めることやからな。政策立案者が受け入れようがしまいが、一極集中の時代は終わろうとしとる。経済の重力も、人口動態も、工業能力もシフトしとるんや。多極化した現実に適応する代わりに、アメリカは威圧によって永続性を強制しようとしとる。そんな戦略、長い目で見れば一度も成功したことないわ。やから、この作戦を見るときに「強さ」を見たらあかん。「焦り」を見るんや。自分たちの「不可避性」という物語を、もはや信じられなくなったシステムを見るんや。時間が自分たちの敵やと感じて、だからこそ大きなリスクを冒し、規範を破り、これまで以上に速くエスカレートさせようとしとる権力を見るんや。そこがこの瞬間の危ないところやな。衰退しとる権力が「今やらんと永遠に失われる」と思い込んだとき、自制心は消え、計算は衝動に変わる。巨大な破壊力を背景にした「衝動」こそが、大惨事の始まりやねん。

これは物語の終わりやない。不信、欺瞞、先制行動によって定義される新しい章の始まりや。世界は言葉やなくて「行動」によって通告されたんや。一度、原則が行動に取って代わられたら、簡単には戻れへん。そんで、ここがこのエピソード全体の最も危険な層や。戦略的な文脈全体で見れば、ベネズエラで起きたんは単なる規範の違反やない。もっと不安定なグローバル秩序への意図的な加速や。アメリカは心理的、運用的な閾値を越えたんや。「どんなリーダーも手を出せん存在やない。どんな同盟も十分やない。ワシントンがそう決めたら、どんな法的枠組みも守ってはくれへん」っちゅうことを、公然と、謝罪もなしに示してしもたんや。その現実は、他の世界に受動的に吸収されるわけやない。大国はこういう瞬間を忘れへん。カタログ化し、分析し、教訓を血肉にする。ここでの教訓は「ベネズエラの弱さ」やなくて、「アメリカが制約なしに動く意思がある」っちゅうことや。ロシア、中国、イラン、その他の国々は、この行動が正当かどうかを問うてるんやない。「次は自分らちゃうか」「どうやったら同じような作戦を自分らに対して防げるか」を考えとるんや。

その計算が始まったら、抑止の論理は根本から変わる。これからは、どの主要国も、自国の軍や政治指導部への潜入は「可能性」やなくて「確実なもの」として想定するやろう。その想定だけで行動が変わる。リーダーはより孤立し、意思決定の輪は狭まり、信頼ネットワークは縮小する。かつては病気と思われてたパラノイア(被害妄想)が、生存メカニズムになるんや。こうして見誤りは減るどころか、増えていく。ワシントンには「こういう衝撃的な行動をすれば、敵を威嚇して従わせられる」っちゅう大いなる勘違いがあるけど、歴史はその逆を示す。衝撃は「適応」を産み、適応は「対抗策」を産み、対抗策は「エスカレーション」を産むんや。アメリカは、最も効果的なツールの一つを明かしてしもた。内部転覆と、迅速な武力行使の組み合わせや。そのツールは今や研究され、模倣され、最終的にはアメリカの利益に対しても使われることになるやろう。皮肉なもんやな。支配を守ろうとして、ワシントンは不安定化の手法を世界に拡散させるのを加速させとる。ルールが崩壊すれば、模倣が続く。誘拐が常態化すれば、同じような報復も常態化する。そんで報復に左右対称(同じ力)なんていらん。ただの「隙」があればええんや。アメリカは、世界中に資産や人員、基地、経済の拠点を広げとるから、この点では誰よりも無防備やと言えるわな。ルールのない世界は、最も強力なやつが一番安全な世界やない。最も「露出」しとるやつが一番脆い世界なんや。

同時に、アメリカ国内の物語は現実からどんどん乖離していくやろう。国内では、この作戦は決断力あるリーダーシップとか、決意の証明、アメリカがまだ仕切っとる証拠としてフレームアップされる。けど、国内の拍手より外側の認識の方がずっと大事や。世界の多くにとって、これは「強さ」やなくて「無謀」に見える。アメリカの約束は条件付きで、外交は使い捨てで、協力は威圧の前奏曲に過ぎんっちゅう、長年持たれてきた疑念を裏付けるだけや。この信頼の失墜は、レトリック(言葉遊び)では取り返せん長期的な影響を及ぼす。同盟国はリスクヘッジし、パートナーは多様化し、中立国は密かに最悪のシナリオに備える。金融システムはリスクを減らすために再構築され、貿易ルートは見直され、安全保障の枠組みもシフトする。これは一晩では起きんけど、こういう行動のたびに加速していくんや。

そんでベネズエラ内部の人間的な次元やな。リーダーを排除しても、忠誠心や恨み、歴史までは消去できへん。それらを暴力的に並べ替えるだけや。内部衝突の確率は減るどころか増える。外部の勢力は影響力を競い、犯罪ネットワークは不安定さを利用し、普通の市民がその代償を払うことになる。これが政権転覆の語られへんコストや。いつも「付随的な被害」として片付けられ、過小評価され、繰り返される。この瞬間を特に不安定にさせとるんは、タイミングや。グローバルシステムはすでに限界や。経済の断片化、エネルギー不安、人口動態の圧力、未解決の地域紛争が収束しつつある。この環境に「公然たるリーダーの誘拐」っちゅう前例を放り込むんは、乾燥した茂みにマッチを放り込むようなもんや。火はすぐにはあちこちで燃え広がらんかもしれんけど、一度燃え出したら、予想もつかん広がり方をする。だから長期的な危険はベネズエラやなくて「常態化」なんや。

一度、並外れたことがルーチンになれば、エスカレーションの摩擦はなくなる。次の一手は、同じ心理的効果を得るためにもっと劇的でなあかん。そうやってシステムはスパイラル(螺旋状)に陥り、コントロールを失うんや。その意味で、この作戦は自信の表れやなくて、恐怖の告白や。時間が味方やと信じとる権力は、こんなリスク冒さへん。衰退が加速しとると信じとるやつがやるんや。アメリカは、自分らの条件で世界を形作れる窓が閉まりかけてるかのように動いとる。その信念こそが、どの個別の作戦よりもみんなを警戒させるべきやな。忍耐の代わりに焦燥が、正当性の代わりに支配が取って代わるとき、失敗の余地は消える。核兵器があって、みんなが繋がっとるこの世界で、失敗は一部の地域では収まらん。連鎖するんや。

古い前提がもう通用せん段階に入った。強さだけで安定は保証されへんし、抑止だけで平和は保てへん。一度公然と破られた法律は、宣言しただけで復活するもんやない。代わりにやってくるのは、即興、不信、そして自制を失ったパワーポリティクス(力政治)や。これはエスカレーションのハシゴを、一段ずつやなくてジャンプして登っとるようなもんや。歴史は教えてくれとる。そんな登り方をしたハシゴを、安全に降りる方法なんて滅多にないっちゅうことを。今起きたんは終幕やない。開幕の合図や。アメリカによる国家元首の誘拐は政策の終着点やなくて、「これまでの制約はもう適用されへん」っちゅう宣言なんや。一度その線を越えたら、規範や信頼、予測可能性なんていう昔の言葉には戻れへん。誰が認めようが認めまいが、システムは変わってしもた。

これからは、独立を尊ぶすべての国が、新しい前提の下で動くことになるやろう。生き残れるかどうかは、条約や公的な保証、国際法によるんやなくて、内部の結束力と絶え間ない警戒心にかかっとる。「正当性がリーダーを守ってくれる」っちゅう幻想は終わった。「外交が安全を保証してくれる」っちゅう幻想も終わった。残されたんは、可能なときは隠密に、都合がええときは公然と行使される、生身の「力」だけや。

一番悲劇的なんは、こんな風にならんでもよかったっちゅうことやな。多極化した世界が、必ずしも暴力的な世界になるとは限らん。適応、自制、誠実な交渉を通じて、移行を管理することもできたはずや。けど、適応には自信がいるし、自制には忍耐がいる。ワシレワレが今目撃しとるんは、それとは逆に、妥協を弱さと同一視し、時間そのものを敵と見なす戦略文化や。このマインドセットは、特定の行動を生む。安定よりスピードを、持続性より衝撃を、合意よりコントロールを優先するんや。短期的には、これらは支配してるフリを作り出すけど、長期的には権力の土台そのものを空洞化させる。帝国は、挑戦されたから崩壊するんやない。挑戦に対して、かつて自分たちを支えてた原則を捨てて応じてしまうから崩壊するんや。

ベネズエラはこれから、数週間や数ヶ月やなくて、数年単位の不確実な時期に入るやろう。そこの人々は、国境の遥か向こうで下された決定のツケを払わされる。内部の分断は硬直化し、外部の圧力は強まる。どんな政治体制が生まれようと、多くの人の目には正当性が欠けて見えるやろう。正当性は銃口で突きつけたり威圧で引き出したりできるもんやないからな。アメリカにとっても、目に見えにくいけど、代償は確実にある。一度失った信頼は、簡単には戻らへん。これからの交渉はすべて「欺瞞」のレンズを通して見られることになる。どんな外交的ジェスチャーも、裏の動機を隠しとるんちゃうかと疑われる。これは敵を孤立させるんやなくて、「信頼できん」と証明された本人を孤立させるんや。信頼のない力はリーダーシップやない。ただの脅しや。そんで脅しには賞味期限がある。歴史の警告は山ほどあるやろ。大国が「自分らだけは結果を気にせず動く資格がある」と信じ込んだ瞬間こそが、戦略的な過ちの直前なんや。例外が習慣になり、習慣がドクトリンになれば、衰退は加速する。敵が急に強くなったからやなくて、パワーを管理するために築かれたシステムが、内側から腐食するからや。

この時期が特に危険なんは、エスカレーションが誤解やなくて「意図」によって動かされとるからや。これは事故やない。意思疎通のミスでもない。これは「選択」や。そんで選択は前例を作る。他国もここから結論を導き出す。その結論は、ワシントンが完全にコントロールできん形で行動を規定していくやろう。これからの数年は、壮大な宣言よりも、静かな準備によって定義されることになるな。国家は内部構造を固め、リスクを減らし、冗長性を築き、見つけられる場所でレバレッジを探すやろう。そんで圧力がかけられたとき、非対称に、忍耐強く、そしてしばしば目に見えん形で応じる。開かれた対決のコストが高すぎるとき、力はそうやって競われるんや。

だから将来、また危機が起きたとき、今回のことを思い出してな。ルールがゆっくり侵食されたんやない。意図的に捨てられたんやっちゅうことを。不安定さは予告なしに来たんやない。招待されたんやっちゅうことを。そんで、そういう決断の報いを受けるんは、決断した本人らやなくて、彼らが作り替えた世界を引き継ぐ人らやっちゅうことを。力(フォース)が説得に取って代わり、秘密が信頼に取って代わり、恐怖が正当性に取って代わる時代に入ろうとしとる。それは「進歩」やない、どんな名前で呼ばれようが「後退」や。世界は適応するやろう。いつもそうしてきたからな。問題は、適応するかどうかやなくて、どれだけのコストがかかり、誰がそれを払うかや。これは物語の終わりやない。強者に縛られる共通のルールなんて最初からなかったっちゅう「幻想」の終わりや。仮面はもう滑り落ちるんやなくて、消えた。次に何が来るかは、リーダーが何を言うかやなくて、彼らが今「何をするつもりか」によって決まるんや。


0 件のコメント:

コメントを投稿

登録 コメントの投稿 [Atom]

<< ホーム